狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

朝日の天皇制論 「本音では打倒だが・・仕方ないか」

2006-05-05 16:02:19 | 未分類

憲法記念日はほぼ一日中外出していたので、落ち着いて新聞に目を通すことは無かった。

今振り返って各紙の社説を見ると、これが必ずしも憲法論議一色ではない。

因みに全国五紙と沖縄二紙の社説の見出しを列挙してみると、

朝日 「軍事が突出するあやうさ 米軍再編最終合意」
毎日 「憲法記念日 情熱をどう取り戻すか 改正空騒ぎのあとしまつ」
読売 「憲法記念日 小沢さんの改憲論はどうなった」
産経 「あす憲法記念日 脅威への備えは十分か 9条改正して自立基盤作ろう」(2日)
日経 「在日米軍再編を日米の共通利益に」

沖縄タイムス「憲法改正論議]機が熟したとは言えない
琉球新報  「米軍再編最終報告・基地固定化を危惧する/一体的返還の実効性に疑問」

という具合で、三紙が米軍再編問題を取り上げた。

日米安保協議と重なったため、3日付社説が憲法一色とはならなかった。

憲法を論ずるには国の安全保障論議は必須であり、国の安全保障を論ずるには自衛隊の存在、日米安保を論じなければならない。

その意味では米軍再編への日本の対応も憲法抜きでは考えられない。

朝日、日経、琉球新報には憲法に関する社説は出なかった。

敢えて憲法論議を避けたというべきか。


                  ◇

朝日新聞は昨日四日の社説で「天皇と憲法を考える 国民と伝統に寄り添って」と題して、憲法問題を「天皇制」に絡めてバトルに持ち込むつもりかと思ったら意外な内容にいささか拍子抜けをした。   

朝日新聞の世論調査は、78年から象徴天皇制について断続的に聞いてきたが、支持率は常に80%を超えている。≫という通り、朝日自ら実施して来た30年にも渡る世論調査に「常に80%を超える支持率」には流石の「天皇制」嫌いの朝日もひれ伏さざるを得ないのだろう。

朝日の社説本文中、何度か「天皇制」と言う言葉が出て来るが、この言葉は明治憲法制定の時には言葉として存在していなかった。

因みに明治憲法は立憲君主制を基調にした憲法である。

古代日本には言霊(ことだま)と言うことが信じられていた。
言霊とは言葉に宿っていると信じられる不思議な力のことであり、それが更に進んで言霊により、発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。

ある思想・信条を持つグループがその思想をある言葉に秘めて使い続けると、その言葉を聞いた瞬間一つのイメージの呪縛に取り付かれる。

「天皇制」と言う言葉は本来共産党が、自分達の天皇に対する呪いの言霊を込めて使った造語であり、日本の歴史には左翼の登場以前には存在しない。

1922年、日本共産党が秘密裏に結成され、「君主制の廃止」をスローガンに掲げた。

1932年のコミンテルンテーゼは、共産主義革命を日本で行うため日本の君主制をロシア帝国の絶対君主制であるツァーリズムになぞらえて「天皇制」と表記した。(この日本共産党に対する指令が有名な「32年テーゼ」でこれについては稿を改めて書きたい)

そして天皇制と封建階級(寄生地主)・ブルジョワジー(独占資本)との結合が日本の権力機構の本質であると規定した。

第二次世界大戦が終結するまで「天皇制」は共産党の用語であり、一般には認知されていなかったが、現代では共産党と関係なく一般にも使用されている。

戦後の新聞メディアは戦前の反動で左翼に傾き共産党造語の「天皇制」を唯々諾々と使用し一般にも無抵抗に使用され出したのだ。 その意味では共産党の作戦は一部成功した。

今でも共産党の「天皇制廃止論」に従う人はこの言葉に呪いの言霊を込めて「天皇制」、「皇民化政策」等と使用している。

二つの新聞が言論・思想を牛耳る沖縄では「天皇制」に対し、特にこの傾向が多く見られる。

地元新聞の活躍で沖縄では、「天皇制」と言えば、「軍靴の響き」、「戦争」、「侵略」、
「住民虐殺」等々と言霊が彷徨い出して来る。

最後にはコミュンテルンが指令した「32年テーゼ」つまり「天皇制打倒」と言うスターリンの亡霊にまでたどり着く。

「天皇制」は日本共産党内部の「業界用語」であり、その後には当然の如く「打倒」と言う言葉が対句で連なり「天皇制打倒」で熟語は完成する。

しかし、沖縄メディアの師匠・朝日新聞といえども80%を常に超える支持率には抗す術も無い。

「本音では打倒したいが、仕方が無い・・・」、と言うのが本音なのだろう。

                        *

◆朝日新聞社説 2006年5月4日

天皇と憲法を考える 国民と伝統に寄り添って     
 
 「日本国憲法および皇室典範の定めるところにより、ここに、皇位を継承しました」。元号が昭和から平成に変わって2日後、天皇陛下は即位後の儀式で、こう述べた。服装は列席の各界代表と同じようにモーニングコートだった。

 昭和が始まるときの儀式はどうだったか。昭和天皇は陸海軍を統帥する大元帥の礼服に勲章を帯び、「朕(ちん)、皇祖皇宗の威霊に頼り万世一系の皇位を継承し」で始まる勅語を読んだ。

 こうして二つの儀式を比べると、戦前と戦後の天皇の違いがよくわかる。

 明治憲法では、天皇の地位は神代からの神聖なものとされた。日本国憲法は「主権の存する国民の総意に基づく」と定めている。天皇の役割も「統治権の総攬(そうらん)者」から、国政に関する権能を持たない「象徴」へと変わった。

●御真影から記者会見へ

 そんなことを思い浮かべたのは、昨年来、皇位継承の問題をきっかけに、天皇制のあり方や憲法との関係などが論議されるようになったからだ。

 天皇と皇室は長い歴史と伝統を持つ。連綿と続く血統がある。しかし、それだけで、一般の国民と違う特別な地位を与えられているわけではあるまい。

 近代になって、明治憲法が歴史と伝統を踏まえたうえで、その時代にふさわしいように天皇制を位置づけた。さらに敗戦後、日本国憲法によって、天皇の位置づけは大きく変わった。天皇の権威が無謀な戦争に利用された苦い経験からだ。

 天皇制はどう変わってきたのか。憲法はどんな役割を果たしているのか。そうしたことを、この機会に考えたい。

 戦後、国民が最も驚いたのは、天皇の姿や肉声がよく伝わるようになったことだろう。

 「新憲法きょうから施行」。大きな見出しを掲げた47年5月3日の朝日新聞に、もうひとつ「天皇陛下、記者と初の会見」の大きな見出しがある。

 昭和天皇が皇居内で、奉仕作業を見ていた記者たちのところへやってきた。記者たちは天皇を囲み、地方視察の感想や研究のことなどを質問した。その一問一答がくわしく掲載されている。

 「復興には石炭が大事だから、機会があれば炭鉱にも行きたい」「私の生物学も、趣味でやっているから、なかなかものにならなくてね」

 戦前の天皇は「現人神(あらひとがみ)」だった。天皇と皇后の写真は御真影と呼ばれ、全国の学校につくられた奉安殿や奉安庫の奥深くにしまわれた。その前を通る時は必ず最敬礼しなければならなかった。

●国民ときずなを強めた

 記者会見やお出かけなどが報道されるようになって、国民と皇室の垣根が低くなった。その垣根をいっそう低くしたのが、59年の皇太子ご成婚である。

 市民の家庭に生まれた美智子さまと恋愛の末に結ばれたことは、皇室ブームを巻き起こした。子育てや手料理など、日常生活にまで大きな関心が集まった。

 おふたりは、天皇、皇后になってからも福祉施設を訪ね、被災地の住民を励まし、戦地の慰霊の旅を重ねてきた。

 朝日新聞の世論調査は、78年から象徴天皇制について断続的に聞いてきたが、支持率は常に80%を超えている。

 多くの国民と同じような家庭をつくり、平和の大切さを説き、恵まれない人たちに手を差しのべる。そうした皇室のあり方が共感を呼び、国民とのきずなを強めていると思う。そのような行動は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という憲法の精神に沿おうという天皇の意思の表れでもあるだろう。

 いや、天皇が敬愛され、皇室がいまなお続いているのは、そんなことからではない。千数百年も男系で受け継いできた伝統こそが天皇制の核心である。皇位継承をめぐり、そう主張する人もいる。

●時代に合わせてこそ

 もちろん、伝統を抜きにしては天皇制は語れない。だが、伝統とは何だろう。

 男系での継承は、確かに重い意味を持ってきた。しかし、それを支えたもののひとつに、側室制度があった。これを復活させることはできまい。だからといって、戦後すぐに皇籍を離れた人たちをいまになって復帰させても、国民の気持ちをつかめるだろうか。紀子さまの出産しだいで、当面、男系を維持できるかもしれない。しかし、長い目で見れば、男系にこだわることが、かえって皇室の存続を危うくすることになりかねない。

 そもそも長い歴史の中で、天皇は剣を帯びる武人から、文化的、宗教的な権威に変わってきた。

 古来の伝統も変化してきた。即位後の大嘗祭(だいじょうさい)は皇位継承に伴う重要な儀式だが、長く断絶した時期があった。明治になって加えられた皇室祭祀(さいし)もある。

 伝統のどれを残し、どれを変えるか。皇室は時代に合わせて柔軟に動いたからこそ、長い歴史を保ってきた。戦後も新たな伝統が積み重ねられている。

 古来の伝統や文化を大切にして継承する。同時に、国民の意識や考え方に寄り添っていく。それが国民の求める皇室像ではないか。それはまた、天皇を「日本国と日本国民統合の象徴」と定める憲法の精神にもかなうことだろう。

 
 


 

 


 

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「ビューティフルコンサート」鑑賞記

2006-05-05 07:59:36 | 未分類

新聞折込の中に見慣れぬ広告を見た。

「カサブランカ」から「風とともに去りぬ」まで、と題したDVD付きマガジンの宣伝であった。

映画評論家の水野晴男が世界名作映画の感動の名場面を解説した雑誌を見ながらDVDでハイライトシーンを楽しむと言う企画だ。

取り扱い名画100選のリストを見ていたら、嘗て見た名画のシーンが蘇ってきた。

 巧みな宣伝に乗せられたのか、と思いつつもリストを目で追っていくと思い出のシーンとともに大編成のオーケストラによるスクリーン・ミュージックが頭の中で響いてきた。

そういえば大編成のストリング・オーケストラが奏でるスクリーンミュージックを生では聴いたことは無い。

 映画が銀幕と呼ばれ唯一の娯楽であった頃、大スクリーンの映像にに胸を時めかしたあの日あの頃。

憧れの映画スターと共に想い出のスクリーンミュージックが蘇る。

「慕情」、「風と共に去りぬ」、そしてマフィア映画にも名曲があった。
「ゴッドファーザー」~ゴッドファーザー 愛のテーマ。

そして007シリーズも名曲の宝庫だった。
「ゴールドフィンガー」、「ロシアより愛をこめて」等々数え出したらきりが無い。

大画面が訴えかける視覚の記憶と共に、忘れられないのはフルオーケストラの迫力で観客に迫る映画音楽の魅力である。

学生時代クラブ活動でオーケストラに属して下手なヴァイオリンを引いていたせいもあり、クラシックのコンサートはに若い頃からよく行った。

日本ではオーケストラのコンサートといえば、クラシックコンサートと相場が決まっている。

最近は葉加瀬太郎や河井郁子のようにクラシック畑の演奏者がポピュラー音楽を演奏するケースも増えたが、マントバーニーオーケストラやパーシーフェイスオーケストラのようなポピュラー音楽を演奏する専門のオーケストラは日本には無い。

普段クラシック専門の交響楽団が片手間にポピュラー音楽のコンサートを時折企画しているに過ぎないのが現状だ。

プロにせよアマチュアーにせよ、大編成のポピュラー専門のオーケストラが無いのはやはり需要と供給のバランスと言う経済法則故なのだろうか。

ところが沖縄にその需給による制限をを見事に打ち破って聴衆に思わぬ感動を与えた大編成のストリング・オーケストラがあった。                    

                       *

一昨日の憲法記念日。

 偶々友人が主唱するヴァイオリン教室の発表会を付き合いで聞きに行って思わぬ拾い物をした。

自分の子供をヴァイオリン教室やピアノ教室に通わした経験上、この手の「おさらい会」には過去何度か参加したことがある。

出演者は勿論その教室の生徒達で聴衆は殆どが父兄やその親族。

自分の子や孫が演奏する時は必死で手に汗を握って舞台を注目するが、その僅か1-2分の演奏が終わると急に気が抜ける。

後は他の出演者の幼い名演奏を欠伸を噛み殺しながら聴く我慢大会と化す。

それでもピアノ教室の場合はまだ救われるが、これがヴァイオリン教室の発表会ともなると退屈を通り越して苦痛となる。

 ピアノは鍵盤を叩けば同じ音が出る。

 が、ヴァイオリンの場合初心者が出す音は、「キーコ ギーコ」で音程もままならない。

我が子の弾く音なら我慢も出来るが、他人の子供の音となるとこれは地獄だ。

そんな地獄のヴァイオリン教室の発表会に自分の子供が出演するわけでもないのに、友人の主唱する教室とはいえ物好きにも発表会を聴きに行った。

当日の賛助出演するアマチュア楽団でチェロを弾いている別の友人の付き合いで行ったのだ。

最初は件の楽団は生徒達の引き立て役の「おまけ出演」かと思ったが、これが思わぬ拾い物だったのだ。

その訳を説明するには先ず当日のプログラム構成を説明しなければならない。 プログラムは三部に分かれていて第一部で全生徒が同時に舞台に広がり簡単な曲を合奏する。  

一人一人の演奏をソロで聴くと地獄を感じる音色や音程もこれが大人数で弾くと一つの音程、音色に収斂され地獄の音が天使の音にも聞こえる。

これが弦楽器の摩訶不思議なところ。

それに合奏と言っても同じ旋律を弾く単調なユニゾンではなく、全体が二部に分かれてチビッ子やお年寄りの初心者はメロディーパートを弾いて、お兄ちゃんお姉ちゃんの中・上級者がメロディーにオブリガートを付けて曲に変化を持たしている。

この初心者集団のヴァイオリン合奏が聴衆に心地よい感動を与えた。 

最早地獄の演奏会ではなく天使の演奏会であった。

 第二部は地元の音楽家二人による本格的声楽リサイタル。

細身の体ながら朗々と高音がのびるテナーの松尾英章さんが武田光史さんのピアノ伴奏で御馴染のイタリア民謡で聴衆を楽しませてくれた。

そして愈々、拾い物・・失礼、お待ちかねのオオトリがアマチュア楽団を含む大編成のストリングオーケストラだった。

件のアマチュア楽団を中心に、ヴァイオリン教室の上級者、教室主唱者の音楽仲間が20名近くも加わってチェロ、コントラバスも複数付いた大ストリングオーケストラは圧巻であった。

しかも指揮者は沖縄の楽壇では第一人者とも言える、琉球大学音楽科教授の糸数武博さんだからとても一ヴァイオリン教室の発表会とは思えない豪華な顔ぶれだ。

 第三部の曲目は最初の一曲だけはヴァイオリン教室らしくバッハのブランデンブルグ協奏曲第三番だったが、後の三曲は「オリジナル編曲」によるいわゆる映画音楽であった。

地元在住の作曲家山城功さんのアレンジによる「サウンドオブミュージック・メドレー」は若き日に大スクリーンから迫ってきた大編成のオーケストラを彷彿とさせた。

だがどうしてもここで強調しておきたい事が一つある。 

 曲のアレンジだ。

最近沖縄の音楽と言えば沖縄民謡を中心にジャズやロックが有名で、クラシックのアマチュアオーケストラも頑張っている。

しかし、山城さんのような才能の発揮出来る場所は非常に少ない。

 そんな中、地元の音楽家だけで編成した大編成のストリング・オーケストラが演奏する地元作曲家アレンジのスクリーンミュージックを生で聞けたのだ。

これが思わぬ拾い物でなくてなんであろう。

音楽会の性質上入場無料だったのが勿体無いくらいであった。

本土のプロオーケストラでも余り例を見ないオリジナルアレンジによるスクリーンミュージックを大編成のストリングオーケストラが演奏する。 

沖縄では今までには無い新しい音楽分野であろう。

演奏も曲のアレンジも素晴らしかったが演奏会場も沖縄では一流で、あの五島みどりも同じ舞台に立った「シュガーホール」であった。

 因みに発表会のタイトルは「ビューティフル コンサート」と題していたが、出演者のちびっ子から最高齢の生徒の70歳のご婦人まで皆輝いていてビューティフルであった。

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