狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

義理と人情の男・星野仙一がハゲタカ退治

2006-05-25 13:21:05 | 県知事選

テレビワイドショーで星野仙一氏は記者の質問に答えて「(村上には)天罰が下る」と一喝した。

義理と人情の男・星野仙一が資本の亡者・村上某に宣戦布告をしたのだ。

昨年来の「ホリエモン騒動」以来、村上氏は頻繁にテレビに露出して「会社は株主のものだ」とか「乗っ取られたくない会社は上場するな」とハゲタカファンド丸出しの主張をしていた。
当時のマスコミは堀江氏や村上氏を資本主義社会のリーダーと持ち上げていた。

が、当時から筆者は≪義理と人情が資本の論理に打ち勝つこともある≫と予言して来た。

その理由として「日本型資本主義」について次のように論じていた。

≪◆Date:  2005年3月25日(金) 午後2時26分
Subject:  ホリエモン騒動其の2

<略>
もともと日本にはアメリカ型資本主義、アメリカ型民主主義は育っていない。  
日本独自の「社会主義的、資本主義」或いは「社会主義的、民主主義」が根強く育った。
だから日本は議論とか会議と言ったようなことには不毛の地域だ。  
会社でも中堅社員以下の会議では多少変わってきたが,役員会、取締役会ともなると依然として議論は不毛でその場の「空気」が全てを決める。
   
では何が「空気」を決めるか。
会議前の「根回し」が空気を決める。
それが株主総会ともなると、議論を仕掛けると大変な事になる。
神聖な株主総会を議論の場所と勘違いする不逞の輩は,会社から嫌がられ社会からは抹殺される。
この会社の嫌がることを生業としているのが「総会屋」である。
ちなみに総会屋と言う単語は英語には無い。

ホリエモンや村上某がいくら会社は株主のモノだとアメリカ型資本主義の論理を吠え立てても「現在」の日本では馬の耳に念仏のようなものだ。

20年程前山本七平という人が「空気の研究」という著書でこの日本型資本主義を見事に解明して見せた。
ホリエモンは本を余り読まないと豪語していたが、そのへんに彼の弱点を見た。
しかしだからといって彼が日本社会に与えた「衝撃」は計り知れぬほど大きい!

ホリエモンの功績
①古い体質のプロ野球界に風穴を開け,其の余波でライオンズの親会社に揺さぶりがかかり西武グループの崩壊につながった。

②会社は誰のものか、と言う命題を議論させた。
その結果日本型資本主義社会では「義理と人情が資本の論理に打ち勝つこともある」という例を示した。

③言論の自由、電波の公共性等の美名の上に胡坐をかき,俗悪愚劣な番組を垂れ流していたメディアに衝撃を与え、改めてメディアの公共性について議論させた。

④ワイドショーの話題を連日独占し「暇人」を楽しませた。

他にも沢山評価する点はあると思うが、ホリエモンがもっと本を読み空っぽな頭の隙間部分を充填し,捲土重来リベンジを期待する。(2005年3月25日記) ≫

                   ◇

ホリエモンが3ヶ月にも及ぶ拘置所生活から保釈になった時の姿には誰もが驚いた。

その別人のように痩せた頬のコケ具合もそうだが、何より単なるダイエットではない何かある変化を彼の表情に感じ取ったのは狼魔人だけだったのか。

案の定彼の取った行動は大方の予想を裏切った。

先月27日の保釈以来、初めて自宅のある六本木ヒルズからの遠出で、日航機墜落の御巣鷹で慰霊をしたと言う。

21日午前4時過ぎに知人らと計5人で1台の車に乗り込み、自宅を出発。

同7時半ごろ御巣鷹に到着し、約2時間半かけて尾根の山道を歩き、犠牲者の「昇魂之碑」の前で合掌したという。

日航機事故を取り上げた山崎豊子さんの小説「沈まぬ太陽」を拘置所に拘置中で読破し、「泣けてきちゃった」と感想を漏らしていたと言う。

嘗て彼は本を読まないことを自慢げに公表していた。

上記引用にある通り、昨年の3月、当日記は既に「ホリエモンが本を読まないこと」が彼の弱点と見抜いていた。

                ◇         


今度の「星野対村上」と言う対立構造は日本的「義理と人情」対アメリカ的「資本の論理」の全面対決でもある。

アメリカ型資本主義社会は自分なりに理解していたつもりだったが、昨年来の村上氏の発言を振り返ってみて、どうしても彼の主張が日本型社会に受け入れられるとは思えなかった。

その総決算が今度の「星野対村上」の全面対決である。

日本社会ではまだまだ理屈ではアメリカ型合理主義をわかったつもりでいても、古いタイプの義理と人情のDNAは未だ抜けきっていない。

星野仙一はまさにこの古き良き日本の義理と人情を代表する人物だ。

星野氏は資本の論理で会社乗っ取りを狙う村上に対して、資本の論理と言う相手の土俵には乗らず、自分の土俵である日本的感性で勝負に出たのだ。

だが、名監督であった星野が勝算も無く闇雲に感情論で勝負に出るはずは無い。

熱狂的な阪神ファン、阪神電鉄の社会性、そして世論、それらの動向を綿密に計算し尽くした末の昨日の記者会見であろう。

小賢(ざか)しい村上は状況を察知していたのか、事前に本拠をシンガポールに移している。
シンガポールの永住権を取るという話さえある。
まさか敵前逃亡でもあるまいが・・・。

昨年ホリエモンのニッポン放送株買占め騒動の際、村上は再三テレビに登場して、次のような趣旨の発言を繰り返していた。

いわく「何処の馬の骨とも解からぬ奴に会社を買われたくなかったら、株を公開するな!」とも。

村上は日本の国立大学(東大)を出て経済官僚(通産省)時代の豊富な人脈・情報を利用し,日本社会の恩恵を充分享受している。
それでいてアメリカ型の資本の論理を武器に日本の会社乗っ取りを生業とする。

彼が主唱する村上ファンドの資金は大部分が外資でありこのようなファンドの事を世間では「ハゲタカファンド」と言う。

星野の怒りの宣戦布告の前に恐れをなした村上は所有する阪神株を売り逃げるであろう。

                   
                  ◇

◆阪神の星野SD、村上氏退治に辞任カード!!
「個人的に戦う。気持ちでは負けない」

村上ファンドが経営権握った場合、辞職を明言した阪神の星野シニア・ディレクター
 プロ野球・阪神タイガースの星野仙一シニア・ディレクター(59)が24日、兵庫県芦屋市内のホテルで会見し、球団の親会社・阪神電鉄の株主総会(6月29日開催予定)で、筆頭株主である村上世彰氏(47)率いる投資ファンド(通称・村上ファンド)が推す取締役候補が取締役会の過半数を占めるような事態になった場合、球団を辞めることを明らかにした。

 星野氏は「村上ファンド側が役員9人を送り込んだ場合、経営権を握られるのは明らか。自分だけが資本主義であると思っている人の下では絶対にできない。その時点で(SD職を)降ろさせてもらう」と断言した。

 阪神電鉄の質問状に対する村上ファンドからの回答は23日までに届いたが、役員派遣については従来通り「経営監視が目的」とした。しかし、22日に関東財務局へ出された訂正報告書には、阪神株保有の目的に「経営参加」が追加された。このことについて「マスコミ各社から質問が相次ぎ、まとめて答えたほうがいいと思った」(星野氏)ため会見を設定した。

 今月15日にも、村上氏に対して「天罰が下る」と怒りをあらわにしていた星野氏は、村上ファンド側が推す9人の取締役候補が選ばれた時点で、「即」辞めると断言した上で、次のように心境を語った。

 「阪神は好きですよ。愛してますよ。でも電鉄経営の何も分かっていない人に経営権を牛耳られて、あーでもない、こーでもないといわれるのであれば、辞めざるを得ない。(残って一緒に戦ってほしいという)ファンの人たちには『申し訳ない』との思いはあるが、どうしようもない」

 辞意は、牧田俊洋球団社長にのみ伝えたとし、「社長は『うーん』と考え込んでいたが、『ぼくの決断ですから』と伝えた」という。

 さらに、「辞めたあとも個人的に戦っていく。金と法律では負けてるけど、気持ちとしては負けない」などと述べた。

 昨年11月に一度だけ会ったことのある村上氏について、「タイガースという関西文化に手を突っ込んで、牛耳ろうとしている。日本をよくするためとかいいながら、シンガポールに拠点を移している」などと批判。「後悔してると思うけどね。後戻りできない状況なんじゃないの」と村上氏の心中を推しはかりながらも、「一生、あの男にはファンや阪神の社員や関西の人たちの恨み辛みがつきまとうよな」と哀れんだ。

 村上ファンドは阪神株の46.82%を保有し、6月29日開催予定の定時株主総会で、取締役16人のうち改選される9人について、村上氏らファンド側の候補を選任するよう求めている。

 阪神側はあす25日にも開く定時取締役会で、総会に諮る議案などについて協議する予定だが、開催日程などを含めて流動的な情勢だ。

ZAKZAK 2006/05/24

 

 


 


西銀座駅前 いかす野郎ども

2006-05-25 09:13:24 | 年金・老人・身辺雑感

昭和33年。
東京では戦後の暗い世相はすっかり忘れ去られていた。
銀座は華やかな東京の象徴のような街だった。

新宿、原宿、渋谷。
若者の街は時代と共に変わっていく。
その頃の銀座は若者の躍動が感じられる町だった。
その年、東京タワーが建設され東京観光の目玉となった。
日本中の若者は東京に憧れ銀座に夢を見た。
渋谷、原宿はまだ静かな街だった。

少し前に鮮烈な銀幕デビューを飾った石原裕次郎の「いかす」という言葉が若者の流行語となって街に飛び交っていた。
それまでは渋谷と浅草を結ぶ銀座線しかなかった地下鉄にその年に丸の内線が新設された。
銀座は若者の街に変わりつつあった。
新設地下鉄の駅界隈は、四丁目を中心とした大人の街に対して若者の街として活気に満ちていた。

新しい地下鉄の駅名を西銀座といった。
西銀座を起点とする高速道路の下を利用した二階建ての細長い西銀座デパートが話題を呼んだ。
その中の「有楽フードセンター」はいわばグルメ街のはしりだった。

その頃街には奇妙な野郎がゴロゴロしていた。
Aもその中の1人だった。
年はまだ二十歳前だったろうか。
リーゼントの髪をチックで固め何時も口癖のように何かを呟(つぶや)いていた。
世間の大人たちが見るといかれた野郎だった。
街にネオンがつく頃になると地下鉄の階段を上って来るのをよく見た。
一度、何の用事で毎日この街に来るのかと尋ねたことがあった。
「いや~別に・・・ただ刺激が欲しいだけさ」だって。
キザな野郎だったが何故か憎めないヤツだった。
その時もAのブツブツ呟く言葉は良く聞き取れなかった。
何か英語のようにも聞こえた。
歌の歌詞に英語を混ぜるとかっこよく聞こえた時代だった。
その後人気者になった飯田久彦が歌う「ルイジアナママ」のオニオリ~ンという意味が判ったのはかなり後になってからだった。(from New Olreans)

Aは開店前のあるクラブによく出入りしていた。
そこのバーテンBとは幼馴染だったらしい。
そいつはカクテルは作るくせに酒は一滴も飲めなかった。
酔って陥る恋は本物の恋ではないとキザな台詞が口説き文句だった。
女には不自由しないと何時も豪語していたっけ。
そのくせ何かあると、すぐ泣き出す泣き虫夜野郎だった。 
コイツも何故か憎めないヤツだった。 
今ごろ何処でキザな文句を垂れているのやら。

当時の銀座の若者のデイトコースは何と言ってもジャズ喫茶だった。
銀座では「銀座ABC(アシベ)」と言うジャズ喫茶が時代の先端だった。
ジャズ喫茶といっても今の感覚とは一寸違う。 
アメリカンポップスを日本の歌手が日本語で歌ういわばライブ喫茶だ。
ジャズ喫茶なのに歌い手はジャズ歌手とは言わず何故かロカビリー歌手と言った。
そういえば何時も1人でジャズ喫茶に現れたCも変な野郎だった。
寂しげに1人で店を出るとき、その後姿にふと尋ねてみたことがあった。
「今夜これから何処へ行くの」
これに対する返事も又キザだった。
「行く先だって?・・・・ 信号灯だけが知ってるサ」だって。
「何時も1人だが、彼女はいないの?」と話し掛けたら、
「俺・・恋には弱いんだ」と寂しげに答えた。
でもコイツも憎めないヤツだった。

みんな何処へ消えてしまったのだろう。
みんなキザな野郎だったが憎めないヤツばかりだった。
そういえばみんな同じようなことをブツブツ呟く癖があった。
最後まで良く判らなかったが、あの口癖の意味は一体何だったのだろう。
今でも謎だ。
「ABCXYZ・・・・・?」
でも皆「いかれて」なんかいなかった。
「いかす」野郎だったぜ。


◆西銀座駅前 昭和33年 歌 フランク永井

♪ABCXYZ これはおいらの口癖さ♪・・・・(以下略) 

この歌を歌っていたフランク永井は今でも熱海の施設でご存命との事。
彼のABCXYZの発音はカッコよく当時としては新鮮に聞こえたのを想い出す。