◆「ニタカマンタ」は「割れ鍋にとじ蓋」
沖縄語を初めて聞く県外の人が「外国語のようで全く理解出来ない」と驚くのは良く理解できる。
しかし沖縄語は地理的に隔絶されているため訛りの程度が他県に比べてがかなり強いということはあっても、言葉の成り立ち文法から言って日本語の一地方方言であることは紛れも無い事実。
いや、むしろ現代日本語が失った日本の古語を今でも使っている例もかなり有るくらいだ。
これについては前に書いた。(「沖縄語は候文」http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/aaf0578f7954
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「ニタカマンタ」という沖縄語は、今では使われなくなっており、沖縄でもおそらくは四十代以上の人でやっと判る程だろう。
これが理解できるかどうかが40歳以下か上かを判別するリトマス試験紙にもなり得る。
さてその意味だが、沖縄語の「ニタカマンタ」は、標準語では「似た者同士」の意味になる。 そして「似た者同士」はうまくいくと言った意味も言外に含まれる。
「ニタ」が「似た」なのは判るが、「カマンタ」がどうして「者同士」になるのか解き明かすのは一苦労だ。
「カマンタ」には「大鍋の蓋」の意味がある。
大なべといっても農家でさつまいもを煮る円錐状の丸底の「シンメーナビ」と言う大型なべで、沖縄では大きな行事の料理をつくるのに用いられる。
この大型なべのふたで、かや・わらなどを編んで作られているものを「カマンタ」と言う。鍋釜のフタが訛って釜のフタから「カマンタ」に転化したと考えられる。
ついでに言うと魚の「エイ」の事を沖縄語では「カマンタ」と云うが、これは形がなべのふた似ているからそう呼ばれている。
ここまで来ても「似たカマンタ」が「似た者同士」になる説明にはなっていない。
似たもの同士が良いことのたとえには「割れ鍋にとじ蓋」と言う諺がある。
どんな欠点の有る人にもぴったり合う相手があるということだ。
つまりこの「似た者同士はうまくいく」と言う鍋と蓋の諺を沖縄方言にそのまま転用したのが「ニタカマンタ」であり、同じような意味を持つ。
因みに割れ鍋にとじ蓋の「割れ鍋」とは、割れて壊れた鍋のことだが、「とじ蓋」は「閉じ蓋」と書くのは良くある間違いで、正確には「綴じ蓋」と書く。
つまり壊れた部分を繕って修繕した蓋のこと。
◇
◆「カマジー」と「ドンゴロス」
小学校4年生の頃、僅かな期間ではあったが「カマジー」というアダ名の男が同じクラスにいた。
本名は「かまじろう」(釜次郎?)と云ったが誰も本名で呼ぶものはいなかった。
姓は記憶が曖昧だが確か渡辺?とヤマトゥ風の名前だった事と、方言が使えなかったので、きっとヤマトゥンチュだったのだろう。
数ヶ月で何処かへ転校して消えてしまい、記憶からも消えてしまっていた。
沖縄方言の語源を調べて「カマジー」に行き当たり、ふと「カマジー」と言う名の古い同級生がいたことを想いだしたのだ。
カマジーは釜次郎の郎を省略して釜次と云ったわけではない。
カマジーとは沖縄のご同輩なら先刻承知の麻で出来た袋の沖縄語で、元々何か物が入っていたのを当時は廃物利用していた。
だから少なくともカマジーと言うアダナは良いイメージではなかった。
そのカマジー君がいた頃、父にカマジーを標準語ではなんと言うか聞いたら「ドンゴロス」と教わった。
その後、東京で10年近く住んだがドンゴロスという言葉は一度も聞くことも使う事も無く過ごした。
聞くところによるとドンゴロスを知っている人は昭和40年以前に生まれて、しかも田舎出身者に多いらしい。
だから古いナツメロを歌っているオヤジグループにたずねれば知っているが者が一人くらいは必ずいると言う。
が、知っていながら知らない振りをする人もいるとか。
しかしドンゴロスとは何所から来た名前だろう。
「ドン殺す」はマフィアの殺し屋用語?
調べて見たら次のようなことが判った。
ドンゴロスは「dungarees・ダンガリース」からの転用で麻袋、また麻袋を作る目の粗い厚手の布のことで梱包・天幕などにも用いる。
ここでやっと本題に入るが、この外国語の「ダンガリース」から転用された「ドンゴロス」がどのようにして「カマジー」と言う沖縄語に転化したのか。
叺(かます)と言う単語は漢字ではない日本で作られた古い国字がある。
これは蒲簀(かます)の意で、古くは蒲(かま)を、あらく編んで簀(むしろ)を造ったが、その藁(むしろ)を二つ折りにして作った袋のことを叺(かます)といった。
主に穀物・塩・石炭などを入れるのに用いていた。
沖縄では戦前まで米や穀類は「かます」に入れていたが、戦後「dungarees・ダンガリース」に入ったメリケン粉や穀類が入ってきてもアメリカ語転化の「ドンゴロス」とは云わなかった。
日本古語の「かます」を敢えて転化させ「カマジー」としたのも、今と違って純粋に「祖国復帰」を祈念していた当時の世相が重なり興味深い。
アメリカ訛りの「ドンゴロス」も古い国字・叺(かます)訛りの「カマジー」も今では既に死語になりつつある。
当時は思いも付かなかったが今考えると、カマを掘られてジになる名前なんて「釜痔ろう君」の親も随分罪な名前をつけたものだ。
※尋ね人
半世紀ほど昔、米軍占領下の沖縄那覇市の壷屋小学校に暫く通っていた当時四年生の「わたなべ かまじろう」(渡辺釜次郎?)君(或いは同君をご存知の方)、お元気でしたらコメントください。
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