沖縄、座間味島、渡嘉敷島の軍命令による「集団自決」については再三当日記でも触れてきたが、作家曽野綾子氏の問題提起に対しては地元沖縄国際大学、琉球大学、沖縄大学の教授陣を中心に反論が繰り返されてきた。
当然、地元二紙はその意見の絶好の発表場所。
沖縄タイムスを中心にその反論記事を紹介したい。
曽野綾子包囲陣の一番打者は安仁屋政昭・沖縄国際大学名誉教授。
因みに安仁屋教授は狼魔人の高校時代の恩師で日本史を担当しておられた。
- ◆沖縄タイムス <2005年7月2日> 朝刊 1版 社会26面(土曜日) カラー
- [戦後60年]/[「集団自決」を考える](18)
- /識者に聞く(1)/安仁屋政昭沖国大名誉教授
- /すべてが軍の統制下に/足手まとい恐れ死選ぶ
沖縄戦の最中、軍民が混在する状況下で住民が犠牲となった「集団自決」。史実を塗り替えようとする動きが再燃する中、その問題点と「集団自決」の実態を四人の識者に聞いた。
-沖縄戦で起きた「集団自決」とは。
「天皇の軍隊と、それに追随する市町村役場の管理職や徴兵事務を扱う兵事係らの強制と誘導によって、肉親同士の殺し合いを強いられたのが『集団自決』の実態である」
「日本語で『自決』とは自らの意思で、責めを負って命を絶つこと。自殺の任意性や自発性が前提となるので、言葉本来の意味において、沖縄戦では『集団自決』はなかった」
-どのような状況下で起きたのか。
「『集団自決』は日本軍と住民が混在していた極限状態で起きている。沖縄戦は、南西諸島が米軍によって制海権も制空権も完全に握られ、民政の機能しない戒厳令に似た『合囲地境』だった。その状況下では、駐留する日本軍の上官が全権を握り、すべてが軍の統制下にあった。地域住民への命令や指示は、たとえ市町村職員が伝えたとしてもすべて『軍命』として住民が受け取るような状況があった」
「地域の指導者や住民たちは、日ごろから軍の命令は天皇の命令だと教えられてきた。皇民化教育によって魂まで身命を投げ打った。軍の足手まといになるなら、死を選ぶことが軍の手助けになるという考えが徹底的に植え付けられていた」
「米軍の捕虜になることは結果として、軍の情報が漏れることになるので、死を選ぶことが『臣民の道』だと信じていた。それらの状況下で『集団自決』は起きた」
-国や自由主義史観研の主張する「集団自決」とは。
「たとえば日本兵によるガマからの追い出し、食糧の強奪、住民殺害など皇軍の残虐行為を免罪しようとする意図がある。住民が犠牲的な精神によって『集団自決』を遂げ、皇国に殉じたという主張を浸透させたいのだ。これは、一九八八年二月の教科書裁判沖縄出張法廷でも明らかになっている。自由主義史観研の主張もこのような流れを受けてのものだろう」
「自由主義史観研は渡嘉敷島と座間味島の『集団自決』だけをみて、部隊長命令がなかった。だから軍命がないとしている。だが、重要なのは軍による直接の命令の有無でなく、大局的に当時の沖縄の社会状況や支配構造をみる必要がある」
-戦後六十年目にして「集団自決」の史実を書き換える動きをどう見るか。
「体験者や研究者、マスコミなどが長年にわたって実証的に記録してきた県民被害の実態を無視し、歴史の真実を否定している。有事法制の制定、自衛隊のイラク派遣、憲法九条の改正議論が起きている中、歴史を塗り替えようとする動きに警戒する必要がある」(社会部・平良吉弥)
あにや・まさあき 1934年生まれ。広島大学文学部卒。沖縄国際大学名誉教授。著書に「裁かれた沖縄戦」「沖縄の無産運動」などがある。