慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

日本国宗教の変化1(復習10)

2018年09月01日 | 宗教
日本人は何を信じてきたのか&神道の起源

古事記や日本書紀の宗教意識を探る
 ☆日本の神話=神々の物語+天皇家の系図
 ☆奈良時代に行われた国史編纂事業
 *古事記には神々による天地創造、国造りの神話、神武天皇から33代推古天皇まで記載
 *『日本書紀』天皇家の存在を明らかにしている
 *天皇家の先祖が国を造った神としている


日本列島は神々の総意で作られた 
 ☆男女2神による島造り
 *神代七代のペアとなった神々が誕生し、
 *最後のペアが男神。伊耶那岐(イザナギ)、女神・伊耶那美(イザナミ)です
 *これらの神々の国は「高天原」と名づけられる
 *高天原の神々は合議により、国造りをイザナギとイザナミに行わせることを決定
 ☆日本の神々は含議制、占い好き
 *日本の神話では、造物主が人々に直接、指示したり契約を交わすこともない
 *すべては自然にできたものだという暗黙の割り切りがある
 ☆死と戯れ夫婦げんか
 *イザナミは、火の神を産み陰部にやけどを負い、倒れ、汚物をまき散らします
 *汚物からも神が生まれる
 *イザナミは力尽き、死んでしまい、「黄泉の国」に入る
 *愛する妻が死んでしまうと、イザナギは原因となった火の神を斬ってしまう
 *斬られた火の神の血からも、刀の神、雷神、龍神が生まれた
 *夫婦げんかは一日に500人、人間が増えるという結論を生む
 ☆戯れと浄めにこだわったイザナギ
 *黄泉の国から戻ったイザナギは穢れた国に行ってしまつたことを悔やむ
 *川に入り、死者と接した「穢れ」を浄めるため顔を洗う
 *左目から太陽神「天照大神」
 *右の目から月の神「月読之命」
 *鼻からは「スサノオ」が生まれる
 *古事記では、神々は高天原という上空の世界にいるとされてる
 *「高天原」の神は「天津神」、地上の国「葦原中国」の神は「国津神」という
 ☆荒ぶる神、スサノオが起こした天の岩戸事件
 *イザナギの命を受け、アマテラスは昼の国、ツクヨミは夜の国、スサノオは海原を治める
 *スサノオは、母が恋しくて泣き暮らしていた
 *父のイザナギ怒り、スサノオを高天原を追い出す
 *お祭り騒ぎで光が戻る






スサノオとオオクニヌシの野心
 ☆スサノオ、八岐大蛇から草薙の剣を得る
 ☆日本を造った国津神、大国主命(スサノオの子孫から大国主命が生まれる)
天孫降臨とは
 ☆天津神と国津神の抗争は異民族の征服
 *オオクニヌシの活躍は、高天原の神々のあいだで問題となる
 *地上は、天津神が支配すべきとの理由
 *天と地の神は対決する
 *出雲大社に祀られた大国主命は、大黒天のなり民間信仰にも受け継がれる
 ☆古事記での天孫降臨
 *葦原中国を平定したアマテラスは、地上の国の統治責任者を派遣
 *天照大神の孫ヒコホノニニギを派遣する
 *天孫・ニニギは国津神・サルタヒコを先導に天から降りた
 *アマテラスはこの時、八処鏡・勾玉・草薙の剣を「三種の神器」として渡す
 *「三種の神器」が皇室に伝わったとされている
 *ニニギの子が昔話で有名な海幸彦・山幸彦


皇室のはじまり
 ☆初代神武天皇が征服事業を開始
 ☆日本の正統英雄伝説、ヤマトタケル
 *第十二代景行天皇の子
 *東国征伐に出たヤマトタケルは各地に伝説を残す
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』
日本人は何を信じてきたのか&神道の起源
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)





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仏教伝来・聖徳太子・大化の改新

2018年09月01日 | 歴史
仏教伝来・聖徳太子・大化の改新

生前退位がない時代には若い天皇はありえなかった
 ☆「天皇」という称号が最初に法的に定められたのは、701年の「大宝律令」
 ☆口語では、「てんのう」でなく「おおきみ」「すめらぎ」と呼んでいた
 ☆養老律令で外交では「皇帝」、臣下では「陛下」とするとされていた
 ☆皇位継承の原則は、男系というのは一貫している
 (例外を除き30歳を超えてから即位し、生前退位はなかった)
 ☆女帝は、推古天皇が初めてでなく、神功皇太后が1926年までは、最初の女帝だった
 ☆その時代、女帝はダメだという認識はなかった
律令制の家元だった北魏と隋
 ☆推古天皇の朝廷が派遣したのが、小野妹子の遣隋使
 ☆ギリシャ彫刻のようだった仏像が中国風に丸顔で柔和になる(飛鳥や天平の仏像)
 ☆日本文化のルーツは、中国の南北朝のうち南朝にある
 ☆政治機構の律令制度のモデルは、南北統一した隋帝国
 ☆中国の高句麗征伐の副産物で、中国・日本の国交が結ばれたのは日本外交的勝利
 ☆遣隋使が持参した国書の文言は、「東の天皇、敬みて西の皇帝に白す」
 *隋にとっても受け入れ可能な、よく練られた外交文書
 *隋は、外交で日本と連携するのは、重要な課題だったので我慢した
シルクロードにつながる地から唐は興った
 ☆唐を建国した李淵は、煬帝が殺されたことを知ると唐を建国した
 ☆中国では、唐時代、経済は成長し人口も増え、人々の生活水準は上がった
 *経済成長に見合うだけの税収構造が実現しなかった
 *均田制は与える田畑がなくなり崩壊し、府兵制も行き詰まる
 ☆仏教がもっとも栄えたのは隋の時代、唐の時代には道教が重視された
百済の滅亡と新羅のコウモリ外交
 ☆唐の時代、唐は新羅と組んで百済を片付けることにしたので日本は苦境に立つ
 ☆百済は、敵対する高句麗と和解し、日本・高句麗・百済同盟が成立した
 ☆孤立した新羅は、屈辱的な従属路線をとつて唐に百済攻撃を要請、百済滅びる
 ☆新羅は、唐との外交カードとして日本の脅威とか威光を上手に使った
 ☆遣唐使による唐との交流は、日本の発展に大きな成果をもたらした
 ☆百済からの仏教伝来で、日本で文明発展し、日本で文字が本格的に普及した
 ☆日本は、百済経由のものでは満足できなくなり、遣唐使を派遣する
 ☆遣唐使より、律令体制という統治システムを輸入したことも文明の吸収を加速した
聖徳太子は天智・天武にとって祖父の仇敵
 ☆欽明天皇のとき、百済の聖明王の使者が仏教を伝える
 ☆仏教を受け入&皇位継承で、蘇我氏と物部氏が対立し蘇我氏が勝利
 ☆推古天皇、蘇我馬子、聖徳太子のトロイカ体制で日本の政情安定する
 ☆推古天皇の時代
 *「冠位十三階」「十七条憲法」『国記』『天皇記』編集
 *遣隋使に小野妹子を派遣
 ☆推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子が、日本を一流国家への脱皮させた
 ☆仏教は、倫理性の向上、精神的な安定等、総合的に寄与することが評価された
 ☆三人の死後に、蘇我蝦夷・入鹿父子が突出し、反対勢力が起こした大化の改新
 (原因は、欽明天皇のあとの皇位継承)
 ☆聖徳太子は、天智・天武の祖父である押坂彦人大兄皇子の仇敵
中世天智天皇は神武天皇以上の存在
 ☆天智天皇には多くの子女があった (天智天皇の子、大友皇子が特に有能)
 ☆天智天皇の弟の大海人皇子(天武天皇)が継ぐことが既定路線
 ☆天智天皇の死後、壬申の乱が起こり、天武天皇の即位
 ☆天武天皇の後、天武天皇の皇后、持統天皇、草壁皇子の子である文武天皇
 ☆平安時代初期の桓武天皇や嵯峨天皇は、日本史上でもまれにみる強力な天皇
 ☆藤原氏の絶対的優位は、摂関時代になって確立した
光明皇后と藤原仲麻呂のめざした大国日本
 ☆聖武天皇とその皇后光明子は、仏教にこだわった国づくりをした
 ☆奈良に大仏を造営したり、「悲田院」「施薬院」を設けた
 ☆大仏は、日本の歴史の中で大きく長い成功をおさめ、国家統合の象徴となった
 ☆聖武天皇の娘の孝謙天皇に譲位すると、上皇よりも皇太后のほうが発言力が大きくなる
 ☆藤原仲麻呂は、孝謙天皇からも信頼され、淳仁天皇を即位させて絶対的な権力者となった
 ☆淳仁天皇は『日本書紀』を編纂した舎人親王の子
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『最強の日本史』


仏教伝来・聖徳太子・大化の改新(『最強の日本史』より画像引用)


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膵がんを「新ウイルス治療」で撲滅ヘ

2018年09月01日 | 医療
膵がん細胞をウイルスを応用して破壊する

青木氏らの世界初の大成果
 ☆がんの中でも難攻不落と呼ばれる膵がんは、手術不適応の進行がんで見つかるケースが多い
 ☆進行した肺がんや大腸がんで効果を発揮してる分子標的薬や免疫チエックポイント阻害薬
 (膵がんには歯が立たず、膵がんの5年生存率は10%未満)
 ☆打開策として、現在ウイルスを応用した治療法の開発が進んでいる
 ☆青木氏らが、がん細胞だけに感染するアデノウイルスを開発した
アデノウイルスを膵がんに直接注射
 ☆アデノウイルスは、膵がん細胞に入って爆発的に増殖してがん細胞を破壊する
 ☆がん細胞破壊で増殖したウイルスは、がん細胞に再び侵入し破壊を繰り返す
 ☆結果的に、がん細胞が死滅し、従来のウイルス療法よりも高い効果を得られた
がん組織の免疫環境の破壊も
 ☆構築したライブラリーシステムは、他のがんへの応用も将来的には期待できる
 ☆肺がんや大腸がんに対する分子標的薬も、1年程度で耐性を持つ
 ☆ウイルス療法は、がん細胞の遺伝子変異に関係なく効果を発揮する
 (遺伝子変異に関わらずがん細胞を破壊するアデノウイルス)
 ☆青木氏らはコメントする
 *がん細胞だけに特異的に侵入するウイルスは、応用範囲が広い
 *効果的な治療の乏しい膵がんで、新たな治療法の構築を目指す
 ☆新たな治療法の実用化の扉が、今開かれようとしている
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『THEMIS8月号』


膵がん細胞をウイルスを応用して破壊する(『THEMIS8月号』記事より画像引用)
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