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鎌倉幕府を倒したのは、後醍醐天皇か(1)

2021年10月18日 | 歴史
🌸鎌倉幕府を倒したのは、後醍醐天皇か

⛳北条時宗の時代に、幕府は「二つの派閥」に分かれた
 ☆鎌倉幕府を倒した人物の現在の定説
 *後醍醐天皇だと考えられているが、実際は本当違う
 ☆後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕を企てた際、実権は北条氏が握る
 *歴代の北条氏のトップは非常に優秀な人が多かった
 *八代執権の北条時宗あたりから、雲行きが怪しくなる
 *しかし、時宗が無能ではない
 ☆北条氏を傾かせる上で、時宗がトリガーなのは間違いない
 ☆時宗が北条氏の屋台骨を揺るがした理由
 ☆時宗の存命中、幕府が二つのグループに分裂した
 ☆1つ派閥の人々の政治・政策
 *御家人の利益だけではなく、日本全体の利益を考える
 *幕府は日本全体を政治的に治めるべきだと考えていた
 ☆もう一つの派閥の人々の政治・政策
 *鎌倉幕府、御家人からなる御家人による御家人のための組織
 *御家人の利益を守る政策が中心

「霜月騒動」勃発の裏側
 ☆両者の態度の違いは、元寇の後の恩賞問題などでも大きく分かれた
 ☆時宗の二つの派閥への対応は、時宗が上手に仲裁していた
 *時宗にしてみれば、両派閥とも非常に大事な存在
 *時宗が生きている間は、両派閥は直接対決しなかった
 ☆時宗が死後、両者は激しくぶつかり合う「霜月騒動」
 *「霜月騒動」鎌倉の時代を通して、最大の内乱となった
 *幕府では「日本全体を考えて政治を行おう」とするグループは減亡
 *幕府は御家人の利益しか考えない体制へと舵を切る
 ☆第九代執権北条貞時により出された「永仁の徳政令」
 *結果、社会全般における幕府の評判は悪くなる


鎌倉幕府への不満の末に生まれた「悪党」
 ☆不満を感じていたのが、鎌倉幕府の御家人以外の武士たち
 *結局、幕府に対して反抗的な行動を取る
 *そんな武士たちは、「悪党」と呼ばれた
 ☆「悪党」は、荘園で活躍していた畿内の影響力も強い武士たち
 *畿内は、貨幣経済が発達しているため、商人とのつながりも深かった
 *御家人たちは、関東の広大な平野で一生懸命農作業に従事する
 *悪党たちは、農耕のみならず商売も発展させ、力を持った
 *その代表格が楠木正成です
 ☆「悪党」たちに目を付けたのが、後醍醐天皇
 *後醍醐天皇は、幕府を倒すことは可能と考えた
 *後醍醐天皇は2回「幕府を倒そう」という活動を起こす
 *後醍醐天皇、一生懸命声を上げたものの
 *御家人を大切の鎌倉幕府の屋台骨は全く揺るがない
 ☆倒幕を企てたとして、後醍醐天皇は隠岐島に流された
 *後醍醐天皇は挫けず、鎌倉幕府を倒そうという強い意志を持ち続けた
                      (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『ほったらかし投資』




鎌倉幕府を倒したのは、後醍醐天皇か(1)
(ネットより画像引用)

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