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日本人のルーツ(日本列島集団の起源)2

2022年10月01日 | 歴史

🌸日本列島集団の起源(日本人のルーツ)2

⛳旧石器時代
 ☆日本列島に最初に現生人類が進入したのは約4万年前の後期旧石器時代

 *石器時代の遺跡は日本列島で1万ケ所ほど知られている

 *人骨は琉球列島を除いてほとんど見つかっいない

 *旧石器時代人の実像は、ほとんどわかっていない

 ☆沖縄本島や石垣島から見つかっている旧石器人骨

 *ハプログループM で6万年ほど前と考えられている

 *ハプログループMは、現時点では現代の日本人にはつながらずに消滅した

 ☆ネアンデルタール人もミトコンドリアDNAの解析で

 *絶滅した人類と捉えられている

 ☆日本列島の人類集団

 *旧石器時代後半~縄文時代にかけて形質的に連続している

 ☆縄文人のゲノムを知ることで

 *日本の旧石器時代人の遺伝的な特徴を類推することができる

縄文人のミトコンドリア系統
 ☆百体以上の縄文人骨のミトコンドリアDNA分析が行われている

 *明瞭な地域差が認められる
 ☆縄文人のミトコンドリアDNA、ハプログループはM7aとN9b

 *ハプログループは、現代では日本列島内に限って存在している

 ☆縄文時代より前の旧石器時代に日本列島に流入し人類、消滅してしまった
 ☆考古学の研究からは

 *縄文時代にも九州と沖縄のあいだに交流があったとされている

 *ミトコンドリアDNAの解析では、琉球列島と九州の系統

 *1万年はど前に分岐し、それ以降は混じりあうことがなかった

 ☆N9bの系統は複雑

 *現時点ではその系統樹から移住の状況を再現できない
 *基本的には北から日本列島に流入したと考えらている

 *又、朝鮮半島を経由した日本列島への進入の可能性もある

 *N9bの系統は、M7aのような単純な経路が推定できない

縄文人の地域差
 ☆縄文人の、ミトコンドリアDNAに見られる地域差の意味

 *縄文人が旧石器時代にさまざまな地域から入ってきた集団によって形成されている

 *私たちが想像する以上に集団の多異なる多数の集団が居住していた

 *地域間の人的な交流は限られていた

 ☆生態環境が大きく違う日本列島

 *狩猟採集民集団は均一化ではなく、地域による分化が進む方向に向かった

 ☆縄文人は。縄文時代に列島に居住した人々で

 *遺伝的に均質な集団であると考える必要はない

 ☆M7aとN9bの現代日本人に占める割合を見ると

 *M7aが7.5%程度、N9bは2.1%しかありません

 ☆縄文時代の人口は、東日本から北海道にかけての地域のほうが多かった

 ☆現代の日本人に受け継がれている縄文人のミトコンドリアDNA

 *西日本のM7aののほうが多いという事実は説明が難しい
 ☆現代日本人に遺伝的な影響

 *1番強く与えたと考えられる弥生時代の渡来人

 *在来の縄文人集団との混合の状況にある

                      (敬称略)                                     
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⛳出典、『人類の起源』

日本人のルーツ(日本列島集団の起源)2

(ネットより画像引用)


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