🌸戦国時代の英雄と剛毅な妻たち3
『要旨』
☆戦国時代、九州で名前を馳せたキリシタン大名大友宗麟
*宗麟は、豊後国を中心に、九州九カ国の内六カ国にまで影響力があった
*大友宗麟の離婚騒動、妻は八幡奈多宮大宮司の家系の娘
☆島津の侵攻から城を守った女性・妙林
*「耳川の戦い」で、大友宗麟が薩摩の島津家に敗れた
*この戦い以降、九州の覇権は大友の時代から島津の時代へと移る
*島津家は大軍を率いて、大友の本拠地豊後国に攻撃をかけてきた
*見事にこの城を守り抜いたのが吉岡妙林尼という女性
*島津軍三千人が攻めてきたとき、妙林は鉢巻きをしめて戦う
*妙林は女性ながら城をも守った人物として、大分では非常に有名
☆日本唯一の女性城主・立花闇千代
*大友家の重臣の一人であった立花道雪の娘・闇千代
*父、立花道雪は、武勇伝が残る程の名将
*大友家の重臣の一人であった立花道雪の娘・闇千代
*父、立花道雪は、武勇伝が残る程の名将
(立花誾千代女城主)
「吉岡妙林尼」「立花誾千代」「耳川の戦い」
(ネットより画像引用)
⛳大友宗麟を、パエリアを日本で最初に食べたキリシタン大名
☆戦国時代の九州で名前を馳せた大名は大友宗麟
☆戦国時代の九州で名前を馳せた大名は大友宗麟
*宗麟は、豊後国を中心に、九州九カ国の内六カ国にまで影響力があった
*有力大名、キリシタン大名としても有名
*日本で最初にパエリアを食べた人
☆大友宗麟の離婚騒動
☆大友宗麟の離婚騒動
*宗麟は、八幡奈多宮大宮司の家系の娘と結婚しました
*妻は、夫・宗麟がキリスト教に傾倒を快くは思わなかった
*双方、早く離婚したいと思っていたでしょうが
*宗麟が信奉するキリスト教カソリックは離婚を認めません
*その後、自殺騒動等で、離婚が成立したとのエピソードもある
☆宗麟はキリスト教との縁も深く、多くの南蛮船が豊後府中にやってきた
*宗麟の得ていた利益は、膨大なものだった
*南蛮との交易の中では、鉄砲などの武器も直接買い付けできた
☆宗麟はキリスト教との縁も深く、多くの南蛮船が豊後府中にやってきた
*宗麟の得ていた利益は、膨大なものだった
*南蛮との交易の中では、鉄砲などの武器も直接買い付けできた
*経済的な利益を潤沢に得ていた
*軍事的な謀略や政治的手腕がなくても
*大友宗麟、いろんな形で他の大名を圧倒する力を持っていた
⛳島津の侵攻から城を守った女性・妙林
☆大友による九州支配のパワーバランスが、 一変する出来事
☆大友による九州支配のパワーバランスが、 一変する出来事
*「耳川の戦い」大友宗麟が薩摩の島津家を相手に戦った争い
*耳川周辺で、大友は大敗、重臣たちがみんな討ち死にした
☆絶対的な九州の王者だと思われていた大友家の敗北
*耳川周辺で、大友は大敗、重臣たちがみんな討ち死にした
☆絶対的な九州の王者だと思われていた大友家の敗北
*この戦い以降、九州の覇権は大友の時代から島津の時代へと移る
☆耳川の戦いから8年後
☆耳川の戦いから8年後
☆島津家は大軍を率いて、大友の本拠地豊後国に攻撃をかけた
*見事にこの城を守り抜いたのが吉岡妙林尼という女性
*島津軍三千人が攻めてきたとき、妙林は鉢巻きをしめて戦う
*島津軍三千人が攻めてきたとき、妙林は鉢巻きをしめて戦う
*長引く戦いにお互いが疲弊する中、
*彼女は「私は殺されても仕方がない、城の兵たちを助けてくれ」と
*島津軍と和睦し和睦を結んだ両者は、盃を酌み交わす
☆豊臣秀吉の島津攻めで、大軍で九州へ押し寄せるという話が入る
☆豊臣秀吉の島津攻めで、大軍で九州へ押し寄せるという話が入る
☆それを聞きつけた妙林は、 一計を案じた
*和睦の印にと言い含め、島津たちにしこたま酒を飲ませた
*妙林はほろ酔い状態の島津軍を乙津川で待ち伏せし、奇襲をかけた
*島津軍は妙林とは和睦を結べたと思い込んでいたわけなので
*島津軍は妙林とは和睦を結べたと思い込んでいたわけなので
*攻撃され、大きな打撃を受けた
☆妙林は女性ながら城をも守った人物として、大分では非常に有名
*お土産物など様々なキャラクターにもなっている
⛳日本唯一の女性城主・立花誾千代(ぎんちよ)
⛳日本唯一の女性城主・立花誾千代(ぎんちよ)
☆大友家の重臣の一人であった立花道雪の娘・誾千代
*彼女は日本で唯一の女性城主として知られた人物
☆父、立花道雪は、武勇伝が残る程の名将
☆父、立花道雪は、武勇伝が残る程の名将
*大友を支えるすばらしい働きをしたため、北九州を任されていた
*博多は非常に大切な貿易拠点で、博多を守る城
*博多は非常に大切な貿易拠点で、博多を守る城
*立花道雪が治めていた立花山城だった
☆島津と大友が戦った耳川の戦いの時にも
☆島津と大友が戦った耳川の戦いの時にも
*立花道雪には博多を押さえる大事な役目があり参加していません
*もしも彼がいたら耳川の戦いで大友が負けることはなかった
☆耳川の戦い以降、大友の勢力は下り坂になっていくが
☆耳川の戦い以降、大友の勢力は下り坂になっていくが
*道雪は主である大友宗麟を一生懸命支え続けた
(敬称略)
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⛳出典、『愛憎の日本史』
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