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″徳川埋蔵金”、時価数十兆円の行方1

2022年11月23日 | 歴史
🌸″徳川埋蔵金”、時価数十兆円の行方1

 ☆江戸城が無血開城で、明治新政府軍は江戸城ヘと入城した
 *真っ先に向かつたのは城内の金蔵
 ☆大老・井伊が徳川幕府再興に集めた御用金があると噂されていた
 *新政府軍、この御用金を狙っていたが、そこに御用金はなかった
 ☆新政府軍は、幕府が御用金の探索を始めた
 *関係者は、御用金について口を割ることなく
 *中心人物は、斬首刑となってしまった

「元幕府勘定吟味役」が売り渡した”ある権利”
 ☆明治6年、群馬県、赤城山麓敷島村での発掘作業
 *おかしな一行が、山林をあちこち掘り返し始めた
 *指揮しているのが、金髪、碧眼の外国人だった
 ☆「あれは、隠し金を捜していたのだ!」と噂された
 ☆時価にして数十兆円はくだらない、莫大な徳川埋蔵金
 *元幕府勘定吟味役の中島蔵人
 *「赤城山麓にある徳川隠し金の採掘権」アメリカ人に売り渡した
 ☆中島は、中島の息子に打ち明けている
 *実際に御用金が埋められていること
 *埋蔵地点が赤城山中、津久田原付近であること
 *中島は、莫大な富の発掘を義子に託した
 ☆中島の息子は、義父の話をもとに資料を調べること5年
 *御用金が、いかなる方法で埋められたのか判明した

死刑囚を使い、人柱まで埋めて赤城山麓に御用金を隠匿
 ☆中島の義子の埋蔵金のいきさつに関しての説明
 *通商条約締結を迫られた徳川幕府
 *明治維新を前に混乱を極めていた
 *幕府の御用金を秘匿すべく動いた者は、大老井伊直弼であった
 ☆多額の金を隠した理由
 *井伊は、開国で多くの金が海外に流出しているのを危険視した
 *揺れ動く国内の情勢を呪んでの軍資金として用いるため
 ☆莫大な御用金の隠し場所として選ばれたのが赤城山麓
 *当時の一流のスタッフが集められた
 (勘定奉行、勘定本行吟味役中島、軍学者林)
 *口封じのために実際の作業には死刑囚を使う
 ☆埋蔵地点の封印のため
 *林は自らの長男国太郎を人柱として埋められた
 *厳重な秘術に守られ、御用金は赤城由に秘匿された
                     (敬称略)                                     
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『日本史・意外な話』




″徳川埋蔵金”、時価数十兆円の行方1
(ネットより画像引用)

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