🌸2度も流罪に処された日蓮の日蓮宗1
⛳数多く映画や舞台が作られた開祖日蓮
☆日蓮宗の宗祖である日蓮
⛳数多く映画や舞台が作られた開祖日蓮
☆日蓮宗の宗祖である日蓮
*親鸞などに比べると、 一般の評価、とくに知識人層の評価は高くない
*親鸞が、深く自己の世界に沈潜し
*親鸞が、深く自己の世界に沈潜し
*人間の抱える普遍的な苦や悪の問題に取り組んだ真摯な思想家に対し
*日蓮はひたすら他の宗派を攻撃した
*排他的で狂信的なアジテーターと見なされている
☆日蓮の実像
☆日蓮の実像
*戦闘的な宗教家というイメージと異なる側面が次々と出てくる
*少し前の時代までは、宗祖の中で日蓮はもっとも人気を集めていた
*少し前の時代までは、宗祖の中で日蓮はもっとも人気を集めていた
*日蓮が登場する歌舞伎の作品もある
*能楽にも日蓮が出てくるものがある
☆日蓮は、戦前から戦中
*国難を救う宗教家という側面がクローズアップされた
*『日蓮と蒙古大襲来』と『日蓮』の映画
*『日蓮と蒙古大襲来』と『日蓮』の映画
*制作した大映のプロデューサー熱烈な日蓮信仰をもっていた
*能楽や歌舞伎に登場する日蓮には、戦闘的な宗教家という面影はない
*戦前に、皇国史観と日蓮信仰を合体させた
*「日蓮主義」の運動が盛り上がりを見せた
*敵国を調伏し、日本を救う宗教家としての日蓮の姿が宣伝された
*日蓮のイメージが変わってしまった
⛳戦後の高度経済成長の時代の日蓮のイメージ
☆創価学会をはじめ、立正佼成会や霊友会といった
*日蓮系の新宗教、その勢力を急速に拡大し
*活発な布教活動を展開したことも
*日蓮のイメージを変えることにつながった
☆創価学会の会員は、「折伏」と称して
*他の宗教や宗派を猛烈に攻撃した
*その姿が、彼らが信奉する日蓮にも投映されてしまった
⛳「国が乱れるのは法然の浄土宗のせい」
☆日蓮は、膨大な量の書き物を残している
⛳「国が乱れるのは法然の浄土宗のせい」
☆日蓮は、膨大な量の書き物を残している
*書き手の人柄が伝わってくる書状が多く含まれている
☆他の宗祖の場合、浄土系の法然や親鸞がその代表だが
☆他の宗祖の場合、浄土系の法然や親鸞がその代表だが
*絵巻物によってその人柄が伝えられている
*絵巻物に描かれた宗祖は神格化されており
*それを実像としてとらえるわけにはいかない
☆日蓮宗で「遺文」と呼ばれている遺文のなかには、
*日蓮自筆のものも多い、それは「(御)真筆」と呼ばれている
☆日蓮宗で「遺文」と呼ばれている遺文のなかには、
*日蓮自筆のものも多い、それは「(御)真筆」と呼ばれている
*真筆でかなりの量があり、日蓮の人となりが伝わってくる
*それは戦闘的な宗教家のイメージに合致するものではない
☆日蓮は、天台宗の立場から法然を批判した
*『法華経』にこそ最高の教えが示されていると主張した
☆日蓮は、天台宗の立場から法然を批判した
*『法華経』にこそ最高の教えが示されていると主張した
*法然の依拠した「阿弥陀経』や「無量寿経』は
*「方便」の教えが示された経典、「不了義経」ということになる
☆日蓮は、その後、法然の浄土宗だけではなく
☆日蓮は、その後、法然の浄土宗だけではなく
*他の宗祖や高僧、宗派を批判するようになっていく
☆日蓮は、伝教大師最澄を高く評価し
*自分の仏典についての理解が最澄にもとづくものであるという
*立場を変えなかった
*日蓮は、最後まで天台の枠から外れることはなかった
*日蓮宗では、天台教学が重視された
⛳伊豆への流罪と、的中した予言
☆日蓮は、自分の考えを「立正安国論』という文書にまとめた
*『立正安国論』提出し、鎌倉幕府の最高権力者に直談判に及んだ
*日蓮自身、「海女が子なり」と記しているが
*遺文に示された文筆の才能や教養から考えると
*ただの漁民の家に育ったとは考えにくい
*かなり知的な環境で育ったのではないかという説もある。
☆日蓮の生涯30代後半になるまでのこと、明らかになってはいない
*日蓮は、30代はじめにかけて、延暦寺の学僧だった
*日蓮は30代半ばで、幕府がおかれた鎌倉に出てきた
☆日蓮の生涯30代後半になるまでのこと、明らかになってはいない
*日蓮は、30代はじめにかけて、延暦寺の学僧だった
*日蓮は30代半ばで、幕府がおかれた鎌倉に出てきた
*国が乱れるのは、間違った仏法を説く法然の浄土宗が
*巷に普及しているせいだと考えるようになる
☆鎌倉周辺の浄土宗の信徒は激しく日蓮を攻撃した
☆鎌倉周辺の浄土宗の信徒は激しく日蓮を攻撃した
*日蓮の時頼への訴えは、浄土宗信徒にとって
*自分たちを危険にさらすものに映ったに違いない
*結局日蓮は伊豆へ流罪になる
*結局日蓮は伊豆へ流罪になる
☆伊豆への流罪は2年で許される
*日蓮は、再度、鎌倉に出てくる
*日蓮の周囲には門人も生まれており
*その活動は広く支持されるようになっていくが
☆日蓮は、念仏宗だけではなく、空海の真言宗に対する批判を強めた
*周囲の宗教家と論争をくり広げるようになる
☆重要なことは、文永5日蓮の勢力を急速に拡大していた
*蒙古から鎌倉幕府のもとに国書が届いたことである
*幕府はそれを拒否するが
*それは蒙古襲来が高まったことを意味した
☆日蓮は、時頼に提出した『立正安国論』のなかで
☆日蓮は、時頼に提出した『立正安国論』のなかで
*浄土宗の流行を放置しておくならば
*日本は「他国侵逼難」と『自界叛逆難」に見舞われると予言していた
(前者は、日本への侵略、後者は日本での反乱)
*その予言は的中した形になった
*その予言は的中した形になった
☆多くの宗教家が神仏からのメツセージを取り次ぐ形で
*世の終わりが近づいているとする終末論的な予言を行ってきた
*そうした予言は、必ずや外れる
☆日蓮の場合には、偶然にも的中した形になった
*日蓮が蒙古の動向について何らかの情報を得た上で
*他国侵逼難を唱えていたとは思えないので
*これは偶然のことであったが
*日蓮の運命はこれで変わっていく
(敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『浄土真宗の檀家は多い』
『法華経』は佛教の生命
日蓮の軌跡と流罪場所(佐渡島・伊豆)
『日蓮の2度の流罪』『立正安国論』『創価学会』
(ネットより画像引用)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます