慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「エジプト・トルコ戦争」「クリミア戦争」「アロー戦争」

2023年05月10日 | 地政学
🌸「南」に向かいたいロシア3

エジプト・トルコ戦争(英仏に敗れて黒海方面を断念したロシア)
 ☆エジプト・トルコ戦争
 *エジプト人総督が、ギリシャ独立戦争で
 *オスマン帝国を支援した見返りに
 *シリアの領有権を求めた要求をオスマン帝国が拒否し起こった戦争
 *総督はシリアに出兵
 *二次にわたるエジプト・トルコ戦争が勃発した
 ☆エジプト・トルコ戦争でオスマン帝国は、ロシアを頼った
 *黒海から地中海へと進出したいロシア
 *オスマン帝国に貸しを作って損はない
 *ロシアはオスマン帝国支援という名目で
 *黒海と地中海を結ぶダーダネルス海峡に出兵する
 ☆第1次エジプト・トルコ戦争
 *ロシアを牽制したいイギリス・フランスも介入した
 *介入した両国はオスマン帝国と交渉
 *シリアや北アフリカをエジブトに割譲することを認めさせた
 *イギリス・フランスに要求を飲まされたオスマン帝国
 *ロシアと密約を結ぶ
 *ボスポラス・ダーダネルス海峡に関して、ロシアと密約を結ぶ
 *ロシアの独占的な航海権を認める代わりに
 *ロシアの支援を受けるというものだった.
 ☆第1次エジプト・トルコ戦争が勃発する
 *イギリス、 ロシア、オーストリア、プロイセンがオスマン帝国を支援
 *孤立したエジプト総督はあえなく敗戦
 *以後、エジプトは列強の干渉を受け続ける
 ☆2次エジプト・トルコ戦争
 *イギリス他4国は、ロシアとオスマン帝国の密約も破棄させた
 *ロシアは、イギリスの外交戦術により
 *地中海への足がかりを失ったも同然となる
 *ロシアはオスマン帝国に戦いをしかける
 ☆オスマン帝国
 *イギリスとフランスの支援を受けてロシアに対抗する
 *インドヘと通ずる道を確保したいイギリス
 *ナポレオン戦争の失墜を回復したいフランス
 *オスマン帝国の利害が一致した
 ☆断続的に続いているロシア・トルコ戦争の一環だった

⛳クリミア戦争(ロシア対英・仏・オスマン帝国)
 ☆イギリスとフランスがオスマン帝国を支持した
 *ロシア対イギリス、フランスの戦いとなった
 *イギリス、フランス、オスマン帝国同盟軍
 *黒海沿岸のロシアの軍事拠点クリミア半島に上陸する
 *以降、クリミア半島が主戦場となった
 ☆ナイチングールが看護婦として従軍したことでも有名な戦争
 ☆ロシア帝国対フランス、イギリス、オスマン帝国の同盟軍の戦争
 *近代史上稀にみる大規模な戦争だった
 ☆不凍港を求めたロシアの南下政策がもたらした戦争が定説
 *戦いは双方譲らず長期化した
 *オーストリア軍が、英仏に加勢しロシアは劣勢に転じた
 *ロシアは講和に応じぎるをえなくなる
 ☆ロシアはベッサラビア南部をモルダビア公国に割譲
 *ロシア・トルコ戦争で手にしたドナウ川河口自由航行となる
 *ロシア、黒海に艦隊を持つことまで禁じられてしまった

 ☆ロシアは、ロンドン条約とパリ条約得たエリア
 *ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡の独占的航海権
 *ドナウ川河口を失う
 *黒海沿岸に築いたはずの拠点を一気に失ってしまった
 ☆オスマン帝国と戦い
 *黒海から地中海方面の進出しようと努めてきたロシア
 *ロシアの南下政策は、大きく挫折した

⛳アロー戦争(英仏勝利に乗じて、ロシア不凍港を築く)
 ☆アロー戦争は、ロシアが直接関わった戦争ではない
 ☆南下政策を諦めきれないロシア
 *ロシアが、東アジア方面へと目を向けるきっかけとなった戦争
 ☆アヘン戦争でイギリスに敗れ、清は急激に弱体化した
 *ロシアはそこに付け込み、黒龍江流域に進出していた
 ☆イギリスはアヘン戦争後の南京条約で
 *清との自由貿易は、限られた港でしか取引を行えない
 *不満を抱いていた時アロー号事件が起こる
 ☆アロー号事件(アロー戦争)
 *イギリスにとり、清にさらなる不平等条約を迫る格好の口実となった
 ☆イギリス領事、アロー号事件はイギリスを侮辱する行為であると抗議
 *その直後にフランスと手を組み、軍事行動を起こした
 ☆英仏連合軍は広州から北上し天津付近にまで迫った
 ☆清国内では、太平天国の乱が起こった
 *南京に独立国家が成立していた
 *内憂外患となった清はまったく対抗できず
 *英仏に属することになった
 ☆天津条約で、清は南京条約で開いた5港に加え10港を開港他
 *アヘン戦争後に結ばれた不平等条約をますます拡大した
 ☆清国内で、この条約に反発する声が上がり、清は条約批准を拒んだ
 *英仏軍はふたたび進軍し北京を占領した
 *結局、英仏に敗れた清は、天津条約の批准に加えて
 *賠償金を増額することなどを定めた、北京条約まで結ばされる

アロー戦争の流れに乗じたロシア
 ☆英仏とは別にアイグン条約を北京条約を締結する
 *黒龍江左岸、および沿海州の領有権を清に認めさせ
 *沿海州にはウラジオストク港を開港する
 ☆黒海方面では挫折したロシア
 *英仏と清が戦ったアロー戦争にうまく便乗したことで
 *ようやく不凍港を築いた
 ☆これが、ロシアが東アジア方面に南下する道筋となる
                      (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『新地政学』



「エジプト・トルコ戦争」「クリミア戦争」「アロー戦争」
『新地政学』記事より画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「キラキラ橘商店街」「曳舟... | トップ | My English practical train... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

地政学」カテゴリの最新記事