🌸世阿弥の言葉(序)
⛳生きるためには言葉が要る
☆生きるための言葉を発見した時
*なにかがわかり、沈黙の世界の可能性にも気がつく
*それは、トルストイやパスカルが友の言葉となることもある
☆筆者は、矢来能楽堂で能楽事始めた(追善能鑑賞)
*矢来能楽堂は、普通の屋敷ふうの造り
*古風な門構えのお屋敷にお邪魔するという感じであった
*現在も矢来の能楽堂は、お屋敷の雰囲気を残している
☆追善能、二代目観世喜之が世阿弥作の『檜垣』の能を舞った
☆追善能、二代目観世喜之が世阿弥作の『檜垣』の能を舞った
*筆者には老女もの『檜垣』渋すぎて興味がわかなかった
*その後30年位経て『檜垣』が面白いと思った
☆『檜垣』の能の質感こそ
☆『檜垣』の能の質感こそ
*世阿弥の作品を読むことにつながる
*世阿弥の能楽論の読み方を教えてくれた
☆副地頭観世寿夫の声で聴こえる世阿弥の作品
*曖味なところがなく
*言葉は精緻に組み合わされた構造体になっていた
⛳観世寿夫
☆古今の能の役者のなかでも世阿弥について多くを語った能役者
*世阿弥が書いた芸術論を意識していた能役者であった
☆「舞に舞われる」とは
*自分が能を舞うのではなく
*四方から沸き立ってくる舞によって舞われるのだ
⛳舞の宇宙のなかに立って舞う
☆「舞に舞われる」は、クラシツク・バレエのピルエットでも同じ
*寿夫は、四方の無限のかなたから
*引かれる力のなかに立っていると言った
☆650年前に生まれた世阿弥の言葉が今も有効である
☆650年前に生まれた世阿弥の言葉が今も有効である
*それを教えてくれたのは観世寿夫という天才であった
⛳世阿弥の言葉を読めば
☆現代にも有効な生きるための糧があり、創造の糧がある
☆世阿弥は、「心から心へと伝える花こそが能である」と言った
☆それは世阿弥が書いた言葉にもあてはまる
*心から心へ、今へと
*世阿弥は生きるためのメッセージを伝えている
*「現在」に生きる世阿弥からのメッセージである
☆世阿弥は、その言葉を『風姿花伝』の伝書として残した
*世阿弥には肖像画すらない。姿を知らない。
☆世阿弥は、その言葉を『風姿花伝』の伝書として残した
*世阿弥には肖像画すらない。姿を知らない。
*世阿弥の言葉を読んでいけば、その姿も舞も見える。
*そう思って、世阿弥は言葉を残した。
⛳いかに舞うか。いかに戦うか。
☆孫子の兵法のように、世阿弥は戦い方までも書き残した。
*その言葉にオーラがある。生きることの呼吸がある。
☆世阿弥は言葉に対しても多分天才であった
☆世阿弥は言葉に対しても多分天才であった
*世阿弥ほどに身体芸術についてきちんとした言葉で
*考え方を残した役者は、世界史上にもいない
⛳演出家鈴木忠志氏、筆者にこう言った
☆「言葉を持たない役者はだめだ」
*役者でも俳優でもない私たちもそうである
☆知識と言葉は違う
*どんなに知識があっても言葉をもたなければ、
*知識は生きたものとして伝わらない。理解もできない
☆言葉をもつ。世阿弥はそれを実践して
*今も、私たちの心へ風とともに心の花を伝えている
(敬称略)
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⛳出典、『世阿弥の言葉』
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⛳出典、『世阿弥の言葉』
(世阿弥)
(桧垣「ひがき」)
『世阿弥』『観世寿夫』『檜垣』『風姿花伝』
『言葉を残す』
(ネットより画像引用)
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