🌸慶長の役
☆朝鮮での無為な戦いが豊臣政権崩壊の引き金に
⛳安土桃山時代の慶長の役
☆文禄の役での和平交渉に激怒した秀古は再び朝鮮へ侵攻する
*今回の目的は明への侵攻でなく、朝鮮半島の南部割譲
☆序盤は14万の軍勢を引き連れた日本軍が快進撃を続けた
☆朝鮮での無為な戦いが豊臣政権崩壊の引き金に
⛳安土桃山時代の慶長の役
☆文禄の役での和平交渉に激怒した秀古は再び朝鮮へ侵攻する
*今回の目的は明への侵攻でなく、朝鮮半島の南部割譲
☆序盤は14万の軍勢を引き連れた日本軍が快進撃を続けた
*李舜臣の復活と明・朝鮮軍の反撃で形勢は大きく変わる
*苦しい展開を迎える
☆長期にわたる海外での戦で兵たちも疲弊していた
☆秀吉が病死したことで侵攻は打ち切りになった
*何の成果もないまま、朝鮮侵攻が終結した
⛳拠点として「倭城」を築く
☆朝鮮出兵で日本軍が築いた城を「倭城」と呼ぶ
☆朝鮮出兵で日本軍が築いた城を「倭城」と呼ぶ
☆倭城は釜山周辺の日本海沿いに集中して築かれた
*文禄・慶長の役を合わせて30を超えた
☆日本軍の拠点であると同時に補給路を確保する役割が大きい
☆直接城内に出入りする港と、大軍が駐屯できる外郭を持つのが特徴
☆城は、天守なども備えており、築城技術の高さがうかがえる
☆城は、天守なども備えており、築城技術の高さがうかがえる
⛳苦戦が続く日本軍
☆開戦当初に日本軍は進軍するが
☆開戦当初に日本軍は進軍するが
*その後は倭城に立て籠もり守勢が続いた
☆朝鮮・明軍は築城中だった蔚山城を大軍で攻撃
*城番だった加藤清正は落城寸前まで追い込まれる
*援軍の来援によって九死に一生を得た
*他の城でも、籠城戦が繰り広げられたが、日本軍が死守している
☆海戦も何度か行われ、李舜臣は何度か撤退しながらも
*最後まで日本軍への抵抗を続けた
⛳勝軍の将・李舜臣(りしゅんし)
☆朝鮮の国民的英雄
☆文禄・慶長の役で朝鮮水軍を率いて活躍した将
☆一度は、失脚させられるも復職し
☆朝鮮の国民的英雄
☆文禄・慶長の役で朝鮮水軍を率いて活躍した将
☆一度は、失脚させられるも復職し
*再び侵攻した日本軍を苦しめる存在となる
☆秀吉の死後、日本軍が撤退する際に襲撃をかけて交戦した
* その最中で銃弾に貫かれて戦死した
☆救国の英雄として現在も朝鮮で人気を集めている.
🌸関ヶ原の戦い
☆次の天下人を決めた天下分け目の戦い
⛳安土桃山時代の関ヶ原の戦い
☆秀吉の死後、家康は急速に勢力を拡大した
⛳安土桃山時代の関ヶ原の戦い
☆秀吉の死後、家康は急速に勢力を拡大した
☆石田三成は家康は排除すべきだと感じていた
☆石田三成は、大老の毛利輝元を総大将に据えて挙兵
*三成率いる西軍と家康率いる東軍は関ヶ原で激突する
☆布陣としては西軍が優勢だったが、
*開戦しても西軍の小早川や毛利は軍を動かさなかった
*三成率いる西軍と家康率いる東軍は関ヶ原で激突する
☆布陣としては西軍が優勢だったが、
*開戦しても西軍の小早川や毛利は軍を動かさなかった
*これは戦前に家康が書状にて内通工作をしていたためである
☆小早川秀秋が東軍に寝返ったことで西軍は崩れ
*東軍が天下分け目の戦いを制した
⛳じつは不利だった東軍の布陣
☆家康の上杉征伐の隙をついて挙兵した三成ら西軍
⛳じつは不利だった東軍の布陣
☆家康の上杉征伐の隙をついて挙兵した三成ら西軍
☆西軍は、当初東海ヘの侵攻を計画していた
*西軍の要衝だった岐阜城が落城したことで計画を断念
*大垣城に入城する
☆大垣の地に家康が着陣する
*西軍主力は街道を押さえるため関ヶ原の地へと移動する
*西軍主力は街道を押さえるため関ヶ原の地へと移動する
*関ヶ原の布陣、西軍の主力部隊に東軍がはさまれている
*東軍は、毛利軍の吉川広家はすでに内応に応じていた
*東軍は、毛利軍の吉川広家はすでに内応に応じていた
*家康は正面の西軍に対して決戦を仕掛ける
⛳勝敗を分けた小早川秀秋の裏切り
☆戦い後、しばらくは一進―退の攻防が繰り広げられた
☆戦局を動かしたのは小早川秀秋だった
*秀秋は家康の鉄砲におののき寝返ったと伝わるが
*最初から東軍方だった
☆合戦終盤、島津義弘隊東軍へと突撃し、敵中突破をはかった
☆合戦終盤、島津義弘隊東軍へと突撃し、敵中突破をはかった
⛳勝軍の将・徳川家康
☆三河に生まれ、幼少期から織田氏、今川氏の人質となる
☆三河に生まれ、幼少期から織田氏、今川氏の人質となる
☆桶狭間の戦いで主君の義元が討たれたことで自立し
*その後信長との同盟を結ぶ
☆信長死後は秀吉に与し
☆信長死後は秀吉に与し
*北条氏減亡後は関東移封を受け入れた
☆秀吉死後、五大老筆頭として豊臣家を支える一方自勢力を拡大した
☆三成に反発する秀吉恩顧の武将を上手く束ね
*関ヶ原の戦いに勝利した
*関ヶ原の戦いに勝利した
(敬称略)
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⛳出典、『日本の合戦』




安土桃山時代7(慶長の役・関ケ原)
(『日本の合戦』記事より画像引用)
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