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ロシアの南下と東方問題9(革命の時代)

2021年02月25日 | 歴史
🌸ロシアの南下の野望と挫折

ロシアは、冬に身動きがとれない
 ☆モスクワ遠征のナポレオンを破ったロシア、ウイーン会議の主役
 *ロシアは、南下政策を本格的に進める
 *ロシアは、冬になると港が凍りつき、軍事行動も貿易もできなる
 *ロシアにとり、凍らない港の獲得は「悲願」だった
 ☆南下の最短距離、黒海から地中海への出口
 *オスマン帝国が支配していた
 *オスン帝国からこの2つの海峡を奪わなければ海に出れなかった
 *ロシアは、セルビア、ルーマニア、ブルガリアなどの国々に目を付けた
 (オスマン帝国に支配されている地域)
 *独立したいう意思を持っていた小国をロシアは味方につける
 *オスマン帝国を動揺させ海峡を得ようとした(「東方問題」)
 ☆ロシアはオスマン帝国の紛争に介入
 *港を得ようとしたがうまくいかない
 ☆ロシアは、自ら戦争をオスマン帝国に仕掛ける(クリミア戦争)
 *大国ロシアに正面から襲いかかられたオスマン帝国
 *イギリスとフンスに救援要請を出す
 *イギリスとフランスは、お互いにライバル国
 *ロシアが凍らない港を得て「鬼に金棒」となることを恐れた
 ☆イギリスヴィクトリア女王、フランスナポレオン3世のタッグチーム
 *タッグチームに、戦史に残る激戦の末、ロシアは敗北した
 *両海峡はおろか、黒海にロシア海軍が置けないとい条約が結ばれた
 ☆戦争を主導した皇帝ニコライ1世衰弱し失意のうちに死亡する

ロシアは、英仏との力の差を埋めるため、改革を断行
 ☆皇帝アレクサンドル2世、クリミア戦争の敗戦の原因
 *ロシアの産業革命不十分と考えた
 *ロシアとイギリスやフランスとの間には、軍備に大差があった
 ☆アレクサンドル2世は国内の改革に乗り出す
 *着手したのが、農奴の解放
 *「領主の農奴」を解放しやる気のある自営農民に変えようとした
 *農奴解放令は、農民たちに「お前たちは自由だ!」と言っただけ
 *農民は、土地を自分で買わなければならなかった
 ☆土地を買うお金のない農民
 *農村共同体から農地を借りて細々と耕作する
 *農民にとり、不満の残る改革だった

⛳ロシアの野望を再び阻止したドイッ首相
 ☆徴兵制を実施して産業化を押し進めたロシア
 *オスマン帝国に戦争をしかけ、クリミア戦争のリターンマッチを行う
 *ロシアが勝利をおさめた
 *ルーマニア・セルビア・モンテネグロ、ブルガリアを独立させる
 (オスマン帝国にそれを承認させた)
 *結果、ロシアに「凍らない港」を得る
 ☆ロシアを危険視したドイツの首相のビスマルク
 *オーストリア、イギリス、フランス等の同意をとりつける
 *サン=ステファ条約に修正条項を加えるよう要求した
 (地中岸の領地をオスマン帝国に返還させる)
 *「ロシアが国づたい地中海に到達できないように」させた
 ☆ロシアの野望再び挫折した

西からの南下ルートを諦め、東ヘ
 ☆地中海方面への強引な進出をロシアは方針転換
 ☆東アジア方面からの南下するシベリア鉄道を起工した
 ☆東アジア方面の凍らないを得ること
 *日本と満州や朝鮮半島の主導権を取り合うことを意味する
 *日露戦争は、ロシアの方針転換により引き起こされた
 *日露戦争に敗北したロシア
 ☆再び地中海方面での南下政策を図り、第一次世界大戦が勃発した
                     (敬称略)
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⛳出典、「世界史の教科書」

ロシアの南下と東方問題9(革命の時代)
「世界史の教科書」記事より画像引用)

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