タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

みんなで一緒に道普請です

2008年02月15日 | 山歩きから
 観察地の裏山への入り口には笹が茂っていました。登山の度に利用するところなので昨年も道を広げるよう笹を刈ったのですが、一年すれば茂ってきて、元の状態に戻ってしまいました。この道を利用している電力会社の人も、何故かここには手をつけないのです。



 そこで今朝みんなで笹を刈りました。作業と言っても機械力があるわけではありません。剪定ばさみや鎌で笹を刈るだけ、文字通りの手作業です。しかし、作業は多人数です。あっと言う間に小さな広場ができるくらい切り払いました。

 この広場は「イノシシの踊場」と命名しようか、などと勝手なことを言いながら作業を済ませました。これで雨の日でも傘をさして通過できます。

 この広場の前の木はオオルリのソングポストになるところです。今年の夏は足場を気にしないでオオルリを見ることが出来そうです。

風花が舞っていますが、、、、、

2008年02月14日 | タカの渡り観察
 今日のタカ長の団地はほとんど終日風花が舞っていました。冷たい風も吹いていました。しかし、団地のそばの木立ではシジュウカラがさえずっていました。春はすぐそこに来ているのでしょうか?



 寒さに負けないで多くの人が歩いています。もちろんタカ長も例外ではありません。歩け歩け、健康のために歩け。



 ところで今日はバレンタインデイ。皆さんのところにチョコレートが届きましたか?

 タカ長のところはバッチリです。誰から?
 それは内緒です。女房殿からではないことだけお知らせします。

観察地の空

2008年02月13日 | バードウォッチング
 今朝の団地はすっかり白くなりましたが、チョッと遅めに散歩したら雪は解け始めていました。日の光は確実に春に向かっています。



 団地から見る観察地の空です。タカ長は自宅から歩いて行けるところに観察地を持っています。このように恵まれたホークウォッチャーは全国探しても多くないでしょうね。タカを見ることを前提に買った家ではないのですが、、、、



 団地のはずれから見る我が観察地のドル箱、通称A山です。



B山の斜面も白くなっていますが、この雪も今日のうちには解けるはずです。

観察地の空は晴れていました。春色の空、この空にまもなくノスリが帰って来て春の渡りが始まります。

冬芽も膨らんできました

2008年02月12日 | 日々雑感
 広島市植物公園の「樹木ウォッチング」にふらりと出かけました。が、ボランティア講師の説明は良く分かりませんでした。講師が悪いのではなく、タカ長の頭にその準備がないからです。



 これはクマシデの冬芽です。大きくなってきました。シデの仲間の話を説明されていましたが、タカ長の頭には入りませんでした。野鳥ばかり探していました。

 アトリの群れがいました。8倍の双眼鏡で楽しまれる距離にたくさんいました。オスもメスも識別できました。受講生の一人が「あれは何ですか?」と言われたので「アッ・トリです」と答えたら笑い声が聞こえました。



 アセビの花も咲き始めました。もうすぐ渡りの季節です。しかし、ノスリやハイタカ属の渡りの時期はまだまだ寒いですね。

 いずれにしてもあと少しの辛抱です。

春の海を眺めながら、、、、

2008年02月10日 | タカの渡り観察
 恒例の冬の陽だまりハイク、行き場所も恒例の呉線沿線の山。北国は雪ですがここでは、すっかり明るくなった陽の光が射していました。



 広島湾の海を遠くに望みながら500m級の山に登って昼食、230mの茶臼山城跡を目指しておりました。その山城跡は公園になっています。



 手前のサクラが咲くのは4月になるのでしょうが、ここはタカの渡り観察の適地ではないかと思いながら休憩しました。ここにはシッカリした展望台もあります。



 展望台から見ると広島市の市街地は目前、遠くにタカ長の観察地のある山も見えます。春タカ長の観察地を通るタカはここは通らないでしょうが、広島の市街地の上空を渡るタカはキャッチ出来るのではないか、と期待をこめて見ていました。

 ハイキング中見た鳥は少しだけでした。冬鳥ではジョウビタキとシロハラくらい。いやもう一つキクイタダキが枝移りしながら、私のすぐ前、手の届くところまでやって来ました。足元ですから頭のてっぺんもバッチリ見えました。

 あのキクイタダキはタカ長の存在をまったく無視していました。こう言う無視のされ方は大歓迎ですね。ラッキー、ラッキー。

未開の観察地

2008年02月09日 | タカの渡り観察
 チョッとした必要があって三つの報告書を読んでいます。昨年3月に行ったマレーシアのTanjung Tuanでの観察記録ですからもちろん横文字、50年前の英語力で悪戦苦闘しながら読む努力だけはしているのです。しかし、なかなか読めません。

 そのような状態の中から少しずつですが分かってきたこともあります。そのことの一部を紹介します。

 1950年代からハチクマがインドネシアのスマトラ島からマラッカ海峡を横断してマレーシアの西海岸に渡って来ていることがしられていました。このことは3誌とも触れていますが、その後の継続的な調査は行われていないようです。

 アメリカの研究者3人(うち一人は世界最初のサンクチャリー、ホークマウンテンのひと)が2000年と2001年3月に合わせて26日間の調査をしています。これが私の読んでいる報告書の一つです。

 2000年から同所でマレーシア・ネイチャー協会(MNS)の手でラプター・ウォッチ・ウイーク(RWW)と言うイベントが行われるようになり、それに呼応してハチクマの観察も始まったようです。しかし、シッカリとした報告書の形で公表されたのは2006年と2007年の観察記録で、この二つも手に入れています。

 以上3誌ともシッカリ書かれた報告書ですが、その内容にはばらつきが見られます。例えば観察されたハチクマの数です。

  10648  2000年・2001年アメリカチームが観察して2年間の合計

  18646  2006年のマレーシアネイチャー協会の記録

  24407  2007年のマレーシアネイチャー協会の記録

 たった一日ですが現地で観察した経験から言って、ハチクマを見落とすことは考えられません。すべてが8倍程度の双眼鏡での観察出来る距離ですから。つまり年によってこれだけの差があると言うことです。

 次に渡り期間の問題です。

 ここでは1月下旬から4月の第一週くらいまでタカの渡りが見られるようです。しかし、調査期間は3誌を総合しても

  2月25日   2006年 マレーシアネイチャー協会
     から
  3月22日   2000年 アメリカチーム

 つまり、65日間に及ぶ渡り期間のあいだのうち中間の1ヶ月間くらいしか調査がされていないと言うことです。ハチクマを主体にした調査だから仕方ないのでしょうが、これでは渡りの全容をつかむことは出来ません。

 日本でもハチクマの渡りとノスリやサシバ、ハイタカ属の渡りシーズンは同じではありません。同じようにマレーシアでもハチクマの前や後に渡るタカがいるはずです。数的に一番多いクロカッコウハヤブサはハチクマの後にピークを迎えます。

 それらを調べるためには長期間の調査が必要なのですが、長期調査をするためには多くのエネルギーが必要です。机上の空論だけでは解決できません。
 現場で観察するにはまず人が要ります。MNSでは2006年には16名、2007年には21名の人が調査されています。しかし、暑いところで長期間調査するにはまだまだ観察者も必要でしょう。彼らとてタカ長のように自宅から歩いていける所に住んでいるわけではないでしょうから、長期調査のためにはクリアしなければならない問題は多々あるはずです。
 しかし、何とか努力して調査をして欲しいのです。

 間違っても誤解しないで下さい。タカ長はマレーシアネイチャー協会の取り組みを批判しているのではありません。彼らも長期調査の必要性は十分認識されているので、色々な問題がクリアされれば調査期間も広がるはずです。その日が待ち遠しいだけなのです。

 半世紀も前からその存在が知られている渡り観察地ですが、その全容は未解明のまま残っていると言っても過言ではないようです。まさしく未開の観察地、その観察地の様子が明らかになる日が一日も早いことを願っています。






ベトナム行きが近づいています

2008年02月08日 | タカの渡り観察
 ベトナム行きが近づいています。あと50日。時間があると言えばあるのですが、しかし、自分なりのテーマを持っていくとなると話しは別です。

 今回のベトナム行きの第一目的はARRCNのシンポジュームに参加することです。本音は別かも分かりませんが、少なくとも建前ではそれが第一目的です。しかし、出席はしますが研究発表などは何もしません。単なる参加者、冷やかしと言えば叱られるかも分かりませんが、一生に一回くらいはタカ関係の国際的シンポジュームを見てみたい、と言う程度の気持ちなのです。

 しかし、日本からも参加者がおられますし、事務局には事務局の考えがあるようで、100%部外者気分では良くないような雰囲気になってきています。公式な場では何もしませんが、非公式なところではコーヒーでも飲みながら渡りの話をする程度の準備はしておかないと会場から逃走しなければならなくなりそうです。

 と言うのは少しオーバーですが、タカ長に出来る簡単な準備はすることにしました。簡単な準備ですが、日本語と言うわけにはいきません。またまた50年前に習った英語と格闘することになりそうです。

 そのためこのブログの更新頻度が永くなるかも分かりません。ご容赦ください。

 その代わり帰国したら土産話だけはアップさせて頂きますから。

ここは何処でしょうか?

2008年02月07日 | 日々雑感


 ここは何処でしょうか?

 花の都パリの〇〇美術館の中庭、と言いたいのですが、タカ長はパリなど行ったことがありません。花の都は夢のまた夢、どこかよその国の話です。

 正解は広島県三次市の「奥田元宋・小由女美術館」です。この水に映る月を鑑賞できるように建てられています。元宋さんの作品「待月」からアイディアを得た造りのようですね。

 と言うことは、同じ行くなら中秋の名月の日に行くべきなのでしょうが、その頃はハチクマの渡りのシーズンでもあり、実現するのは難しそうです。しかし、中秋の名月の日でなくてもチャンスはあるわけですから、一度くらいこの水に浮かぶ月を見たいと考えています。

山は雪です

2008年02月06日 | タカの渡り観察
 麓には雪がなくても、山に登れば雪一杯です。今日の裏山歩きは、登り始めには雪が降りましたが、目的地に着く頃は晴れ間が広がり、杉林の雪にも光が降り注いでいました。



 この杉林でルリビタキに逢いました。若オスと思われる個体ですが、何しろちょこまか動き回るのでゆっくり見ることが出来ませんでした。



 山の雑木林の雪は解け始めていました。このあたりの雪は降れば積もり、晴れれば解けると言うことを繰り返しながら春を迎えるのでしょう。

 

 まだ芽は固いのですが、日差しだけは確実に強くなっているので、やがて新芽の春を迎えることになるのでしょう。その頃には近くのサクラも、平地より三週間くらい遅れて満開を迎えます。

 光の春、そして私たちには「渡りの春」が待ち遠しいですね。

結果オーライではいけませんね

2008年02月05日 | 山歩きから
 所用があって家内の実家に帰ってきました。その雑用のあいだ、恐羅漢山での遭難さわぎを時々テレビでチェックしていました。

 多くの人を騒がせた今回の遭難でしたが、人的な被害がなかったのは不幸中の幸いと言えるのでしょう。この大きな幸いは、彼らが山で作業小屋みたいなものを見つけて、その中に避難できたことでしょう。風雪の山で迷って思わぬ方向へ下りたのですから、その小屋を目指して行ったのではないと思うのです。ラッキーだったと言うこと、つまり結果オーライ。

 タカ長は何度もその山に登っています。特に若い頃は頻繁に登り、その頃は山道の何処にどのような形の岩があるとか、そのようなことまで頭に入っているのではないかと思っていたほどです。

 その経験から言えば、あの稜線に不用意に入ってはいけないのです。一行は経験者だと言われていますが、私は人の経験は自然の前では非常に小さいものだと思っています。ニュースで当事者の人が「山を甘く見ていた」と言うコメントをされていたようです。その通りなのです。

 人騒がせな人たちだと思いましたが、そのコメントを聞いてほっとした思いがしました。彼らは「結果オーライ」ではいけないことを心底分かった、と思えたからです。

 今も細々と山に関係しているタカ長、今回の事故を他山の石として、自分たちはひと様に迷惑をかけないようにしようと自戒しているところです。