武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

アメリカにサラが彗星のように現れた。 日本と韓国の文化の違い

2008年08月31日 | 人生の意味
アメリカ。
大きな第三の波が湧き上がってきた。
アラスカ州女性知事サラ・ペイリン(44)が彗星のようにアメリカに登場した。
見るからに知的、落ちついた雰囲気、そして美しさを兼ね備えている。
9月にイラクへ歩兵として派遣される息子が誇りだと強調し、夫と娘を紹介した。 また、アラスカ州知事として州兵部隊の最高司令官を務めるほか、キリスト教徒として人工妊娠中絶や同性婚に反対する「保守派」である。
今年4月に5人目の子供は胎児の時からダウン症だと分かっていたが、中絶することなく出産した。 「神は意味の無いことはしない」と言う。
こういうタイプにアメリカ人は弱い。 アメリカ人の清教徒としての原型を見るのだ。勇気、愛、強さ、そして清らかさにアメリカ人の理想を見る。
マケインとサラのこれからの闘いが焦点になってくるが、現状ではオバマに暗雲が立ち込めてきた。 オバマが選んだバイデンは、30年前の冷めたハンバーガーだが、マケインが選んだサラは、言ってみれば、フライパンで焼き上げたばかりの熱々のオムレツとアップルパイだ。
サラ旋風が吹きそうな予感だ。

韓国と伊藤和也さん(アフガンで殺害された事件)。
韓国の有名新聞が次のような論説を載せた。 少し長いが抜粋すると、

【日本において、伊藤さん殺害に対する怒りの表現の仕方、事態の扱い方は韓国とはかなり異なっている。最も目につくのは、誰も関係者に対して責任を問わないという点だ。新聞やテレビをいくら探しても「責任」という単語が出てこない。政府は何をしているのか、なぜ行ってはならない地域に行って国民を心配させるのか、というような意見がどこからも出てこない。野党もしかり、市民団体もしかりだ。
韓国では、2004年の拉致殺害事件と07年のキリスト宣教団拉致事件の際、韓国社会は日本と異なり、政府の責任だと大きく騒いだ。
日本には、拉致問題に国全体が関心を持つという姿勢がない。
朝日新聞は社説で、「悲しみを乗り越え、出来る範囲でねばり強く活動を続ける。それが伊藤さんたちの志を生かす道だ」と言い、この問題に対する日本社会のムードを代弁しているかのようだ。日本社会は元来こうではなかった。 日本人がイラクに入国して武装団体に拉致された際、日本ではこの事件を契機に、「個人責任」の原則が主流を占めるようになった。政府はこの事件から、拉致救出に伴う費用を請求している。
現在の日本社会は「学習機会」に学習したおかげで、こうした事件に対する対応方法を身に付けたようだ。】

この韓国の有名新聞を読んで思ったことは、韓国は日本という国をあまり理解していないということと、両国の精神文化の溝を感じた。
まず、今回の事件は多くの日本人は深い悲しみを感じている。
ただ、いたずらに声を大きくして騒がないだけだ。 安っぽい同情ではなく、真摯な哀悼の心だ。 声高に誰かを責めることに、この事件の本質はない。
中村医師も伊藤さんも、十二分に危険を認識していたはずだ。 中村代表は、苦渋の顔を見せて、「私の判断が甘かった」と悔やんだが、同時に、「こんなことでは引き下がらない、伊藤君の意思を継ぐ」 と言い切った。
「日本は拉致問題に国全体が関心を持つ姿勢がない」 という批評は全く当たらない。例えば、北朝鮮による拉致問題、日本中が大変な関心を持っている。だから現在、朝鮮とは国交断絶状態だ。 韓国は同じ朝鮮拉致では自国の韓国人が100人単位で拉致されているというのに、ほとんど問題にしていない。
また、日本はイラク拉致問題で 「学習」 したのではなく、江戸時代以来の日本文化の表れなのだ。 それは、恥を知る文化、名誉を重んじる気風、強き者は弱き者を助ける、つまりサムライの精神文化なのだ。
故・司馬遼太郎は説く、「江戸時代の武士階級は、町民に尊敬されていた。なぜなら、その見識、行儀作法と美学は圧倒的な精神文化だった」。
日本には、韓国のように騒いだ方が得だ、という文化は無い。
また、実行するときは、静かに、まなじりを決して不退転の決意だ。
(ムラマサ、鋭く一閃)

コメント
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