武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

小泉進次郎と滝川クリステル、秘められた愛。

2019年08月08日 | 人生の意味

★小泉進次郎と滝川クリステル。

父、純一郎の別れた奥さんは青学だったんだよね。
3人の息子ができたが、一番下の息子は別れた妻が引き取った。
そして、その三男が父ライオン丸に一番似ているという。

小泉家の血がクリステルのような青学女子に魅入られるのか、それとも青学ハイヒール女子が男を惑わすのか。
クリステルは法律で縛られた結婚より、信頼しあえる恋愛が理想と自著で語っているが、それって日本男子の解釈では、都合のイイ女?

クリステルは青学の仏文卒で、フランス語はパリジェンヌ級だが、実は、フジテレビの女子アナの最終面接まで通っている。
余りに妖艶なので落とされた?
ただその後、フジの夜のニュースキャスターを7年やっているから、フジも諦め切れなかったということですね。

俺も青学女子とつき合いてェ (笑)

 

★テレ朝、報道ステ。
昨晩、コメンテーターの後藤謙次が強烈に進次郎を批判しましたね。
「私が官邸から聞いた話では、官邸で長い時間、結婚会見をやったのは、まずいニダ」

それはテレ朝(朝日新聞)の印象操作ですね。
ニュースバリューがないと思えば扱わなきゃいいし、取り上げても短時間の放送にすればいいだけの話。


ところで、
富川さんの影がますます薄くなってますね。
逆に徳永さん(うっちゃんの女房)が番組を仕切っている。(笑)

 

★TBSニュース23の星浩。
進次郎をつかまえて、「安倍さんは進次郎さんを評価してないニダ」と、したり顔で小泉批判をやってましたね。

評価していなければ、何を評価していないのかを明らかにすべきで、テレビという大きな媒体で、感情的に罵るのは印象操作であり、下品というものです。


ただ、進次郎の場合、学歴がねえ~
親父のコネで、慶応に入れてもらえば良かったのに。
ただ、クリステルを女房にしたのは、進次郎にとって、大きな武器をゲットしたことになった。

 

★大阪の吉村洋文知事。
「あいちトリエンナーレ」の実行委員会会長である大村秀章知事について、「辞職に値する」ときっぱり。

さらに、慰安婦像と、昭和天皇の御写真を燃やした映像が展示されたことに、「反日プロパガンダであり、芸術の美名の下、公共施設が政治主張の場になった」

 
吉村さん、カッケイイ。

 

★朝日新聞。
朝日の大西若人、「抗議殺到し展示中止、悪しき前例、難しい社会に進んだ」

おいおい、難しい社会?
日本は世界でも稀な公平で正義の国です。

しかし、展示中止は当然です。
やりたければ、自分らのカネで、民間ホールを使って展示すればいい。
そうであれば展示中止には追い込まれなかった。モラルの問題はあっても。
憲法で規定された日本の象徴であった昭和天皇の写真をバーナーで焼く映像を公共のホールで展示することなど絶対に許されません。

朝日新聞とサヨクは護憲ではなかったのか。(笑)
ただ自分らの鬱憤を晴らしたかっただけ?
下品です。

ちなみに朝日新聞は今回の展示会にカネを助成しています。
ですから津田大介とグルです。

 

★ソウルの日本大使公邸前。
韓国の反日団体が大使公邸前に車を停めて出入り口を封鎖したという。

「我々の敵は日本だ、日本大使館と日本企業は出ていけ」


ハイハイ、日韓断交しましょう。
ただ問題は、韓国警察はそれを一時間以上放置して、車の撤去をしなかったということです。

太郎ちゃん、海外観光旅行している場合じゃないですよ。
世襲の甘いボンボンだからなあ、ウイーン条約など知らんだろうし。

 

★韓国人の日本就職。
9月ソウルのCOEXで開かれる予定だった、「日本企業雇用促進会」が韓国側の主導で中止になったが、それに対して韓国の若者が怒りを露わにしている。

「アイゴー、日本企業に就職したいニダ、日本に住みたいニダ、ヘル朝鮮脱出は知能の順ニダ」

 

★韓国ソウルの反日垂れ幕。
「ノージャパン、ボイコットジャパン」という垂れ幕をソウル市の区主導で江南と市庁通りに設置したが、6時間後に撤去したという。

朝令暮改ですね。(笑)

そして不思議なこと、
報道ステはそれをすぐに報道したが、なぜテレ朝(朝日新聞)がそれをキャッチして、カメラクルーが素早く撮影できたのか。韓国と朝日新聞は裏で繋がっているという証拠です。

 

★ムン君の歴史理解。
ムン君、「豊臣秀吉が侵略してきた時に朝鮮の陶工が多数、強制連行され、日帝による植民地支配の時にも多くを収奪されたが、その度に朝鮮は技術力をもって日本に打ち勝ってきた。今回も韓国の技術力で日本に打ち勝つニダ」

 
ここ笑うとこ?

ある歴史的真実、
豊臣秀吉の朝鮮侵攻において、朝鮮半島に上陸した加藤清正軍と小西軍は二手に分かれ、怒涛のごとく漢城(ソウル)まで攻め上がったが、なぜソウルまで短期間で行けたか、その理由は、地元の朝鮮人は抵抗するどころか、むしろ豊臣軍に協力的で、進んで道案内をしてくれ、漢城を攻め落としてくれと懇願したという。
そして豊臣軍に義兵として参加した。


当時の朝鮮は、人格者で立派な領袖様を戴いていたということですね。(笑)

(じゅうめい)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする