「障害のある人の権利条約」の訳を検討しているので、訳語の問題、翻訳の姿勢、それを支える思想などが気になる。そん問題意識から、丸山真男と加藤周一の対談というか、加藤が問うて、丸山がしゃべるという『翻訳と日本の近代』(岩波新書、1998年)を読む。
これは、率直に言って、対話の形式になっていることと、その対話する両者の教養の高さが障壁となってついていけなかった。
明治期初期の前後、大量の洋書が翻訳されたのだが、その社会と文化への影響は大なるものがあった。その翻訳は、何を、どのように訳したのか、そして、その訳が可能となった条件は何であり、その功罪はどのようなものかを問い、語ったもの。
まずは、その対談の前提となり、その成果であった『翻訳の思想』(岩波書店、1991年)を読まなければならない。
あとがきで、加藤が書いているが、翻訳の問題は、日本の近代化と切り離しては考えられないこと、同時に、短時間に、文化のあらゆる領域において洗練された翻訳をなしとげるための前提となる言語的手段と知的能力はどのようなものだったのかが示されなければならない。後者については、江戸時代の儒家の思想までたちいっている。荻生徂徠の「公」と「私t」の区分論などは興味深い。そもそも、江戸時代の儒学にしても、中国語の翻訳であり、中国語そのものではなかったということも指摘されている。訳の問題としても、「一人」「数人」「大勢」「すべて」の区別を日本語はしないが、しかし、欧米の言語はその区別をする。それと因果関係のところなど。そんなところは、どのように訳されているか、また、訳語はどうか、どんな造語をつくったか(この辺のところは、石田雄が「自由」の翻訳を調べて、書いているようだ)。
これは、率直に言って、対話の形式になっていることと、その対話する両者の教養の高さが障壁となってついていけなかった。
明治期初期の前後、大量の洋書が翻訳されたのだが、その社会と文化への影響は大なるものがあった。その翻訳は、何を、どのように訳したのか、そして、その訳が可能となった条件は何であり、その功罪はどのようなものかを問い、語ったもの。
まずは、その対談の前提となり、その成果であった『翻訳の思想』(岩波書店、1991年)を読まなければならない。
あとがきで、加藤が書いているが、翻訳の問題は、日本の近代化と切り離しては考えられないこと、同時に、短時間に、文化のあらゆる領域において洗練された翻訳をなしとげるための前提となる言語的手段と知的能力はどのようなものだったのかが示されなければならない。後者については、江戸時代の儒家の思想までたちいっている。荻生徂徠の「公」と「私t」の区分論などは興味深い。そもそも、江戸時代の儒学にしても、中国語の翻訳であり、中国語そのものではなかったということも指摘されている。訳の問題としても、「一人」「数人」「大勢」「すべて」の区別を日本語はしないが、しかし、欧米の言語はその区別をする。それと因果関係のところなど。そんなところは、どのように訳されているか、また、訳語はどうか、どんな造語をつくったか(この辺のところは、石田雄が「自由」の翻訳を調べて、書いているようだ)。