ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

田中昌人監修『近江学園の実践記録 要求で育ちあう子ら 発達保障の芽生え』

2008年02月25日 18時54分31秒 | 
これまで、電車の中で継ぎ足し継ぎ足し読んできた『要求で育ちあう子ら』(大月書店、2007年4月)をようやく読み終えた。
初めは違和感があったのだが、読んで行くにつれおもしろくなっていった。子どもの姿がよく記されているとともに、3次元の子どもたちなども登場し、当時の近江学園の様子を伝えていると思った。どのくらい、編集委員会が、今日的な観点も含めて手を入れたのか明らかでないが、障害の重い子どもから論理操作の段階の子までの生活と生産、そして教育の編成、その中での発達の姿、職員の思いなどが伝わってくる。もう一度、吟味しながら読み直す必要があると思った。全体を通して読んでからまた読むとより子どもの姿がはっきりするのだろう。
目次は以下。

序 今こそ当時の教育実践を
第1章 育ちゆく少年期-1968年度生活第三班実践記録
 第1節 目覚める子どもたち
 第2節 新しい友達を迎えて
 第3節 仲間を大切に
 第4節 明日にむかって
 第5節 実践から学んだこと
第2章 みんな集まれ-1969年度生活第一班実践記録
 第1節 かしの部屋でねたい
 第2節 秋以降、小集団から大集団へ
 第3節 みんな集まれ
「1・2章」のまとめと展開
第3章 結び織る子どもたち-1969年生産班結び織り科実践記録
 第1節 くるくるいこう
 第2節 結び織る子どもたち
 第3節 私たちのめざしたもの
第4章 もうだまってはいられない-子どもの権利、おとなの権利
 第1節 職場に組合を
 第2節 みんなの声
 第3節 教育権保障のとりくみ
 第4節 関連して取り上げること
結語
解説(田中昌人)
年表(田中昌人)
関連資料(田中昌人)

解説が観光の趣旨となり完成されなかったことが本当に残念だ。こまかいが、誤記誤植がちょっとめだつのも気になるが…、最後までやり遂げられなかった田中先生の無念さを表しているようにも思う…「残されたものは、しっかりせいよ」という声かもしれない。




大阪市長殿(貝塚養護学校存続についての意見)

2008年02月25日 11時13分44秒 | 生活教育
平松邦夫大阪市長殿

 特別支援教育の充実と寄宿舎のある貝塚養護学校の存在意義について意見

 NHKなどの貝塚養護学校の報道、平松市長が貝塚養護学校の視察の報道に接して、平松市長の子どもたちを大切にしたいという姿勢に触れた思いがいたします。この機会に、安心して生活する基盤となる寄宿舎があり、その上で学習と自立を促していける教育環境を提供している特別支援学校が、困難を抱える子どもたちにとって求められていることを、特別支援教育の研究とその向上を願う立場の者として意見を述べさせていただきたいと思います
 ご承知のように、本年度より特別支援教育が全面的に実施されました。これまでの養護教育の対象を広げ、通常学校における特別なニーズをもつ子どももその対象とすることになりました。このような中で、特別支援学校は、発達において困難で難しい課題をもった子どもたちの受け皿となり、今後の特別支援教育の発展の中で重要な役割をもつものと想定されています。
 今日、子どもの発達をめぐる問題は、子ども自身のコミュニケーションや対人関係の問題、学力不振の問題、子ども集団の中ではいじめや暴力の問題、「キレる子ども」の問題、そして不登校の問題など非常に複雑化してきています。このような中で、子どもたちが発達のゆがみやもつれが複合化・多様化してきていると指摘されています。従来の養護教育の中での病弱教育の中心は、喘息、腎炎、ネフローゼなど慢性疾患でしたが、しかし、小学校3~4年生から中学生頃におこってくる情緒や思春期的な問題を抱えた子ども-特に心身症として扱われる不登校などの問題を持つ児童・生徒が、小児科や精神科・神経科に通院し、治療を受ける事例が全国的に増え、病弱教育の直面する課題となっています。
 なかでも不登校問題は、通常の教育の中でも大きな問題で、すそ野の広い教育問題となっています。不登校児への対応も、担任教師を中心にクラスづくりの工夫、スクールカウンセラーの派遣による相談室での受けとめや養護教諭による保健室への登校、地域での適応指導教室の設置などが展開されていますが、まだまだ十分でありません。通常の学校や学級での対応では、救いきれない子どもたちが、家庭に放置されているという現状もあります。家庭では、子どもへの対応に苦慮し、家庭の崩壊にもつながりかねない事態もないわけではありません。
 また、近年では、学習障害、注意欠陥/多動性障害等によって、周囲との人間関係がうまく構築されない、学習のつまずきが克服できないと言った状況が進み、不登校に至る事例は少なくありません。広汎性発達障害、アスペルガー障害やADHDなどの発達障害があり、感覚の過敏さなどがあって、通常の学校や学級での集団への不適応を起こすもまれではありません。また、いじめられたり、いじめられていると思いこんだりするなどして、二次障害的にこじれてしまうケースもあります。注意欠陥/多動性障害は、アメリカでは健康障害の範疇に入れられており、薬物治療と行動調整などが慎重に行われる必要があります。また、広汎性発達障害は児童精神科での診断と緊密な連携が求められています。しかし、近年、これらの発達障害のある子どもへの診療できる、医療機関が少なく、診察も3ヶ月待ちとか半年待ちという現状がありますし、通院だけで治療が進むわけでもないという現状があります。さらに、小児科病棟や小児病院などの閉鎖や統廃合が進んでおり、入院を伴う治療の条件が十分利用可能であるわけではありません。
 子どもたちの発達上の困難は、学校での学習や生活ばかりではなく、家庭や地域での生活にも影響を及ぼします。逆に、家庭での養育力が乏しいことによって、状態が悪くなる場合もあります。虐待などの報道は後をたちませんが、その背景には広範囲のニグレクトなどの問題も存在しています。特に軽度発達障害や発達にアンバランスのある場合は、虐待に会いやすく、また、虐待など様々な付随的な問題を抱えている子どもは、学校での不適応や大人への不信を増幅して、通常学級では対応できない場合も無いわけではありません。
 このような発達障害、適応障害や心因反応、摂食障害、心身症、不登校など学齢期・思春期の心と身体をめぐる深刻な問題、そしてその背景にある、養育や教育環境の複雑さや困難の問題は、安心して生活できる場の確保と信頼できる大人や仲間との関係の再構築、そして生活と学習の支援を丁寧に行うことによってしか解決していくことは不可能です。入退院を繰り返さざるを得ない医療の現状、学習の場と医療の場と生活の場がそれぞれ違って混乱することが、かえって子どもたちの回復を妨げる場合もあります。
 学齢期の援助のもとに、思春期の難しい時期を乗り越え、そして自分を探し、自分をつくっていくという発達の道行きを歩むのはあくまでも子ども自身ですが、しかし、その基盤を整えること、その自立への援助を行うことが非常に重要です。このような取り組みは、通常の教育的な枠組みの中では対応しきれない場合が多いものです。必要な場合には、生活と学習の枠組み全体をかえた取り組みも必要となります。そのような取り組みの一環となっているのが、病弱教育養護学校の不登校への取り組みだといえます。
 病弱養護学校の不登校への取り組みの歴史の中で、寄宿舎のある大阪市立貝塚養護学校はその先駆けとなってきました。貝塚養護学校の不登校へのアプローチは、不登校の子どもたちの生活の枠組みを整え、学部での学習と寄宿舎での生活によって、紆余曲折や葛藤はありながらも、仲間の中で、仲間とともに困難を乗り越えていくという点で貴重な実践をつくっています。
 さらに、医療との連携も、大阪市立総合医療センターで検診などで病虚弱としてのチェックを行うと共に、寄宿舎生活を送ることに健康面での支障はないということのチェックも行われていると聞いております。個々の児童生徒に即していえば、貝塚養護学校・寄宿舎への転入以前に様々な医療機関にかかった経験を持っていると聞いています。その主治医からも、医療では見切れない生活の基盤を整えることの重要性を指摘するものも多いと思われます。さらに、貝塚養護学校・寄宿舎に転入以降も、個々の子どもたちにとって必要な医療との連携は十分にとっているとのことです。医療とも連携を採りながら、しかし相対的に独立して安定した生活を過ごし、心の傷を癒しつつ、様々な生活経験と学習をとぎれさせないという教育の場がある意義は重要です。さらに、このような選択肢があることによって、通常の学校での取り組みの下支えにもなり、また、その経験から学ぶことによって、通常の学校がより充実した対応を行う可能性を高めるものとなるともいえます。
 寄宿舎をもった貝塚養護学校は、困難をもった子どもたちに向き合い、不登校、そして行動障害のある子どもたちへの特色あるアプローチを展開してきました。このような教育実践が、今後本格的に実施される特別支援教育の深みを創るものと思われます。このような歴史と教育実践の蓄積をもち、今後の特別支援教育の中でも重要な役割を担う可能性のある学校を、大阪市の財産として、広く国民に開くとともに、より発展させていただきたいと切に望むものです。


2008年2月25日