田村が伊丹を見舞った、昭和21年9月6日、託されたものの一つが、『静臥後記』の出版である。大雅堂の飯田さんに早速手はずしていたが、その2週間後、9月21日午後6時30分、伊丹は息をひきとった。その『静臥後記』が出版されたのが、昭和21年12月25日であった。あとがきを田村はかいている。
あとがき
伊丹さんがお亡くなる二週間前、病床に見舞った時、「静臥後記」出版の話が出た。他にもっと適当な人もあったであろうが、その時の何か差し迫った空気に圧されて、つい出版のお世話を引き受けてしまった。幸い大雅堂が快諾して親身に世話をしてくれたことは有難かった。
ところが、はからずも遺言として、故人を偲ぶよすがとなってしまったことは返す返すも残念で堪らない。
立派な内容に比して貧しい想定で恥ずかしいが、せめても伊丹さんを慕う私たちの心からの祈念として、この本を謹んで霊前に捧げたい。
(二十一、十一、十)
伊丹万作『静臥後記』大雅堂、1946年12月25日
このあとがきをかいた、5日後には近江学園の開園式(1946年11月15日)である。石山学園の子どもたちをつれて、南郷での生活がはじまっていく。
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