池田太郎の回想
「学習発表会のしおり」№4(近江学園 1965年12月5日)
「特別寄稿 舞台装置」
昭和のはじめ頃、ゲシュタルト心理学をとりあげていたわれわれの仲間は、このことを教室経営の問題でよく論じ合ったものだった。たまたま、「普通学級における精神薄弱児をいかにして生かすか」の京都市特別教育研究会の懸賞論文に、〇〇〇(?昭和7年8年から)5年間における教育実践をまとめたものを応募して当選したので、昭和10年の夏、「絵師の苦心」という国語の研究授業(5年男子50名余)を京都市特別教育研究会主催でさせられたことがある。確か、泉州堺に寄宿していた絵師が寺を去るにのぞんでお礼心から、ふすま絵を描いて去り、一か月〇かして再びその寺へきて、「箱根山中にさしかかったら丁度気にかかっていた杉のよい枝ぶりが一本見つかったので描きそえに帰って来た」というのである。ここの「絵師の苦心」としての頂点がしぼられ示されたものであった。云々
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