ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

長崎その後-「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣)

2010年10月20日 17時36分40秒 | 
「原爆を見た聞こえない人々」にまつわる手記をお送りくださり、ありがとうございました。感謝の意をメール返信でと思っていますが、それができないので、ブログ上に書き込みをしています。
無礼をお許しください。

「ドンが聞こえなかった人々」「沈黙のヒロシマ」(文理閣)は、外国の障害児教育の研究者への研究資料としてもっていくことがあります。写真、日本語、英語でそれぞれに表現されていることと、日本の障害のある人たちの生活があること、音のない人たちの表現を通して、なによりも戦争と平和のことを考えさせられるからです。これまで、写真家をパートナーにしているオーストラリア・グリフィス大学の研究者、アメリカ・シラキュース大学の研究者に手渡しています。
「原爆を見た聞こえない人々」として、ろうの被爆者の「声」を残していただき本当に嬉しいです。当事者たちの願いも踏まえていろんな苦労があった推察しています。その苦労をいろんな形で残していただき、後に続くものに示してほしいと思います。この手記をよみながら、襟を正して、歴史に向き合いたいと思いました。
ただ、残念なことに、「原爆を見た聞こえない人々」から学ぶ4話 最終話が文字化けして読めないところがありました。是非、その部分も含めて読ませてただければと思います。
裏方に徹している姿にいつも頭が下がる思いですが、これまでのことをまとめて語って残してほしい-それは自分だけのことではなく、歴史的な証言として障害のある人たちの代弁でもあるのではないかと思います。少し出しゃばりましたが、お許しください。

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12 コメント

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薫さん微笑みを持って (まえ聴覚障害児教育担当)
2010-11-23 01:18:22
 『わが指のオーケストラ』を読んで、頭の中では分かっているつもりだったこと、初めて知ったこと、文字だけでなく絵も伝えてくれるのでスッと入ってきて、色々と考えなおすことができました、とのこと。
 様々に学習されていることに敬意を表します。日本では、なぜか知らされていませんが、ベートーベンの失聴と月光の曲。第九。ベルが、電話を発明した理由。ゴヤの失聴と絵画の変化。吉田松陰の思想のひとつに弟が聞こえないことがあったから。ロートレックに絵を教えた人は、聞こえない、話せない先生だったこと。エジソンが聴覚障害になったわけ。などなど数え切れない話があります。
 私が一番注目したのは、日本ではあまり知られていませんが、
 ロケット理論や、宇宙服や宇宙遊泳、人工衛星、多段式ロケット、軌道エレベータなどの着想で知られ、現代ロケット工学の基礎的理論を創り「宇宙旅行の父」「宇宙開発の父」「ロケット工学の父」などと呼ばれる、コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーです。
 彼は、9歳で猩紅熱にかかり、聴力のほとんどを失い学校に入学させてもらえず、13歳で独学をはじめ、16歳でモスクワに出て図書館の蔵書を濫読する生活を続けて今日の宇宙への道を築いた人ですが、その聴力を失った年齢と学習過程に大きな驚きと教訓を得ました。
 これは、ほんの一例ですが、聴覚障害者の生き方や生活から学ぶあなたの姿勢は、非常に大切で、さすが教育大学の学生、と感動させてくれます。
 「聾唖者」と言われ、聴覚障害者は話すことができないと言われていた時代。
 と書かれていますが、じつは「聾」という文字は、龍に耳を書きますが、この文字の意味は「全く聞こえない」という意味ではないのです。微かに聞こえる、聞こえるが……、という語源です。一度深く調べてください。
 さて、世界史を紐解くと、聴覚障害者は話すことができない、と断定されるのではなくギリシア時代からコミュニケーション方法は、様々に検討されています。だから、身振りや手話の歴史のほうがが遥かに長いことを知っていてください。
 赤ちゃんが、喃語から手差し、指さし、そして、アア、などのことばを発する発達課程も学習になったことと思います。世界史上交易は、身振り、手振り、サインで行われていますし、アメリカインディアンのいわゆる「手話」だけでない、身振り表現が世界中の民族にあるし、あったことを知っておいてください。

口話法が発展したことや、医療・科学技術が発展したことで、聴覚障害者でも第一言語は「日本語」だという人が増え。
 の第一言語は「日本語」の部分は、第一言語は「音声による日本語」での意味ではないでしょうか。私は、手話は日本語であり、音声による日本語や日本語文字の別ち難い関係で成立し、ろうあ者同士によって自然淘汰・取捨選択されてきたと考えています。
 スウェーデンで、ろう学校では第一言語を手話にした、と主張している人の多くは、スウェーデンはもちろん国際関係や国際的な障害者権利関係文を都合の良いように引用しているように思えてなりません。
国際的に言語の強要は、血と死と戦争を産み、人々はそれそれの言語を認め合うことでも平和を獲得してきました。従って、言語の強要をすることは、自由と人々の基本的人権を奪うことになるという考えは基本です。
スウェーデンで、ろう学校で手話を導入するときに、まず教育省が中心になって、スウェーデンのろうあ者が使っている手話を徹底的に調査・研究し、記録したことがあげられます。そして、ろうあ者の手話表現の特徴、特性、法則などを基本にした上で手話表現にない手話を考えたこと。さらにろう学校では、トータルコミュニケーションを基本に、判断能力のつく年齢に達した生徒に「口話での授業を受けるか。」「手話による授業を受けるか。」選択させたことです。ここには、コミュニケーションの自由度を考えた教育観が貫かれています。(もちろん聴覚活用はされていました。今ではありませんが、スウェーデンでは世界的にも優れた補聴器が作られたりもしていました。)
 従って、短絡的にろう学校では第一言語を手話にした、と言い切れません。
 残念なことは、これらのことを私たちは調査研究してきましたが、障害児教育研究者の多くが注目しなかったため、それぞれが思いのままに我流で解釈されて一定の混乱と断定が生じています。

 手話を知らない人も多い…と書かれていますが、戦前、戦後を通じて聞こえる人がこれほど手話を学び、人間としてのコミュニケーションをすすめている時代はないと思います。
 聞こえない・聞こえ辛いということが、聞こえる私には想像することしかできません。
前にも書きましたが、それは自然なことです。聞こえるのですから。では、聞こえない人が、聞こえない・聞こえ辛いということを知っているかと言えば、みんなそれぞれ思い思いの知り方です。だからみんなは、集まって話し合い、理解し合い、共通点を見いだすのです。
 薫さんは、手話を学ばれて、ろうあ者の辛い、哀しい、悲惨な話ばかり聞かれているのでしょうか。みんなが楽しく、ほほえみあって手話で会話することはないのでしょうか。少し、心配です。
 私は、どんな悲惨で哀しい話でも、手話で話していても「笑う」ところがあったり、悲惨で哀しい話なのに笑顔で話しするろうあ者と会話してきて、楽天的で、踏みにじられてもそれでも生きる、叫ぶ、笑う、ろうあ者の姿から多くのことを学んで今日まで生きてきました。
 たしかに、の辛い、哀しい、悲惨な話は多くありましたが。

周りで繰り広げられている会話がみんな手話という環境の中で、取り残される感じを味わったことは何度か経験している
 この経験は、これからあなたの血となり、肉となります。そう感じられる感性を大事にしてください。孤立じゃないのです。産む苦しみ、知る苦しみ、前むきにすすむ苦しみです。

聴覚障害者でも手話を知らない人がいるという事実は、社会が音声言語に頼らざるを得ない社会(偏見なども含め)になっているからであり、教育なども音声言語なしでは十分に受けられないことによって生じているのであれば、それは変えていく必要があると思うのですが、どうなのでしょうか?
 私は、ろう学校の教師の経験はありません。ただ、一時期、聴覚障害生徒と健聴者が一緒に学ぶ授業の内容そのままをろう学校の高等部の授業で行ったことがあります。この教訓は、また。
聴覚障害生徒と健聴生徒が学ぶ高校で、私は聴覚障害教育担当教諭でした。授業は、もちろん聴覚障害生徒と健聴生徒が学ぶクラスですすめていましたが、毎年秋に自主的に聴覚障害生徒と健聴生徒が手話を学ぶ時期を設定していました。手話を教えるのではなく、自分の言いたいこと、みんなに考えてほしいことなど自己表現としての手話学習の時期を持ちました。
 毎年、一番最初に、手話で表現することを抵抗したのは聴覚障害生徒でした。そこで、健聴生徒と討論になって、時にはケンカになりしましたが、無理に手話をしなくてもいいと言い続けてきました。
 次第に、みんなは自分の言いたいことを手話表現していきましたが、ここで一番手話表現が出来ないのは、聴覚障害生徒でした。
 それは、口話法が身についているだけではなく、思考にまで影響していたからです。オペラント教育法(最近、形を変えて読み書き障害の生徒の指導に再登場していますが。)による、順序性です。
 これは、条件付けられていて、手話表現で省略できたり、視覚的に伝達するため手話の順序を入れ替える、と順序が変わるので出来なくなっていきますが、健聴生徒は楽々と消化して行き、聴覚障害生徒に教える関係がいつも生まれました。
 口話を問題にする人は、ろうあ者の気持ちを無視しているとか様々言われますが、口話による条件付けがその後の思考に及ぼす弊害を問題にしません。人間発達を基本にことばの獲得がなされていない方法論の口話のやり方は、思考や性格まで影響を及ぼすので、思春期、青年期にこのことの克服は重要になるのですが、だからといって、押しつけ、強要はいけないと思いました。

tama先生の計らいもあり、手話サークルのような、学生同士で聴覚障害(者)についても語り合うことのできる場ができそうになっている今、ただ単に「手話の語彙数を増やしたい」などの思いではなく、色んなことを考えながら手話や音声言語にこだわらないコミュニケーション方法を身に着けよう!ということを参加してくれる学生に伝えていきたいなと考えています。
うれしい文章です。少し確実にすすむあなたは、真実を学ぶ学生です。
 ちなみに、私の高校で一時期講師できていただき、ろう学校の先生もされていたU先生があなたの大学におられます。
 あなたたち 若い先生が新しい教育を創造できる機会がもっともっと増えることをねがっています。
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近況報告させてください ()
2010-11-22 22:04:39
 聴覚障害(者)のことについていろいろ考えたいと思いつつ、文字を読むとうつらうつらしてしまっていた私に、ろうの知り合いが『わが指のオーケストラ』を紹介してくれました。以前から名前は知っていたのですが、漫画だしどうなのかな?と思って読んでいなかったので、「いい話だよ!」と言われてすぐに読んでみました。
 頭の中では分かっているつもりだったこと、初めて知ったこと、文字だけでなく絵も伝えてくれるのでスッと入ってきて、色々と考えなおすことができました。
 「聾唖者」と言われ、聴覚障害者は話すことができないと言われていた時代。それが、口話法が発展したことや、医療・科学技術が発展したことで、聴覚障害者でも第一言語は「日本語」だという人が増え、手話を知らない人も多い…人間は話せることが当たり前(音声言語を発することがコミュニケーションの基本?)の時代になっているのかなとも考えました。(だから日本人なのに、英語より手話を学ばないのかなとも思います。)

 聞こえない・聞こえ辛いということが、聞こえる私には想像することしかできません。周りで繰り広げられている会話がみんな手話という環境の中で、取り残される感じを味わったことは何度か経験しているので、こういうことなのかなとは考えられるのですが、それはあくまでもコミュニケーションについてだけの問題?生活場面での苦労なども話を聞いたり、想像することしかできません。
聴覚障害者でも手話を知らない人がいるという事実は、社会が音声言語に頼らざるを得ない社会(偏見なども含め)になっているからであり、教育なども音声言語なしでは十分に受けられないことによって生じているのであれば、それは変えていく必要があると思うのですが、どうなのでしょうか?第一言語を手話だと思っている人がどのくらいいるのか、第一言語にしていない人の理由はどこにあるのかも気になっています。

tama先生の計らいもあり、手話サークルのような、学生同士で聴覚障害(者)についても語り合うことのできる場ができそうになっている今、ただ単に「手話の語彙数を増やしたい」などの思いではなく、色んなことを考えながら手話や音声言語にこだわらないコミュニケーション方法を身に着けよう!ということを参加してくれる学生に伝えていきたいなと考えています。
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Unknown (訂正)
2010-11-09 10:20:18
全通研には聞こえる人は加入できない、
訂正
全通研には聞こえない人は加入できない、
返信する
正直に生きましょうよ。 (花咲かじいさん)
2010-11-08 23:01:38
 「音」に頼ってしまう自分がいるということがあります。
 なぜそれを気にするのですか。聞こえるから、音に頼るのは自然です。自然に交流するためには、お互いが自然にならないと、聞こえるからと聞こえないからの対立になるのではないでしょうか。
 だから私は、『I Love コミュニケーション-中学生・高校生のための手話テキスト』で友子と健一がケンカ?対立?して、仲直りする場面にセリフや手話を入れていません。
 この部分一番苦労したところです。気持ちのすれ違いが、聞こえることにあったのか、聞こえないことにあったのか、そうでないのか、このことを思春期、青年期、成人と年齢をおうことで理解が深まるものです。
 聞こえるから音に反応する、聞こえるから話が聞こえる。だから手話通訳出来るのです。私は、そう思います。聞こえるのに聞こえないと思い込むことは、自分自身も聞こえない人にも欺いていることになりませんか。
 ここに、私は、tama先生の基礎学問があると思っています。
 サークルは声無しなのですが、ろうの人があまり意識しないで発声している音を頼りに手話の意味・話の内容を理解しようとしている自分がいます。
 それでいいではないですか。手話テキストがなかった時代は、もっと伸びやかでした。

(手話が分からないときに、すぐ指文字に頼ることも、いけないなぁと思うのですが…)。
 そんなに自分を責めてはいけません。出来る範囲で、精一杯会話をするのが人間の基本です。
 手の動きだけで、コミュニケーションが成立するのが手話のように広く思われているようですが、そうではありません。
 表情や・素振り・眼の動きなどすべてでコミュニケーションが成立します。
 テレビでやっている、あの狭い範囲で忙しく動かすのが、手話であり、手話通訳と思わないようにしてください。

 「日本語対応手話」とか「日本手話」とか言う人がいますが、どちらもみんな音声言語に依存しています。私は、このようなことについては、意識する必要ないと思います。
 ハッキリ書きましょう、今、日本で手話、手話と強調しすぎている人のほとんどは、音声言語を獲得してから聴覚障害になった人が圧倒的に多いのです。それは、なぜかまた説明しますが、「日本語対応手話」とか「日本手話」とか言っている人のほとんどは、音声言語が基礎にあります。
 自分が話の内容を理解しやすくするために「で・に・を・は」などを(頭の中で)つける余裕があるのですが、日本手話で話す人と話す場合はそれが通用しなくて、どこか「あぁもう分からない!」とくじけてしまう自分もいます。
 「くじけてしまう自分」。うれしいことばですね。その気持ちがなくなると、一部の手話通訳者のようにうぬぼれと権威を振りかざしてしまいます。あなたには、謙虚な気持ちがあるから、どこまでも本当の聴覚障害者のねがいにともに手を携えて、学ぶことが出来るのです。
 教師になっても、たえず、「あぁもう分からない!」とくじけてください。そしてどうしたらいいのか試行錯誤してください。
 教育には、完成された、完璧な教育がないようにコミュニケーションも食い違いがあるのです。
 だから人間は、向かい合ってコミュニケーションするのです。
 ただヒントを言いましょう。はなしが、通用してないと思ったときは、聞いたり、もっと交流したりして焦らずはなしが通用するまで、時間をかけましょう。
 『I Love コミュニケーション-中学生・高校生のための手話テキスト』で、未就学のろうあ者と会話出来るろうあ者の場面を入れたのもそういうことも考えたからです。
 私も、私が話しても通じないのに、ろうあ者同士なら通じてしまうことにズーッと、なぜだろうと考えてきました。tama先生にぜひ聞いて教えてもらってください。私は、「発達の基礎集団」という概念を学んだときにハッと気がつきました。
 聞こえない人々の集団(ろうあ協会)の中に埋没するのではなく聞こえる手話通訳も集団を作る。(全通研)
 それが、それぞれの独自性を持ちながら交流することが、お互いの力量を高めて行くことになると言うことです。だから全日ろう連には、聞こえる人は加入できないし、全通研には聞こえる人は加入できない、という方向を打ち出したのです。これは、対立と不理解を産むことではなく、本当の意味でのお互いの理解が広がりつつあると思っています。
 自分の性格に鞭打たないで、謙虚な自分、学ぼうとする自分をほめるようにしてください。
 tama先生のようなすごい研究者でも、「研究も、教育もできておらず、学生さんには申し訳ないと思っています。最近は、できないことの多さにたじろいでいます。」と言っておられるじゃないですか。
 だから、tama先生はすごいのです。日本の障害児教育の第一人者なのです。どれだけ、研究・学習・行動されているかこのブログを見ても解るでしょう。
 私の知っている少なくないかって「障害児教育」と言い、今は「特別支援教育」を絶賛している人は、今も昔も机上の空論を述べておられて、私の教育実践の反面教師になっただけですが、tama先生は違います。
 ある養護学校のけいわん公務災害裁判記録をすべて私が作成しましたが、どれだけ貴重な証言であり本質を付いた証言であったことか。またtama先生の友人のS弁護士の冴えきった法廷闘争。感嘆でけでした。
 薫も同じ素質を持っておられます。だから、無理しないで、焦らないで、今の自分を大きく評価してください。
 あなたのコメントに喜びと感謝を籠めて。

 
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コメントありがとうございます ()
2010-11-08 16:54:11
 『I Love コミュニケーション-中学生・高校生のための手話テキスト』読ませていただきました。ありがとうございます。
 テキストの中に出てきたような会話は、サークルの仲間と出来ているように思えたので、少し自信がつきました。ただ、まだ手話に関してはどうすれば良いのかと考える場面が多々あり、一生向き合っていかなければいけないし、向き合っていきたいとも思っている次第です。
 例えば、今であれば、まずどうしても「音」に頼ってしまう自分がいるということがあります。サークルは声無しなのですが、ろうの人があまり意識しないで発声している音を頼りに手話の意味・話の内容を理解しようとしている自分がいます(手話が分からないときに、すぐ指文字に頼ることも、いけないなぁと思うのですが…)。また、日本語対応手話の場合は、自分が話の内容を理解しやすくするために「で・に・を・は」などを(頭の中で)つける余裕があるのですが、日本手話で話す人と話す場合はそれが通用しなくて、どこか「あぁもう分からない!」とくじけてしまう自分もいます。
 N大学内にも手話に興味がある人間はたくさんいるようなのですが、経験が私よりもある人が募っても見つからず、身近なところで音に頼らずにコミュニケーションをとる場を作ることが出来ないことも3年間悩み続けています。聞こえる人間が集まって仮に「手話サークル」だと言っても、それは日本人が集まって「英会話サークル」を作っていることと変わらないと私は思っていて、かといって、手話は言語であってコミュニケーション手段のひとつなのだから、一人で本を読んだり鏡に向かうくらいであれば、聞こえる人間同士であっても何か出来るのではないかとも思い、考えだけ膨らましてくすぶっていることも現状です。
 「原爆を見た聞こえない人々」にまつわる手記も少しずつなのですが読ませていただいています。
 「知りたい!知りたい!」と言って、結局「分からん!」と投げ出す自分の性格に鞭打って、子どもたちが生きやすくなるための手助けができる人間になりたいと思います。 
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ぜひ、ろう学校の教師や聴覚障害教育の教師に (薫さんへ)
2010-11-03 19:56:03
 聴覚障害教育の危機で書いたこと解りにくかったと思います。また、『I Love コミュニケーション-中学生・高校生のための手話テキスト』をみて、なぜ手話テキストなのか、と思われるかもしれません。
 『I Love コミュニケーション-中学生・高校生のための手話テキスト』は、全国の人々数万人から寄せられた手話や手話通訳への意見を年齢順に置き換えて、それぞれの年代や時期を分析して、思春期・青年期に押しつけでない手話を学んでもらおうとして作成したものです。
 その基本は、人間発達を前提にしています。この人間発達研究では、tama先生が日本の研究者でもトップクラスなので、今、学ぶことが血となり肉となるという意味で書かせてもらいました。
 あなたのように情熱とエスペランサをもつ人が、ろう教育や聴覚障害教育の仕事をしてほしいとねがっています。
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I Love コミュニケーション (tama)
2010-10-27 19:04:16
過分の評価をいただきましたが、研究も、教育もできておらず、学生さんには申し訳ないと思っています。最近は、できないことの多さにたじろいでいます。
『I Love コミュニケーション-中学生・高校生のための手話テキスト』等の参考資料をいただきました。ありがとうございました。

薫さんにお渡ししたいと思います。

薫さん-君たちの先輩でも大阪で手話通訳をやっている人がいます。紹介もしたいと思います。
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聴覚障害教育の危機 (つくられた手話でない手話を)
2010-10-22 22:37:02
薫さん。N大学で、tama先生の授業を受けられと推測しますが、その幸せを噛みしめておられますか。
 教育の基本を学べるあなたは幸せです。ろう教育とか聴覚障害教育とかについては、専門的な知識はもちろん必要としますが、やはり基本がなければ、生きた教育は出来ません。tama先生からしっかり学んでください。焦る必要はないと思います。
 教育は、きわめて実践的なもので、空理空論ではやっていけません。教育とはなにか、と考え続けながら学んでいくなかで、聴覚障害教育やろう教育の専門性がつくと考えています。私が高く評価するろう学校の先生や聴覚障害教育の教師の全員は、ろう学校や聴覚障害教育の担当教師になってから必死になって学習した先生です。今私が深刻に思うことは、特別支援教育という概念が出されて、盲・聾学校が急速に統廃合がすすめられて、今、ろう学校の存立は危機状況にあるということです。ろう学校がなくなると普通校で学ぶ聴覚障害の子どもたちの保障体制もなくなります。
 ろう学校の存立とその発展をどうするか。先日も聴覚障害協会(ろうあ協会)の役員と意見交換してきましたが、特別支援教育に対する評価は、多くの教師が思っているようなものではなく、悪い、との一言で言われました。自立支援法をはじめ福祉の分野でさんざん痛めつけられたから本質を見抜く力を持っているとも思えました。
 その役員は、私の教え子ですが、卒業してからは教え子と考えたこともなく、ともに仲間として行動・交流しています。
 彼は、普通学級、聞こえの教室、山城高校、福祉大学とすすみ、いま綾部の聴覚障害施設で働いています。私は、彼も優れた聴覚障害者の教師だと思っています。学ぶなら、彼等のような人々から学んでください。
 今、ろう学校で手話の授業をのみ主張しているろうあ協会の人も居ますが、私は不同意です。彼も不同意でした。
 コミュニケーションの多様な保障は、ろう教育や聴覚障害教育の基本だと考えるからです。その意味では、「新しい手話」を一部の人々だけで作り、それをろう教育の場に強制的に持ち込もうとすることについては、反対です。
 手話を学んでおられるそうですが、文の最初で書いた「噛みしめる」という手話表現をご存じでしょうか。漢字そのものからの手話表現がかってはあったんです。一つの手話から、ろうあ者の気持ちが深く理解できますし、その表現の豊かさに感嘆しながら今まで生きてきましたし、教育の一部を担って来ました。
 長々と書きましたが、日本の研究者でもトップクラスなのにいつも謙虚なtama先生からもっとしっかり学んでください。そのことが、ろう教育を学ぶことなのだ、ということがいつか心の底から滲み出て教師としての喜びを感じられることでしょう。
 方法に拘るより広く知って基本を大切に、今の足下をよく見て踏みしめてください。それが、ろう教育を学ぶことです。私は、そう思います。
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聴覚障害に興味があります ()
2010-10-22 17:04:58
こんにちは。
N大学の学生です。

私は、聴覚障害のある友人がいたことがきっかけで特別支援教育を学びたいと思い、N大学へ進学しました。
N大学では、知肢病を主として学ぶため、ろう教育に関して学ぶ機会がどうしても少なくなってしまいます。
個人的に地域の手話サークルや、友人を通じてろう者と関わることのできるイベントなどに参加してはいるのですが、もっとろう者についてろう教育について学びたいと思っています。

コメント欄のやり取りを見させていただき、tamaさんとのやり取りをなさっている方は、ろう教育について詳しい方なのかと思いました。もしtamaさんとお知り合いの方なのであれば、何か教えていただくことの出来る場を設けていただきたいと思いコメントしました!
よろしくお願いいたします。
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何らかの形で (tama)
2010-10-21 11:12:39
ありがとうございます。
文理閣のHPに掲載されている、2003年2月15日付全国手話通訳問題研究会長崎支部機関紙(2010年8月9日一部訂正)に掲載された文は読ませていただきました。
もし、それ以外の手記が公表されていないのでしたら、何らかの形でみなさんに読めるようにしてほしいと思います。
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二度被爆した障害者 (感謝感激)
2010-10-20 23:34:55
 地道で長期にわたる記録を評価していただき、感謝に堪えません。原爆投下は、アメリカ軍が写した映像で見ることが多い。だが、投下された側から見るとアメリカ軍の映像と全く違ってきます。キノコ雲がどのような色に見えたか、は被爆した地点と見る角度で違ってくることも知りました。被爆国日本と言いながら、上から目線で見てしまっている日本人への死の抗議とも言うべき証言を知りました。
 また、広島で被爆して、長崎に逃げ帰り、長崎で被爆したろうあ者もいます。大阪に住んでおられた方が、そのことを証言してイラストでえがかれています。
 過去のことでない、のに過去のことにされていることに注視して、教育からアプローチされようと気持ちを持っていただいていることを知ったら、亡くなった被爆ろうあ者はどれだけ喜ぶか目に浮かびます。
 ありがとうございます。感謝、感謝です。
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ぜひ、大切に (英語版もつくりました)
2010-10-20 19:31:39
 長崎に来る外国の人々にズーッと以前に英語版も作成しています。探して、お届けできるようにします。オーストラリア・グリフィス大学の研究者、アメリカ・シラキュース大学の研究者に手渡していただければうれしいです。
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