坂本 九…僕の中で、"下手うま"最高峰の人だ。
この人、本当に歌唱力は、大したことないんだけど、なんでしょう? とにかく、歌詞の心を必死に伝えようとする能力,あの誰にも真似できない独特の歌い方,そして、何とも言えないクシャクシャ笑顔,雰囲気?…なんか、そういうので、全てのことを乗り越えてしまってる感じがするんだよね。
まるで、「素人のど自慢」(NHK)に知り合いが出てて、応援している気持ちに近い感じ?…プロなんだけどね。
だから、みんなに愛された。たとえ、「アイドル」という言葉が、その時代、全然、一般的じゃなかったとしても、彼は、ちゃんとそういうものとして認められていたんだと、僕は思うよ。
しかし、『見上げてごらん夜の星を』って、いい曲だよね。
そういえば、昨年観た映画、『八日目の蝉』(主演:永作博美)の重要シーンでも、この曲が印象的に使われてたっけ。
で、僕も、映画と同様、落ち込んだ時,元気を取り戻したい時は、この曲!って、決めてるぐらい大好き。
なんか、胸がいっぱいになって、泣けてくる。夜空を見上げながら、泣けてくる。
でも、なんだか、不思議な感覚。
だって、坂本 九自身も、所々、この曲を泣きながら歌っているようにも聴こえるんだもん。
この人って、実は、スゴイ人だよ…たぶんね。
坂本 九…やっぱ、歌手ってのは、"味があってナンボ!" 本当に、そう思わせる人だ。
ところで、僕、彼の活躍していた時代を、リアルタイムでは知らないんだけど、1960年代の日本社会や芸能界って、今よりも、ず~っと縦社会というか,師匠と弟子の関係というか,絶対的な先輩と後輩というか…とにかく、そういうのが、しっかりキッチリ、とても厳しかった時代だと聞いたんだ。
それなのに、彼は、老いも若きも大先輩も、もう、みんなから、"九ちゃん"って愛称で呼ばれてた(らしい)。
大の大人に、いっぱしの男に、そういう表現をする社会風潮なのかな?
もしかして、その時代に、そういうのって、彼ひとり?…そんなことを一瞬思った。でも、すぐその後に、こうも思ったんだ。
"そこが、「アイドル」たる所以なんだ!"って。
新しい時代に、特別、愛された、"九ちゃん"、そこを味方につけた、「アイドル」としての坂本 九。
ところで、僕、昔っから思ってることなんだけど、名前を呼ばれる時に、"ちゃん付け"されてる人ってのは、アイドル的アドバンテージが、人より高い?
いや、有利なんじゃないか?ってさ。
つまり、"ちゃん界"最強にして、永遠不滅の絶対アイドルである、「赤ちゃん」の流れをくんだ、「○○ちゃん」は、まぁ~るいもの,可愛いもの,親しみを感じるもの,大切にしたいもの,壊したくないもの,抱き上げたいもの,見守りたいもの…そんな想いを、どっかに込めて、日本人のDNAは、そう呼びたいんじゃないのかな?とか思うんだよね。
もちろん、最近は、チョット変わってきていることも、それだけが、全然、全てではないことも知っている。
でも、僕たち日本人ってのは、特に…いや、マスコミのコントロールの方かな?なんてね。
例えば、「多摩川のタマちゃん」が、水面から、頭をチョコン!と出してたら、家族そろって、"タ~マちゃ~ん!"って言いたくなるけど、「多摩川のタマさん」だったら、"張り込み、ご苦労様です!"って、牛乳とあんぱんを渡したくなる。
「多摩川のタマくん」?…なんか、画にならない。
やっぱ、僕の中で、(基本、基本ね…)一般的に言われるところの「アイドル」ってのは、「○○ちゃん」なんだよな~。そして、その「アイドル」が、老若男女、すべての層の票を獲得するためには、できれば、「○○ちゃん」って呼ばれた方が・・・!?とか思ったりする、今日この頃なんだよな~。
九ちゃん,Qちゃん,(芦田)愛菜ちゃん,真央ちゃん,ヤワラちゃん,聖子ちゃん,(荒木)大ちゃん,佑ちゃん,あっちゃん…etc。
結果的に作られた「○○ちゃん」は、その輝きの時代を経て、いつか、「○○さん」に転身しようとする。
また、マスコミを含む受け手側が、変身させようとしたり、しなかったり…。
そういう意味では、この中で言うと、坂本 九と松田聖子は、スゴイな。
"ちゃん"が似合うまま、大人になってる。
意味は違うけど、2人とも、いまだに、現役の「アイドル」なんだ。
特に、松田聖子は、「元アイドル」を、1度も経験していない。
将来、AKBの中から、そういう存在が1人…生まれるかなぁ?
この人、本当に歌唱力は、大したことないんだけど、なんでしょう? とにかく、歌詞の心を必死に伝えようとする能力,あの誰にも真似できない独特の歌い方,そして、何とも言えないクシャクシャ笑顔,雰囲気?…なんか、そういうので、全てのことを乗り越えてしまってる感じがするんだよね。
まるで、「素人のど自慢」(NHK)に知り合いが出てて、応援している気持ちに近い感じ?…プロなんだけどね。
だから、みんなに愛された。たとえ、「アイドル」という言葉が、その時代、全然、一般的じゃなかったとしても、彼は、ちゃんとそういうものとして認められていたんだと、僕は思うよ。
しかし、『見上げてごらん夜の星を』って、いい曲だよね。
そういえば、昨年観た映画、『八日目の蝉』(主演:永作博美)の重要シーンでも、この曲が印象的に使われてたっけ。
で、僕も、映画と同様、落ち込んだ時,元気を取り戻したい時は、この曲!って、決めてるぐらい大好き。
なんか、胸がいっぱいになって、泣けてくる。夜空を見上げながら、泣けてくる。
でも、なんだか、不思議な感覚。
だって、坂本 九自身も、所々、この曲を泣きながら歌っているようにも聴こえるんだもん。
この人って、実は、スゴイ人だよ…たぶんね。
坂本 九…やっぱ、歌手ってのは、"味があってナンボ!" 本当に、そう思わせる人だ。
ところで、僕、彼の活躍していた時代を、リアルタイムでは知らないんだけど、1960年代の日本社会や芸能界って、今よりも、ず~っと縦社会というか,師匠と弟子の関係というか,絶対的な先輩と後輩というか…とにかく、そういうのが、しっかりキッチリ、とても厳しかった時代だと聞いたんだ。
それなのに、彼は、老いも若きも大先輩も、もう、みんなから、"九ちゃん"って愛称で呼ばれてた(らしい)。
大の大人に、いっぱしの男に、そういう表現をする社会風潮なのかな?
もしかして、その時代に、そういうのって、彼ひとり?…そんなことを一瞬思った。でも、すぐその後に、こうも思ったんだ。
"そこが、「アイドル」たる所以なんだ!"って。
新しい時代に、特別、愛された、"九ちゃん"、そこを味方につけた、「アイドル」としての坂本 九。
ところで、僕、昔っから思ってることなんだけど、名前を呼ばれる時に、"ちゃん付け"されてる人ってのは、アイドル的アドバンテージが、人より高い?
いや、有利なんじゃないか?ってさ。
つまり、"ちゃん界"最強にして、永遠不滅の絶対アイドルである、「赤ちゃん」の流れをくんだ、「○○ちゃん」は、まぁ~るいもの,可愛いもの,親しみを感じるもの,大切にしたいもの,壊したくないもの,抱き上げたいもの,見守りたいもの…そんな想いを、どっかに込めて、日本人のDNAは、そう呼びたいんじゃないのかな?とか思うんだよね。
もちろん、最近は、チョット変わってきていることも、それだけが、全然、全てではないことも知っている。
でも、僕たち日本人ってのは、特に…いや、マスコミのコントロールの方かな?なんてね。
例えば、「多摩川のタマちゃん」が、水面から、頭をチョコン!と出してたら、家族そろって、"タ~マちゃ~ん!"って言いたくなるけど、「多摩川のタマさん」だったら、"張り込み、ご苦労様です!"って、牛乳とあんぱんを渡したくなる。
「多摩川のタマくん」?…なんか、画にならない。
やっぱ、僕の中で、(基本、基本ね…)一般的に言われるところの「アイドル」ってのは、「○○ちゃん」なんだよな~。そして、その「アイドル」が、老若男女、すべての層の票を獲得するためには、できれば、「○○ちゃん」って呼ばれた方が・・・!?とか思ったりする、今日この頃なんだよな~。
九ちゃん,Qちゃん,(芦田)愛菜ちゃん,真央ちゃん,ヤワラちゃん,聖子ちゃん,(荒木)大ちゃん,佑ちゃん,あっちゃん…etc。
結果的に作られた「○○ちゃん」は、その輝きの時代を経て、いつか、「○○さん」に転身しようとする。
また、マスコミを含む受け手側が、変身させようとしたり、しなかったり…。
そういう意味では、この中で言うと、坂本 九と松田聖子は、スゴイな。
"ちゃん"が似合うまま、大人になってる。
意味は違うけど、2人とも、いまだに、現役の「アイドル」なんだ。
特に、松田聖子は、「元アイドル」を、1度も経験していない。
将来、AKBの中から、そういう存在が1人…生まれるかなぁ?