AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

増田有華、今、勝負の時!(ピーナッツ)

2011-10-13 20:33:00 | AKB48
増田有華といえば、やっぱり思い出してしまう…あのコト。
あれは、2年前?3年前? とにかく、AKBが関西に来て、プチテレビジャックみたいな週間があった。
その中で、大阪読売テレビ『土曜はダメよ!』(MC:藤井隆)でのコトは、ちょっと、衝撃的だったんだ。
番組の流れで、AKBの中の誰かが、アカペラで一節、歌わなければならない状況になった時、選抜メンバーが多くいるにも関わらず、全員(8人ぐらいだったと思う)が一斉に視線を送ったのが、ひな壇の後ろの方に座っていた増田有華だった。

"あ、そうなってるんだ~"って思ったよ。

そして、何かの曲のサビ部分を8小節ほど歌った後、番組レギュラーのYOUが、あのアンニュイな調子で、この一言…

"AKBって、歌、歌えるんだね~!"

これ、受け取り方で、2種類の意味に取れる。
でも、あの時のメンバーは、屈辱的な方に取っただろうね?
でも、実は、僕、それとは別の方に意識がいってた。

それは…
"増田有華、なるほど、上手い! 上手い…けど、確かに上手いんだけど、なんだか、浜崎あゆみの○○○○。
詰まり気味の音の入り方、盛り上げ方、そして、音のしまいかた…。
各地の歌声大会だったら、どこでも、全部、優勝なんだけど、将来、ソロの歌手としてやっていくんなら、どうなのかな?"
そんな感想を持ってしまった。

今、あの時とは違うのかな?
これは、僕の持論だけど、歌い手っていうのは、どこまで行っても、オリジナルの"伝え人(つたえびと)"であるべきだと思う。
そして、役者ってのは、そのお話の中に入っていかねばならない人。
いや、物語の主人公(その人)に取り憑かれなくてはならない。実際、憑依されて、ナンボだと思う。

ところで、僕は、増田有華が、役者に挑戦することは、とてもいいことだと思っている。決して、回り道なんかじゃない。
ただし、それは、お話の中で遊んだ経験や感覚を持って、歌の世界に戻ってきた時のみ。フィードバック出来た時のみ。
"やっぱり、私は歌やな…ホームグラウンドやな!"って思ってしまうのかもしれない。
すべて、彼女の心の中に答えがある。
舞台の出来不出来ではなく…、ま、主演やもんね…とりあえず、わかりやすいわね。
気づく?気づかない?その舞台のすべてが終わった後だね。

増田有華、今、勝負の時!
コメント (2)
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アイドル言語学:現在のアイドルという言葉の使い方を、昔はしなかったという単純な事実(ナッキー)

2011-10-13 05:00:00 | 新聞・本に登場、AKB48・アイドル
アイドル言語学:現在のアイドルという言葉の使い方を、昔はしなかったという単純な事実を念頭に新聞を読む(ナッキー)

稲増龍夫氏が、「アイドル工学」という本を出版した時、「アイドル美学」「アイドル神学」という三部作にしたい、と語っていたが、いまだ発刊されていない。
ヅカファンが読み解く「アイドル工学」の書評、アイドルの特徴のどの部分が、タカラヅカと共通かを論じたブログが興味深かったので、リンクをはります。

私は、アイドル言語学を、老後の楽しみとして研究したいと考えている。
アイドルという言葉は、1971年の南沙織からというのが定説である。

ここで用いているアイドルとは、英語のアイドル(idol 偶像の意味、以下、広義アイドル)ではなく、日本の芸能界で活躍する若手歌手のうちアイドルと呼ばれている人(以下、狭義アイドル)である。

野球選手長嶋茂雄は、1958年にプロデビューしたが、広義アイドルの意味で、アイドルと言われただろう。しかし、狭義アイドルではない。同様に、大鵬、美空ひばり、吉永小百合、加山雄三、グループサウンズは、広義アイドルでしかなかった。
日本の芸能界で活躍する若手歌手でも、演歌歌手藤圭子は、アイドルとは呼ばれなかった。広義アイドルだったけれども。

二つの記事を引用します。
その1:朝日新聞3月20日書評「K-POPがアジアを制覇する」
その2:週刊朝日9月23日書評「上を向いて歩こう 名曲に託された日本復興の軌跡」

その1:完成型でデビューする韓国に対して、AKB48のように、素人同然で芸能界に入り、努力しつつ成長する過程を見せる日本。

感想:アイドルの実態はここに書かれている通り。アイドルが素人は昔からの定説、しかし、努力・成長という特徴は、秋元康がAKB48で提唱したキーワードが定着したものと感じます。
アイドル工学によると、70年代に登場したアイドルは、技術がなくて何もできない。世間は、そんなものを愛好するなんて馬鹿だ、商業主義に踊らされている、とファンたちを謗る。それに対抗するのが、『平凡』『明星』による根性物語のアピールだ。すごく健気ないい子なんですよ、がんばってるんですよ、と、「裏」と「表」を合致させようとする。
秋元康の「努力・成長」を、「根性・がんばっている」。意味は同じだが、「成長を見せる」というコンセプトは、AKB48以前にあったのか。アイドル言語学のテーマの一つ。

その2:音域が狭く声量にも恵まれない坂本九に対しての「歌手としての評価」は、当時はさんざんなものだった。彼はお茶の間のアイドルでしかなく、「上を向いて歩こう」の評価が、作詞作曲コンビにばかり向けられる風潮に、(以下省略)

感想:「上を向いて歩こう」がヒットしたのは、1963年、狭義アイドルが日本に誕生する8年前である。坂本九が批判されたとしたら、アイドルという言葉によってではなく、他の言葉で批判されたのではないかと私は疑う。例えば、歌唱力のない歌手は、お茶の間のタレント、と批判されていたのではないか。
現代はアイドルという言葉が定着しているから、昔からこの言葉があったかのように錯覚してしまった例でと思われます。アイドル言語学のテーマの一つ。

清少納言は、平安時代の宮廷のアイドルであった。

という文章を読んだら、平安時代に、「アイドル」なんて言葉が使われていなかったはず、とほとんどの人が突っ込むだろう。
しかし、美空ひばりは昭和のアイドル、という文章を読むと、多くの読者は違和感を感じない。

その理由は、
(1)1971年アイドルという言葉が使われ出した当時、美空ひばりは現役の歌手だった。
(2)美空ひばりは、狭義アイドルではないが、広義アイドルとして、アイドルと呼ばれていた時期があるから。

同じ理由で、坂本九はお茶の間のアイドル、にも違和感を感じない人が多いだろう。
しかし、歌唱力がないお茶の間のアイドルという坂本九は、現在だったら、狭義アイドルの意味で、アイドルと言ってもよいが、当時はその言葉がなかった。

引用その1:(アイドルの成長過程を見せる)背景の一つには、高校野球をはじめとした日本の「部活文化」があるのではないかと推測する。かつてのアイドルは山口百恵をはじめとして、大人っぽかった。規範意識・伝統といった「大きな物語」がまだ生きている韓国と、「成熟を拒否する自由」を得るにいたった日本の違いがそこにある。

感想:山口百恵ほど、子供っぽいアイドルはいなかったと私は回想するのだが、その山口百恵は、「としごろ」(デビュー曲、14才)であり、評者が大人っぽいというのは、「横須賀ストーリー」以降の山口百恵なのだろう。


アイドルという言葉の使い方、補足:
清少納言は、歌もうまかったので、アイドルという比喩は似合わない。(歌は、もちろん、和歌の意味。)
しかし、「紫式部は演歌歌手で、清少納言はアイドル」という比喩であれば、宮廷での人気は清少納言の方があった(と歴史の授業で習った記憶がある)のだから、平安時代は、演歌もなかったし、アイドルもいなかったけど、比喩としては成立する。
比喩としてのアイドルが、1971年以前の文化に使われる。アイドル言語学のテーマの一つである。

ナッキー
コメント (1)
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