ナッキーさんのご指名なので、長谷川真弓さんの思い出を書く。
ナッキーさんから「バスケットボールが写っているジャケット写真」というクイズを出され、女優というヒントを貰うまで分からなかったのは悔しかった。歌手専業のアイドルばかり考えて思い出す対象から外れてしまっていたが、すぐに思い出さなければならない人だった。
1984年11月、彼女に2時間くらいインタビューしたことがある。
当時私は社会人1年目で、ナッキーさんと知り合ったのもこの年だ。会社では研修期間中だったが、その合間を縫って友人とアイドルを語るミニコミ誌を作っていた。ワープロも普及しておらず、手書き原稿をコピーした粗末なものだった。その「取材」と称して、彼女にインタビューを申し込み、まんまと受諾されたのである。
会社帰りに総勢3人で横浜まで出かけ、喫茶店でインタビューした。マネージャーさんも同席していたが、スーツ姿の大人が、いたいけな女子中学生を取り囲んで、周りからは一体なにごとかと思われたことだろう。
芸能人と長時間話をしたのは、後にも先にもこの時1回限りである。
当時中2の彼女は、劇団に所属し、『太陽の子』という映画で好評を博し、有望な子役(または若手女優)と目されていた。そして、たまたまフォーク歌手の後藤悦次郎氏(紙ふうせん)のプロデュースでレコードも出していた。そのデビュー曲にしてラストシングルが『星に約束』である。
流れる星に約束した 人を愛して生きてゆくの
ベルをならすの発車のベルを 私の旅は今はじまるの
青春の目覚めと旅立ちの歌である。ゆっくりとしたメロディーを、か細い裏声で歌う。決して上手な歌ではないが、14歳の現実感がそこはかとなく感じられ、好きな曲だった。
ちなみに彼女は公立中学で本当にバスケットボール部に入っていて、インタビュー当日も放課後部活をした後ということだった。
インタビューでは色々なことを聞いた。
今回改めてミニコミ誌を読み返してみたが、やっぱり、いたいけな中学生を大人が寄ってたかって問いつめているような感じで、今更ながら申し訳なく思う。私もまだ若くて、芸能人にはじめてインタビューするというので意気込んでいて、相手を思いやる余裕がなかったのだと思う。いやな顔をせず応対してくれた彼女は、中学生でもやはりプロの女優だったのだろう。改めて感謝する。
大人になっても女優を続けたいかという質問に対して、続けたいとはっきり答えてくれた彼女は、その言葉どおり、息長く、今も女優を続けている。私生活でも二児の母になったようだ。
彼女の幸福と、ますますの活躍をひっそり願っている。
ナッキーさんから「バスケットボールが写っているジャケット写真」というクイズを出され、女優というヒントを貰うまで分からなかったのは悔しかった。歌手専業のアイドルばかり考えて思い出す対象から外れてしまっていたが、すぐに思い出さなければならない人だった。
1984年11月、彼女に2時間くらいインタビューしたことがある。
当時私は社会人1年目で、ナッキーさんと知り合ったのもこの年だ。会社では研修期間中だったが、その合間を縫って友人とアイドルを語るミニコミ誌を作っていた。ワープロも普及しておらず、手書き原稿をコピーした粗末なものだった。その「取材」と称して、彼女にインタビューを申し込み、まんまと受諾されたのである。
会社帰りに総勢3人で横浜まで出かけ、喫茶店でインタビューした。マネージャーさんも同席していたが、スーツ姿の大人が、いたいけな女子中学生を取り囲んで、周りからは一体なにごとかと思われたことだろう。
芸能人と長時間話をしたのは、後にも先にもこの時1回限りである。
当時中2の彼女は、劇団に所属し、『太陽の子』という映画で好評を博し、有望な子役(または若手女優)と目されていた。そして、たまたまフォーク歌手の後藤悦次郎氏(紙ふうせん)のプロデュースでレコードも出していた。そのデビュー曲にしてラストシングルが『星に約束』である。
流れる星に約束した 人を愛して生きてゆくの
ベルをならすの発車のベルを 私の旅は今はじまるの
青春の目覚めと旅立ちの歌である。ゆっくりとしたメロディーを、か細い裏声で歌う。決して上手な歌ではないが、14歳の現実感がそこはかとなく感じられ、好きな曲だった。
ちなみに彼女は公立中学で本当にバスケットボール部に入っていて、インタビュー当日も放課後部活をした後ということだった。
インタビューでは色々なことを聞いた。
今回改めてミニコミ誌を読み返してみたが、やっぱり、いたいけな中学生を大人が寄ってたかって問いつめているような感じで、今更ながら申し訳なく思う。私もまだ若くて、芸能人にはじめてインタビューするというので意気込んでいて、相手を思いやる余裕がなかったのだと思う。いやな顔をせず応対してくれた彼女は、中学生でもやはりプロの女優だったのだろう。改めて感謝する。
大人になっても女優を続けたいかという質問に対して、続けたいとはっきり答えてくれた彼女は、その言葉どおり、息長く、今も女優を続けている。私生活でも二児の母になったようだ。
彼女の幸福と、ますますの活躍をひっそり願っている。