振り込み支払いで銀行に行ったときのこと。おつりをもらう段になって窓口の女性が、「△△△でもよろしいでしょうか?」と遠慮がちにたずねてきた。「そう言えばそんなものもあったなあ」と、今では忘れ去られていった△△△が哀れに思われ、「別にかまいませんけど..」ともらってあげることにした。
窓口の女性が、ホッとしたようにニッコリして差し出したのがこれ。
表の一部 裏の一部
もうお分かりでしょうが、△△△=弐千円札だ。聞きもしないのに、窓口嬢は「もっと流通させるよう指導されているんです。」と申し訳なさそうに説明してくれた。
みなさん、どんな図柄だったか憶えていますか?全体はこんなでした(表)。裏には「源氏物語絵巻第三十八帖「鈴虫」」の段、源氏(日銀)の気を引こうと忙しく月見の準備をする尼さん(銀行と窓口譲)たち、その物音を虫の音に例えて愛でる源氏の宮、いまだ現れぬ「十五夜の月」は「弐千円札」か..、いとをかし。
表に守礼門を置いたのは沖縄の歴史への後ろめたさの現われか、裏に源氏物語と紫式部。他のお札では肖像画のある方が表だが、弐千円札の紫式部だけは裏に小さく置かれている。お札になるというのは名誉なことだろう。しかし、紫式部もえらい貧乏くじを引かされたものだ。いや、そうでもないかも。銀行の金庫にも収集家のコレクションにもたくさんピン札のままで残れるだろう。22世紀には21世紀初頭のトリビアとしてクイズネタになっているかもしれない。Yahooオークションでも高値で取引されているかも。歴史では何が幸いするか分からない。
それにしても、弐千円札の存在意義って何なんだろう?
最後に蛇足ながら、「もののあはれ」の「あはれ」は「哀れ」の意ではない、などと洒落の分からない野暮な茶々は入れないように..。