子供だましの放水や現場作業者に被爆させてまでの時間稼ぎにもかかわらず、福島原発は刻々と破綻に向かっている。いかにも収束に向かっていそうな印象を与えようとするパフォーマンスをしてまで悪あがきをしているのはいったい何故なのだろうか?
原発反対派はその危険性ばかり強調するが、推進派がなぜ危険を隠してまで強引に推進しようとするのか、その動機付けを説明し切れていない。
推進派の言うように、原発は確かに化石燃料発電に比べればCO2排出はずっと少ない。また、化石燃料はこのまま消費が増えると100年もつか持たないかといわれているのに対し、核燃料は永遠に近い。
ウラン自体は今後60年で掘り尽くされてしまうだろうという見方もあるが、二次生成物のプルトニウムの半減期は2万4千年もある。使用済み核燃料の再利用(核サイクル=プルサーマル)をすれば、まあ、とりあえずは半永久的といえるだろう。
核兵器転用目的や大事故を起こした原発は論外だが、低レベルにコントロールされた「核=放射線」の危険性というのは、要するに確率とプライオリティの問題である。
何時間の被爆でガンを発症する確立が何%であるか、あるいは体内被曝と体外被曝での確率の大小。反対派は確率が増加することを問題視し、推進派はレントゲン撮影やCTを引き合いに被爆のリスクデメリットと病気の早期発見メリットとのバランスの問題にすり替えようとする。反対派はデメリットを押し出し、推進派はメリットを強調する。
他の問題でもよくあることだが、こうした論議はとかくかみ合わず水掛け論になりやすい。
私自身は、現状では原発には反対である。
第一に、現在の技術ではコントロールしきれないから。もし将来、完璧にコントロールできるようになれば便利なエネルギー源として利用できる可能性無しとはしない。
しかし、現状では大小含めて事故は頻発しているし、いったん動かし始めれば止めることができない。点検などの際には停止したと言っているが、核反応(放射線放出)が止まっているわけではない。放出される放射線を制御棒で吸収し、核反応の増大を抑えているだけで、現在の技術では核反応自体を止めるすべはない。正確には核反応の停止ではなく発電所機能の休止であり、その分危険な期間が数千年の単位で長くなるだけのことだ。
第二に、原発がなくても困らないから。少なくとも原発がなくてエネルギー的に少々窮屈になっても、それに合わせたライフスタイルにすることによって危険にさらされず安心して生活できるほうがいいに決まっている。
それでは何故、推進派はそこまで原発に固執するのだろうか?
それは金儲けこそが資本主義社会の推進力であるからに他ならない。
旧ソ連圏(東欧)諸国では今、旧ソ連製の原発が老朽化し更新を迫られている。また資本主義先行国に追いつけ追い越せと強引な成長を図る中国、インドのエネルギー需要の急速な増大、石油産出国でありながら精製技術がなく先進国に依存せざるをえない中東諸国の原発エネルギー需要。発展途上国では潜在的原発需要が増大している。
一方で、エネルギー供給の核化は、化石燃料から転換した莫大なCO2排出権を生みだす。欧州では排出権取引市場が準備されつつあり、新しいこの市場に参入することによって更なる莫大な利益を生むことができる。しかし、世界1位のCO2排出国となってしまった米国は、核化抜きにCO2削減はもとより、排出権購入の必要こそあれ排出権の捻出などもはや不可能なところまで来てしまっている(だからこそ「京都議定書」を批准するわけがない)。
欧州中心に高まる温暖化防止・環境保護の動きの中で、米国としては“同盟国”日本を巻き込んででも核化によるエネルギー確保と排出権捻出の一石二鳥が国家戦略とならざるをえない。実際、オバマの前、ブッシュの時代から「核燃料サイクル計画」は、(TPP、食料支配と並んで)米国の国家戦略の一つの柱となった。
旧自民党政権のもとでこの米国の核サイクル戦略に組み込まれた「同盟国」日本は、民主党政権となってもその戦略を踏襲し、菅政権の所信表明でも新幹線売り込みと合わせて、米の核燃料サイクル計画に沿った核燃料サイクル含む原発売り込みが2大経済国家戦略として強調されていた。
そしてこの間、日米の核関連大企業は、三菱・日本原燃・アレバグループ、東芝・住友・古川・ウェスティングハウスグループ 、日立・GEグループなどが日米核燃料サイクル計画提携の合従連衝と、中国、インド、旧ソ連圏諸国、中東諸国からの原発受注競争に狂奔しているのだ。
そんな中、日本は核燃料サイクル施設(六ヶ所村、東海村)と原発売り込みのためのショールームと化してしまった。ショールームで不良品の展示など許されるはずもない。今回の原発(デモンストレーション展示品)の破綻は、あくまで想定外の地震・津波によってもたらされた不測の「事象」なのであって、絶対に「事故」であってはならないのだ。