2週間がたった。
おそらく、被災をまぬがれた日本中の多くの人たちが「何かしたい」「何かしなければ」という思いに駆られていることだろう。私もその一人。
ネットで被災地の自治体や社会福祉協議会の支援要請情況を調べると、現状ではボランティアの受け入れは、自力で交通・宿泊・食事ができる県内もしくは近県の人のみとされている。当然だ。被災地で貴重な燃料・宿泊所・食事などを消費されたのではたまったものではない。
一方で、TVの実況では「現地では人手が足りない」と繰り返され、遠くから友人の支援に駆けつけた人の紹介がされたりすると、「ボランティアというのは闇雲に行けば良いというものではない」とわかってはいても、まるで「この一大事にいったいお前は何をやってるんだ!」と責め立てられているような気にもなってしまう。
ボランティアをするにしてもどこかが効果的にコーディネートしないと、個人が勝手に動いては混乱を招くだけだと思うので、私の居住地京都の自治体では救援ボランティアをどうしているのかと調べてみると、今日26日の時点でもやはりまだ「現地の受け入れ態勢ができるまで待て。問合せ電話なども迷惑になるので控えるように」とされている。
震災のあった週明け、とりあえずは役所に行ったときにおいてあった募金箱に募金をしてきた。
被災者の疎開受け入れも始まっているようだが、残念ながら狭い我が家にはそんな余裕はない。
物資を送るといっても現地に必要の無いものを送ってもかえって邪魔になるだけだし、必要そうな物でも個々人がわざわざ買って送るよりは日赤なりのセンター的な組織が必要な物を募金でまとめてそろえて送る方がはるかに効率的で効果的だ。NPOや自治体が個人からの物資提供を募っているのは、正直あまり賛同しかねる。
そんな中、こんな取り組みが地方紙に載っていた。
性別・年代・サイズが一致する不特定の個人に衣類などのセット(福袋みたいな)を手紙とともに送るという取り組みだ。確かにこの方法なら「仕分け」の手間や需要と供給のミスマッチもかなり防げそうだ。それでもやはり物ごとにまとまった大量支援の方が有効だとは思うが、手紙も添えて届けるというのは被災者への精神的な励ましににはなるかもしれない。わざわざモノを買って用意するのなら募金をしたほうがマシだとは思うけれど、今手持ちの物で役立ちそうなセットが作れるなら考えてみようかと思う。