雪で燻製窯を作ればお金はかからないし、煙も熱くならず冷燻が上手くできるのではないかと思いついて、ログハウス作業の合間に試したみた。(ログハウス作業については「田舎暮らし応援団」掲示板に)
分かりにくい写真だが、要するに“かまくら”の中で燻煙してみようというわけである。
左の写真、黒い台形部分が燻煙材の焚口で、奥に向かって煙を冷やす煙道が続き、奥が燻煙窯となっている。右の写真は出来上がった燻製を取り出すために燻煙窯の一部を壊したところ。黒く見える雪洞内に豚バラ肉が吊るしてあった。燻煙材はヒッコリーのスモークウッド。燻煙時間は約6時間、ふだん、一斗缶の燻煙窯でやっている分には十分な時間である。
で、結論から言えば、今回はあまり上手くいかなかった。
一応、燻製のような香りはほのかについたが燻製と呼ぶにはツライものがあった。食べられることは食べられたが。
原因として考えられるのは、
1)雪が煙の香り成分を吸収してしまう。実際、窯部分につけた煙突から排気されてくる煙は通常より香りが少ない気がした。
2)通常冷燻は温燻より時間がかかるとされ、6時間では短かかった。
3)煙道がほぼ平行であったため煙の回りが不十分。登り窯のように窯を焚口より高めにすべきであった。
4)煙が逃げるのを防ぐため焚口を雪で塞がざるをえず、酸素不足となって煙の発生が不十分ないしは遅い。
などが考えられる。機会があれば改良して、懲りずにまた挑戦してみるつもりである。
むかし、「リリー・マルレーンを知っていますか?」という本があった。タイトルはチョイとそれをパクった(そんなことはどうでもよい)。
宮武外骨、そのまんま「ミヤタケ ガイコツ」と読む。本名である。1867年、香川県生まれ、1955年、東京都文京区の小宅にて没。
回顧展?が伊丹市立美術館で開かれている。以下、案内ビラより抜粋、
「1901(明治34)年1月、大阪の出版業界にセンセーションを巻き起こした諷刺雑誌『滑稽新聞』が創刊される。その編集方針は、「威武に屈せず富貴に淫せず、ユスリもせず、ハッタリもせず」。出版したのは宮武外骨。強烈な諷刺精神に満ちあふれ、メディアの創成期を縦横無尽に駆け巡った稀代のジャーナリストである。」
彼が発禁、廃刊、不敬罪投獄を繰り返しながら懲りずに刊行し続けた新聞、雑誌は、「頓智協会雑誌」「滑稽新聞」「(日刊)不二」「面白半分」「スコブル」「猥褻研究会雑誌」「赤」...、他数十に及ぶと思われる風刺、反権力ジャーナリズムを刊行し、あるいは関わっている。
展示されている「赤」には、「日本という国名は『日の本』の意であるが科学的根拠は何もない。世界ではエスキモーについでチビ、国土も台湾、朝鮮についで小さい日本人が大日本などと『大』を付けたがるは滑稽、『大』を付けたがるのは侵略の意の表れ。もっとふさわしい国名をつけよ」と喝破している。
「選挙有権者同盟団」なるものを作って衆議院に立候補、当時の2大政党、立憲改進党と自由党を「投票乞食」と皮肉っている。当時はそれでも少数政党を含めて7政党が議席を分け合っていて昭和末期の政情に似ている。
その後、明治後期から大正にかけて、名称は頻繁に変わるが現在の自民、民主2大政党制と似たような時代が続いた。そんな「安定」と腐敗の時代にガイコツ先生、第13回総選挙に「選挙違反告発候補者」を名乗って再度立候補。投票日が来る前から、雑誌「スコブル」に「落選報告会」を予告し、「憲政政治の根本たる選挙の意義を解せず、投票は頼まれてすべきこと、買う人に売るものと心得るが如き、盲目的没理的の選挙民が多く、また其の愚民に迎合する戸別訪問の叩頭手段を執る醜劣な候補者、及び其候補者を喰い物にする悪辣な運動者の多い現代では、我々の如き...理想的立脚の正義硬骨な候補者は、到底当選しうる見込みはない、...」と、現代の選挙情況にも通ずる慧眼ぶりである。
こんな痛快・素敵な人物が日本に、しかもあの絶対天皇制の明治~昭和初期の時代にいたことに嬉しくなる。以前紹介した、「どこかに○いってしまった○ものたち(クラフト・エヴィング商會)」はじめ、糸井重里さんの「ヘンタイよい子新聞」、荒俣さんの奇想世界、水木さんの妖怪世界、VOWシリーズ、...、私の好きな世界ではある。しかし所詮、体制枠内でのお遊びでしかない。しかしこのガイコツさん、一味違う。一つ間違えば命を落としかねないあの時代に、時の権力、権威を徹底してからかっているのだ。ただ一つ残念なのは、からかいと皮肉に終始し、アジア侵略戦争前夜から太平洋戦争にいたる暗黒の時代には、天に唾する単なる奇人として埋没し忘れ去られていったことであるが、“不屈の反戦英雄”というようなキャラクターは彼には似合わないし、彼自身望んでもいなかったのだろう。