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てらまち・ねっと



 昨年11月、オウム事件の裁判がいずれも一旦終結した、とされていた。 
 その事件の関連。
 一昨日1月1日の早朝のニュースで、「31日夜11時50分ごろ、オウム事件の容疑者が出頭、逮捕」と流していた。

 出頭だから、最初は、「なぜ、年末の23時50分ごろというギリギリにしたのか」と思った。
 その後の報道で、「逮捕してくれ」という旨で出頭したのに、「警視庁本部」が「いたずら」と思って、別の署に行くよう追い払ったという。
 そんなことからすると、除夜の鐘、ギリギリを狙ったわけでもなそう・・・

 出頭の意図についての「推測」のコメントがいくつかあった。
 そのなかで、「逮捕によって事件の裁判を再開させることで、松本の死刑執行を遅らせる目的ではないか」というものがあった。
  ・・そんな見方もあるのかと意外な印象を受けた。
       「捜査幹部は「出頭は、捜査をかく乱し、教祖の死刑執行停止狙いとみるのが自然」と指摘した」 

 ところで、平田信容疑者は、その後面会した弁護士を通じて、「声明をだした」という。 
   「それによると、出頭の理由は「国松長官(銃撃)事件が時効になり、間違った逮捕はあり得なくなったので早く出てきたかった。だが色々なことがあり遅れた。
    (東日本)大震災で不条理なことを多く見て、自分の立場を改めて考えた。2011年のうちに出頭したかった」。
    教団元代表の松本智津夫については「死刑執行は当然。松本死刑囚もオウム真理教も信仰していない」


 「声明」という仰々しさも、これをそのまま信じていいかは疑問も大。

 ともかく、12月31日の夜ということからして、普通の出頭とは違う雰囲気があると感じるのは私だけではないだろう。
 いずれにしても、真相の解明を待とう。

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●機動隊員、平田容疑者に気付かず=まず本部出頭も「署に行け」―警視庁
    朝日 2012年1月3日0時6分
 目黒公証役場事務長仮谷清志さん=当時(68)=の監禁致死事件で逮捕されたオウム真理教元幹部平田信容疑者(46)が、警視庁丸の内署に出頭する約15分前に警視庁本部を訪れたものの、警戒中の機動隊員が気付かず、同署に行くよう指示していたことが2日、分かった。

 平田容疑者が再び逃走した恐れもあり、同庁警備部は「経緯を聞き、対応に問題がなかったか調べる」としている。

 捜査関係者によると、平田容疑者は昨年12月31日午後11時35分ごろ、1人で警視庁本部を訪れ、庁舎前で警戒中の機動隊員に「特別手配の平田信です。出頭しに来ました」と申し出た。しかし、機動隊員は風体が手配書と違うためいたずらと思い、「近くにある丸の内署か交番に行くように」と指示したという。

 平田容疑者は「分かりました」と言い、約650メートル離れた丸の内署方向に歩いて向かった。  [時事通信社]

●平田容疑者、まず警視庁へ 機動隊員、気づかず門前払い
          朝日 2012年1月2日23時27分
 平田容疑者が丸の内署に出頭する前、東京・霞が関の警視庁本部を訪れ、庁舎前で警備のために立っていた機動隊員に名乗り出ていたことがわかった。その場で身柄を拘束されず、隊員の指示で同署に1人で向かったといい、再び逃走するおそれもあった。同庁は事実関係を詳しく調べ、必要な対応をとるとしている。

 警備1課によると、平田容疑者は12月31日午後11時35分ごろに本部を訪れ、隊員に「平田信です。出頭してきました」と申し出た。だが、隊員は人相などから本人ではなく「悪質ないたずら」と判断、「近くに警察署があるから」と同署に向かうよう指示。平田容疑者はさらに「特別手配の平田です」と言ったが、聞き入れなかったという。

 平田容疑者は約15分後、700メートルほど離れた同署の前に立っていた署員に名乗り出た。本部からは歩いたとみられる。平田容疑者は髪は伸びていたが整形はしていないとみられ、顔の特徴や体形は手配時とほとんど変わっていなかったという。

●警視庁本部に「出頭」もいたずらと判断
         TBS (03日00:28)
 オウム真理教の元幹部、平田信容疑者が出頭し逮捕された事件で、平田容疑者は当初、東京の警視庁本部に出頭しようとしましたが、機動隊員が「悪質ないたずら」と判断し、身柄拘束などの対応をとらなかったことがわかりました。

 警視庁によりますと、平田信容疑者(46)は出頭直前の大みそか午後11時半ごろ警視庁本部に1人で現れ、「平田信です。出頭してきました」と警備にあたっていた機動隊員に話しました。しかし機動隊員は、人相などから「悪質ないたずら」と判断し、「警察署や交番に行ってください」などと言って近くの丸の内警察署の方向を示したということです。

 平田容疑者は、その後も「特別手配の平田信です」などと話したものの機動隊員は受け付けず、最終的に丸の内警察署に出頭したということです。身柄拘束などの対応をとらないことで再び逃亡する可能性もあったことから、警視庁は当時のいきさつをさらに調べています。

●警備の警官 名乗っても取り合わず
          NHK 1月3日 4時28分
オウム真理教の元幹部で、公証役場の事務長の監禁致死事件で逮捕された平田信容疑者が、都内の警察署に出頭する直前に近くにある警視庁の本部を訪れ、警備をしていた機動隊員に名前を名乗って出頭する意思を伝えましたが、機動隊員が悪質ないたずらだと判断して取り合わなかったことが、警視庁への取材で分かりました。警視庁は「事実関係を調査して必要な対応を取りたい」としています。

オウム真理教の幹部だった平田信容疑者(46)は、平成7年2月、東京・品川区の公証役場の事務長だった假谷清志さん(当時68)を車に乗せて監禁したうえ、教団施設で薬物を注射して死亡させたとして、監禁致死の疑いで逮捕されました。警視庁によりますと、平田容疑者は「車を運転していただけで、假谷さんが死亡したことはあとから知った」と容疑の一部を否認しているということです。

 平田容疑者は、去年の大みそかの深夜、東京の丸の内警察署に出頭しましたが、その15分ほど前に近くにある警視庁の本部を訪れていたことが、警視庁への取材で分かりました。警視庁によりますと、平田容疑者は、敷地の入口で警備をしていた機動隊員に歩いて近づき「平田信です。出頭してきました」と伝えたということです。これに対し、機動隊員は、手配書の写真と比べて身長や顔つきがやや異なると感じたことや、話しぶりなどから悪質ないたずらだと判断し、「何か言いたいことがあるなら近くの丸の内警察署や交番に行くように」と言って取り合わなかったということです。

平田容疑者は、再度、「特別手配されている平田です」と伝えましたが、対応が変わらなかったため立ち去り、およそ600メートル離れた丸の内警察署に出頭したということです。警視庁警備部は「事実関係を調査して必要な対応を取りたい」と話しています。


●平田容疑者:逃亡17年、出頭…長官狙撃「自分じゃない」
          毎日新聞 2012年1月3日 2時30分
 元オウム真理教幹部で特別手配されていた平田信容疑者(46)が12月31日夜、警視庁丸の内署に出頭し、同庁捜査1課は1日未明、公証役場事務長だった仮谷清志さん(当時68歳)に対する逮捕監禁致死容疑で平田容疑者を逮捕した。平田容疑者は「事件から年月がたったので区切りを付けたかった」と出頭の理由を説明。逃亡生活は17年近くに及んだ。

 ◇「区切り付けたかった」
 「平田信です。出頭してきました」。平田容疑者が皇居に近い丸の内署の入り口に立っていた署員に告げたのは、大みそかの午後11時50分ごろだった。警視庁が地下鉄駅の防犯カメラの分析や回収した切符を調べたところ、平田容疑者は午後11時過ぎ、東京都内の駅から東京メトロに乗り、乗り換えなしで霞ケ関駅に到着していたことが判明。警視庁本庁に寄った後、署までは歩いてきたとみられる。

 「手配写真そのままという印象だ」と捜査幹部は語る。全国に張り巡らされたポスターの通り、身長183センチの長身。肩に届くほどの茶色っぽい長髪。服装は黒のダウンジャケットにジーンズ姿で、スニーカーをはいていた。整形したり、変装したような形跡もなかった。

 署員は平田容疑者をエレベーターに乗せ、5階にある刑事組織犯罪対策課に連れて行った。左首筋にはポスターと同じ5ミリぐらいのホクロがあった。取調室で採った指紋も一致。1日午前3時前に本人と確認された。

 逮捕時間は午前5時ごろ。
調べに対し、平田容疑者は「(警察庁長官)狙撃事件の犯人のような扱いをされているのを報道で知り、自分じゃないので恐ろしくて逃げ続けた」と供述したという。警視庁は同事件には教団が関与したとみているが、平田容疑者は「自分は関係ない」と関与を否定した。

 取り調べには落ち着いて応じているといい、仮谷さん拉致事件については「井上嘉浩死刑囚の指示を受けて車を運転しただけだ」と容疑を一部否認しつつも、「仮谷さんには申し訳ないと思う。俺は逮捕されて当然だ」と述べた。一方で、「いろんな支障が出たら困る」と、潜伏先については語らず、支援者の存在をほのめかしている。

 平田容疑者が持っていたリュックサックに入っていたのは、着替え、試供品のシャンプー、くし……。身分を示すものや携帯電話はなく、現金約10万円を持っていた。捜査幹部は「ひげも伸びておらず、汚れた印象もなかった」と話し、警視庁は逃走を支援する人物がいたとみて追及する方針。2日、平田容疑者の身柄を送検した。

 一連のオウム真理教事件では、平田容疑者のほか、高橋克也(53)と菊地直子(40)の両容疑者も特別手配されている。松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚を含め起訴された189人の判決は昨年12月に全て確定していた。【内橋寿明、村上尊一、松本惇】

 ◇仮谷さん拉致で11人目
 ◇平田信容疑者の逮捕容疑◇
 95年2月28日午後4時半ごろ、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)らと共謀し、東京都品川区上大崎3の路上で、目黒公証役場事務長の仮谷清志さん(当時68歳)をレンタカーに監禁。山梨県上九一色村(当時)にあった教団施設に連れて行って薬物を注射し、同年3月1日、気管閉塞(へいそく)などで死亡させたとしている。仮谷さん拉致事件での逮捕者は11人目。


●平田容疑者:緊迫、未明の逮捕「迷惑かかる」潜伏先語らず
          毎日新聞 2012年1月2日 20時59分
 大みそか、東京・皇居近くの警察署に突然現れた元オウム真理教幹部、平田信容疑者(46)。「平田信です。出頭してきました」と署員に告げ、17年近くに及んだ逃亡生活に終止符を打った。全国の警察や社会の「目」をどうくぐり抜けたのか。なぜ、今になって姿を現したのか。平田容疑者は1日未明に逮捕され、「一区切りつけたかった」と供述したものの、「人に迷惑がかかる」と潜伏先については供述を拒んでいるという。劇的な出頭・逮捕で、教団の闇はどこまで明らかになるのか。

 平田容疑者が出頭した丸の内署には1日未明、次々に捜査員が集まった。午前3時ごろには、普段は制服姿の署幹部が無言で署内を行き来するなど緊迫。さらに約1時間後、捜査1課幹部が、同署前に集まっていた数十人の報道陣に「後で(取材)対応するから」とだけ言い残し、慌ただしく車で走り去った。

 平田容疑者のこざっぱりした服装を見た捜査幹部は「路上生活をしていたとはとても思えない」と漏らした。「ひと目見て、平田だと思った」と衝撃も受けたという。平田容疑者は「いろんな所に支障が出たら困る」と、17年近く何をしていたのかを語ろうとしないといい、その足取りは謎のままだ。

 捜査関係者によると、平田容疑者は地下鉄サリン事件や警察庁長官狙撃事件が発生した95年3月ごろ、教団幹部から「逃走資金」として数百万円を受け取ったとみられているが、足取りが把握されているのは96年2月までだ。

 地下鉄サリン事件直後の95年3月27日、東京都内で運転免許証と旅券の更新手続きを行い、三重県へ。再上京した4月4日、免許証などを受け取ると、同13日にはフェリーで徳島市の教団信者宅に向かった。このころ、事件に関係するガスマスクなどの証拠物を北関東の山中に捨てたとみられている。

 同年8月には名古屋市内で当時逃亡していた林泰男死刑囚(54)と会ったとされる。教団の東京総本部や山梨県上九一色村(当時)の施設も訪れていたようで、ある教団幹部には「バーテンをやるか、山の中の陶芸をやるところに入り込めば逃げられる。札幌に行けば、昔の仲間がいるのでなんとかなる」などと語ったという。

 同年5月の指名手配後、逃走を支えたとみられるのが、教団看護婦だった女性信者(49)だ。この女性が96年2月までの3カ月間働いていた仙台市内の料理店の従業員寮のアパートには、一緒に暮らしていたとみられる形跡があったが、2人の足取りはこの後、途絶えた。

 警察当局は95年9月には特別手配をするとともに、北海道に住んでいる両親の家に立ち寄らないかを警戒。しかし、平田容疑者が捜査員の前に姿を現すことはなく、両親も昨年までに亡くなった。父親は生前、関与が取りざたされた警察庁長官狙撃事件について、平田容疑者から「俺は犯人じゃない」と電話で伝えられたといい、捜査員には「息子は犯人じゃない」と繰り返していたという。

 そして迎えた突然の出頭。警視庁によると、平田容疑者は、仮谷清志さん拉致事件について「車を運転しただけ」と触れる一方、出頭した経緯は「一区切り付けたかった」と供述するだけだという。弁護士を通じたコメントでは「国松長官事件が時効になって、間違った逮捕があり得なくなった。教祖の死刑執行は当然と考えている」としたが、真意ははっきりしない。

 出頭はしたものの、17年近い逃走経緯や支援者がいたのかは明らかにならないまま。捜査幹部は「出頭は、捜査をかく乱し、教祖の死刑執行停止狙いとみるのが自然」と指摘した。【内橋寿明、村上尊一】

●なぜ今出頭…麻原死刑囚の執行遅らせる狙いも?
       テレ朝 (01/01 11:50)
平田信容疑者(46)は、なぜこのタイミングで出頭してきたのでしょうか。
 (社会部・能見謙司記者報告)
 平田容疑者は、捜査員に対して「事件から時間がたったので一区切りつけたかった」と話しているということです。オウム真理教をめぐる事件では、去年11月にすべての裁判が終結しています。事件の首謀者、松本智津夫死刑囚をはじめ、189人が起訴され、これまでに元教団幹部13人の死刑が確定しています。一つの見方として、この死刑確定を受け、なんとか執行を止めるためにあえて出頭した。つまり、自分の裁判が開かれ、司法側がその流れを見極めるまで、死刑の執行を止められる、あるいは止めるために身をさらしたというものです。一方で、ある捜査幹部は、一連の裁判終結を知り、もうあらがえないと出頭する決心がついたのではないかとの見方をしています。
 
(Q.逃走中、平田容疑者はどのような生活を送っていたのか。また、警察庁長官狙撃事件への関与はあるのか)
 今回の出頭も突然で、これまでの平田容疑者の足取りはほとんど分かっていません。宮城県で、女性の信者と接触するなどして逃走を続けていたとみられますが、消息は途絶えていました。長官狙撃事件に関してですが、確かに、一時、銃撃の実行犯ではないかと捜査線上に急浮上していました。それは、平田容疑者が高校時代に射撃競技の選手だったことや、事件現場近くで平田容疑者に似た男が目撃されていることなどもこの疑いを濃厚にしていました。しかし、2009年3月、事件解決を見ることなく時効を迎えました。平田容疑者を含め、オウム信者らの事件への関与を立証する確たる証拠は見つけ出せませんでした。
一方で、警視庁は時効成立後に、「事件はオウム真理教によるもの」と指摘する異例の会見を開いています。
今後は、監禁致死事件を踏まえ、平田容疑者が長官狙撃事件に関して何を話すかに捜査が絞られるものとみられます。


●「迷惑掛かる」と逃亡生活語らず=銃撃事件の時効受け出頭と声明―平田容疑者
             ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2012年 1月 2日 16:32 JST
 オウム真理教による目黒公証役場事務長仮谷清志さん=当時(68)=の監禁致死事件で、警視庁に出頭し逮捕監禁致死容疑で逮捕された元教団幹部平田信容疑者(46)が、16年を超える逃亡生活について「余計なことを言うと人に迷惑が掛かるので言えない」と、支援者の存在をほのめかし、回答を拒否していることが2日までに、捜査関係者への取材で分かった。

 平田信容疑者と接見した滝本太郎弁護士は同日、同容疑者の声明を発表した。「長官銃撃事件が時効になったので間違った逮捕はあり得なくなったので早く出てきたかった」と同事件への関与を否定。「教祖の死刑執行は当然のことと考えている。オウム真理教を信仰していない」「東北の大震災で不条理なことを多く見て、自分の立場を改めて考えた」などとしている。

 滝本弁護士は1989年11月からオウム真理教被害対策弁護団で信者の脱会支援に当たるなどしており、94年5月、甲府地裁の駐車場で車にサリンをかけられ、中毒症を負った。この日、平田容疑者から要望があり、接見したという。


 一方、平田容疑者は教団の女性信者と共に逃亡生活を続けていたとみられるが、この女性信者は96年2月に勤務先の仙台市宮城野区の飲食店から姿を消してから行方が分かっていない。

 同容疑者は出頭時数万円の現金を所持し、身なりも清潔だったことから、警視庁は女性信者らから逃亡資金などの援助を受けていたとみて、実態解明を進める。 
[時事通信社]

●逃亡17年、平田容疑者逮捕…支援者の可能性
        (2012年1月3日03時06分 読売新聞)
 1995年2月に発生したオウム真理教による目黒公証役場事務長、仮谷清志さん(当時68歳)拉致事件で、警察庁に特別手配されていた平田信(まこと)容疑者(46)が12月31日深夜、東京都千代田区の警視庁丸の内署に出頭、同庁は1日未明、逮捕監禁致死容疑で逮捕し、2日、東京地検に送検した。

 約17年に及ぶ逃亡生活について、平田容疑者は「人に迷惑がかかるので言えない」と供述。同庁は支援者がいるとみて調べている。

 平田容疑者は、95年3月19日に杉並区のマンションで時限爆弾が爆発した事件でも爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていたが、95年8月に名古屋市内で教団の林泰男死刑囚(54)と会食したのを最後に足取りが途絶えていた。

●「松本死刑囚もオウムも信仰していない」平田容疑者声明
             朝日 2012年1月2日23時40分
 平田信容疑者は2日午前、この日接見した滝本太郎弁護士を通じて「声明」を出した。

 それによると、出頭の理由は「国松長官(銃撃)事件が時効になり、間違った逮捕はあり得なくなったので早く出てきたかった。だが色々なことがあり遅れた。(東日本)大震災で不条理なことを多く見て、自分の立場を改めて考えた。2011年のうちに出頭したかった」と説明している。教団元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)については「死刑執行は当然と考えている。松本死刑囚もオウム真理教も信仰していない」とした。


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