源頼朝と後白河院 Yoritomo and Goshirakawa

今日は、「日本史・中世」の講義を受講しました。
曾我部先生より、「源頼朝と後白河院」を学びました。
この先生の講義は初めてだったのですが、多くのスライドを使われた講義だったので、良かったです。

内容は、
*頼朝と後白河院は、二人とも主流ではなく、傍流だった。
*頼朝は、平治の乱で敗走中に捕らえられ、伊豆に流された。
*南関東の武士が、地域の利害を重視して、頼朝に協力をした。
*後白河院は、中継ぎで天皇になったが、あとの天皇の死亡により、長期政権になった。
*頼朝と後白河院を、北面の武士出身の僧の文覚が結び付けた。
*文覚は、後白河院と頼朝が亡くなったあと、佐渡と対馬に流されて、対馬で亡くなった。
*後白河院と頼朝は、傍流同士、お互いを利用し、鎌倉幕府の成立となった。
*頼朝の肖像画が違う話や、鎌倉幕府設立年号が違う説なども話された。
などでした。
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