tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

8月のしえと

2011-08-21 22:29:24 | 日記

 
 
 
 

古くから日本には1年の節目節目に様々な行事が伝えられている。
「室礼(しつらい)」とはこうした1年の節目に
季節を飾る 言葉を添える 心を盛る ことをいう
先人の霊を招き、客人を招き、感謝の心を供する。

8月のしえと。室礼は“飛騨さしこ”の金魚風鈴。
水の中を泳ぐその涼しげな姿は風鈴にぴったりだ。

「刺し子」といえば、その昔は身の回りにあふれていたような気がする。
中学・高校・大学と、惰性でやっていた剣道の稽古着は、藍染めの刺し子だった。
刺し子で地の厚い綿生地の剣道着は、竹刀で打たれても衝撃を吸収する防具の役割を持っていた。
それに、しわになりにくいテトロンの袴。

・・・育った東北の町。江戸の頃は、農民達の着物は、麻や芋麻(からむし)が主で、木綿は糸としてだけ使うことを許されていた。
なので、北国に暮らす民たちは、保温と補強のために麻地に木綿糸を刺した。

いつしか、「刺し子」はファッションに変わっていく。
明治時代~大正時代。5~6歳頃から針と糸を持たされた娘たちが、自分の嫁入りに備えて麻布に木綿糸で一目一目刺し始める。祭礼や町行きに見事な刺し子の晴れ着を着ることは女性たちの誇りだったのだろう。
貧しい北の農村にあっても、当時も若い女性の美しくありたいとの思いは同じで、驚くべき見事な手仕事で、京にも負けない洗練されたファッションに作り上げていったのだ。

”ぼろきれの人形と時間をかけて遊ぶから、だから人形が大事なものになる。
なくしたら、子供は泣くんだ・・・・”   byサン・テグジュペリ


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ブログエアコン(23)

2011-08-20 23:00:16 | 日記

 

高校の頃の思い出なんてろくなもんじゃない。

「あのせぇ、場内さへったとき、誰かさ、背中をポンと叩かれたでおのぅ」
「おれも、だれかさ背中叩かれたでぁ」
「あれよぉ、ひょっとして、副顧問でねべかぁ」
「んだぁ。いっつも背中叩いて励まして けれたべせぁ」

高校2年の剣道の県大会。いつものようにぼくらの学校は、初戦敗退。
それも、5人の試合メンバーがそろいもそろって一勝もできずの完敗。
いくら、伝統のある強豪校との対戦とはいえ、情けないかぎりだった。
試合が終わって地元に帰る汽車の中で、「試合前に礼をして試合場内へ入ろうとするその背中を、だれかに励まされるように、ポンと叩かれたような気がする」という話がはじまった。
それも、つい先日亡くなった部活の副顧問をしてた臨採講師がいつもしてくれてたように・・・。

みんなが口をそろえて言う。きっと、副顧問が応援してくれてたんだべと。
・・・一応、ぼくも、あいまいに調子を合わせたものの、そんなことは少しも思ってもいなかった。
ただ、引き分けで終わったぼくの試合の後、対戦相手が驚いたような顔でやってきた。面をとったぼくの顔がまるで別人に見えるというのだ。試合中に面越しに見たぼくの顔は、鬼のような恐ろしい顔つきに見えて、気圧された彼は怖くて技をまったく出せなかったという。

苦笑するしかなかった。たしかに、同じ2年生の対戦相手はなぜか守勢一方だった。試合は、0-3で副将戦という経過だったから、もう、ぼくのところで団体戦の敗退は決まっていた。団体戦の勝敗が確定した後の試合。なにもビビることはなかろうに・・・。
鬼の顔?剣道をやったことがある人はわかると思うが、試合相手と正対する時は無心でなくてはならない。怒りや迷い、恐怖などの感情は、剣道ではマイナスでしかない。しかも、ぼくはその試合なんてどうでもいいやと投げてたというのに。はあ?怒り狂っているように見えた??

帰りの汽車の中で、この試合で引退する3年生を中心に、来週末に有志者で副顧問の墓参りに行くことになった。産休教師の穴埋めだった副顧問は、大学を卒業したばかりの若い女性で、みんなの人気者だった。剣道は未経験だったものの、彼女の周りは取り巻きの生徒たちで笑い声が絶えなかった。だが、嫌味な中年の部活顧問と仲が悪かったぼくは、副顧問の彼女とも話をしなかった。つねに、ふてくされた態度のぼく。だから、彼女もぼくを嫌っていたにちがいない。

副顧問は県大会前に亡くなった。なんで死んだのかは、だれもが教えてくれなかった。噂では失恋して、ビルの屋上から飛び降りたと聞いたのだが・・・。
とにかく、副顧問とはそんなに親しくない関係だったから、ぼくは彼女の墓参りには参加しなかった。

みんなが副顧問の墓参りに行った夏休みも終わりに近い日曜日、ぼくは一人で学校にいった。暇つぶしに覗いた道場では、その半分に畳を敷いたスペースで柔道部が練習をしていた。
いつもはドタバタ騒がしい剣道のスペース部分は、しんと静まり返っていた。

手持無沙汰だったので、稽古着に着替え、道場の鏡の前で素振りをした。鏡をいくら睨んでも、そこにはニキビ面の間抜けな顔が映ってるばかりで、他人が見てビビってしまうような鬼の顔なんて、どう凄んでみてもそんな顔つきにはならない。。
ひと汗かいて稽古着を着替えたら、練習を終えた柔道部の後輩たちが顔をのぞかせた。
なんでも、素振りしているぼくが、見目麗しき女性の姿に見えたとのこと。・・・苦笑するしかない。下手とはいえ男の素振りは、女性のそれとはスピードも気迫も違う。それを女が素振りをしているように見えたというのだから・・・。

翌日、学校で、墓参りに行ったみんなから、タレネーム(垂の中央に付ける所属名と本人の名前を書いた袋状の名札)を渡された。だいぶ前に、練習中に鼻血を出してタレネームにかかり、それを放っておいたらカビだらけになってしまって、部室のゴミ箱に捨てたヤツだった。・・・だから、県大会は、垂に白いチョークで名前を書いて出場していた。
タレネームは、きれいに洗濯されていた。副顧問が洗ってくれてたものを家の人があずかってくれていたようだ。

きちんとアイロンがかけられたタレネームを手にして、なんだか鼻の奥がつーんとなった。

・・・あいつ、シロウトのくせして、ぼくの代わりに竹刀を握ってこの前の県大会の試合に出てくれたんだろうか。ぼくの背中をポンと叩く代わりに。・・・よわっちいぼくに加勢するために。一生懸命、怖い顔をして。。

さて、今年の夏ピーク。
盆休みが終わり、工場が一斉に稼働を始めたのですが電力逼迫はかろうじてクリアできたようです。残暑もあと少しの辛抱です。節電をがんばりましょう。東北地方に電力を回すためにも。。
ということで、さらなる節電のため(?)、これまでご協力を頂きました今期のブログエアコンの運転は終了させていただきます。
mikiさん、長くお付き合いくださいましてありがとうございました。
どこかの海でお会いした時は、百物語の続きはやめておきましょうね。
冷え冷えになるのは苦手なので・・・


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ブログエアコン(22)

2011-08-19 22:57:41 | 日記

 

以前書いた記事だ
http://pub.ne.jp/tetujin/?entry_id=1858277

************
ぼくがダイビングに夢中になってた頃の話だ。もう、20年も前。ちょうど、バブル景気時代に公開された『ホイチョイ3部作』の第2作、原田知世主演の映画『彼女が水着に着替えたら』の前の年あたりのことだったと思う。バブル経済に浮かれ、若者の海外でのリゾートダイビングは当たり前のこととなっていた。

ぼくは機材のセットを終え、そろそろ5mmのツーピースでは限界を感じてきた11月の伊豆海洋公園の石浜に座って、ダイビングツアーのメンバーとその日の一本目のダイビングを待っていた。
そのときぼくの横には、同じようにツーピースのウェットスーツを着た白髪のシニアの方がいた。その日、ぼくのバディをしてくれた方だった。当時、シニアの初心者ダイバーって珍しかった。ダイバーと言えば、ぼくのように、はでな色のウェットスーツを着たアドバンスに挑戦中の生意気な若者ダイバーか、真っ黒のプロ仕様のウェットスーツを着た年配のインストラクターかのどちらかだった。

「城ヶ崎海岸(伊豆海洋公園)は、冬がきれいだね」
とぼくに話しかけてきたその方。
「そうですね!!」
ぼくがそう応えると、こんな話を聞かせてくれた。

「私は前はそんなにダイビングに興味はなかったんだ。でもうちのカミさんが大好きでね・・・・・・伊豆の海に潜っては、サカナの写真を撮るのがとても好きだったんだ。
良く撮れたものを家に飾るんです。ある日カミさんにどうしてもと言われ、2人でここに来たんです。体験で潜るためにね。潜ってからやみつきになってね・・・・・・オープンウォーターのライセンスを取って、時には2人で海外へ潜りに行ったりしたんですよ。

でもカミさん・・・・・・(ガンで)亡くなってしまってね・・・・・・。今日は3年ぶりに潜りに来たんですよ。上手くはないんだけど、こうしてカミさんの使っていたニコノスも持ってね。良く撮れた写真を仏前に飾ってあげるつもりなんですよ」

その方は笑顔で話してたけどぼくは涙を堪えるのに必死だった。素晴らしい夫婦愛の話と、楽しそうにサカナを追っかけていたその方の笑顔は忘れられない。奥さんが隣で笑ってるように感じていた。
**********

そのブランクダイバーから届いた一枚のクリスマスカード。カードには、恐ろしくピンボケした水中写真と、その片隅には、見覚えのあるウェットスーツが写っていた。
当時、写真を印刷できるプリンターなどはなく、写真を使ったカードはすべて写真印刷。最低でも数十枚は注文しなければならないから、たぶん、そのピンボケ写真がベストショットだったのだろう。
***********

その翌年の夏、ぼくは彼と連絡を取り合って、再び伊豆の海に一緒に潜って彼の話を聞いた。

特別なことはしなかったという5回忌が過ぎたある日、バスに乗って帰る途中、何の気なしに窓から外を眺めてたら、女性が目に入り、その格好を見て彼の奥さんがあんな服の色が好きだった事を思い出したらしい。
いきなり彼の目から涙があふれ出てきて止まらなくなってしまったとのこと。

「家に帰っても独りでずっと泣きつづけてしまいました。
初めて声を上げてしまいました」

・・・きっと、彼の奥さんが会いにきたんだろうなあ。。長文スマソ。


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ブログエアコン(21)

2011-08-18 23:59:01 | 日記

 

先日、宅配で送られてきた北川景子主演のDVD。
遅ればせながら、ようやく観た。

「筆談ホステス」

「筆談ホステス」の原作を読んだ某ショップのイントラの
「“努力する”か“諦める”かどっちかしかないよ。人間に選べる道なんていつだってたいていこの2つしかないんだよ」
というセリフに感動したというblog記事を目にした。

このセリフの元の出典は『ハチミツとクローバー』。堺雅人が演じた花本修二の台詞だ。
修二はその後
「この時ひとつ嘘をついた。3つあったんだ。選択肢は、本当は。でも2つしかないと信じていたほうが道がひらけるから、3つ目の答えを僕は口にしない」
というセリフを口にする。

さて、ぼくはといえば、究極の選択に迫られた場合、大抵は”気絶”する。
これぞ、第3の選択肢なんだろう。。

小さいころの記憶で、断片化して不自然なほど思い出せない記憶が多々ある。
おそらくは、心理学でいうところの心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder:PTSD)。昇華しきれないほどの心に加えられた衝撃的な傷が元となる。ぼくの思い出せない記憶は、様々なPTSDからくるものなのだろうか。

PTSDは、地震、洪水、火事のような災害、または事故、戦争といった人災や、テロ、監禁、虐待、強姦、体罰などの犯罪など、多様な原因によって生じうるとされている。感受性の高い子供にとっては、他人からすれば些細なできごとでも、十分にPTSD、あるいは、急性ストレス障害(ASD)となるのだ。
つまり、思い出せないのはトラウマの原因になった障害、関連する事物に対しての回避。 そして、事故・事件・犯罪の目撃体験等の一部や、全体に関わる追体験(フラッシュバック)が起こる 。ありもしないものを見てしまうのだ。

ぼくは、自身を霊感がないと信じ込んでいた。だけど、幼児期の恐い体験を思い出そうと努力して、心の底に潜むパンドラの箱を見つけた。記憶には歯抜けのページが多すぎる。記憶の底に沈む忘れ去られた畏怖は、成長していく過程で自分の身を守るために必要だったのかもしれない。。

例えば、断片化した記憶の一部に、浴衣を着たお手伝いのおねえさんがいる。我が家とは何のつながりもない田舎の農家のお盆の情景。きっと、うちに来ていたお手伝いさんの実家なのだ。その記憶の情景には、父も母も、そして6つ離れた兄も出てこない。
一人でねえやの実家にお泊りに行き、ねえやの弟と裏の小川でカジカを採って遊んだ。夕方には、墓場に行ってお供えのおはぎを盗んで食べてた。見つかったら、こってり絞られるようで、墓石の陰に隠れて、お参りが終わった墓をねらっておはぎを盗みに行く。

その夜だ。記憶はかなりあいまいだ。一緒にお風呂に入ったねえやが、風呂場の窓から見える遠くの山間を指さして、狐火がまたたいているのを教えてくれたような気がする。
真っ暗な山間に、ちらちら揺れる狐火の群れ。はたして、本当にそれを見たのか、そしてそれが狐火だったのか記憶は心もとない。
記憶の残滓が不自然に飛び飛びなのは、当時、怖い思いをいつもしていたことの裏返しなのだろう。・・・ぼくは小さいころは、つねに異常体験をする霊能子だったのかも。そこからどうやって、まともな(?)神経回路へ回帰できたのか。人は幼少のころから成長とともに、刺激の受容とその感覚がまともになっていくのだろうか。今となってはどうでもいいことだが・・・。

しかし、パンドラの箱とそれを開くカギの所在については、わずかながら心当たりがある。そして、箱の中にはどんな恐ろしい思い出がつまっているのだろう。開けてみたいとも思うが、開く勇気はまだない。


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ブログエアコン(20)

2011-08-17 22:42:38 | 日記

 

スイス・アーミー・ナイフと言えば、十徳ナイフのことだと思い出す人も多いだろう。
栓抜きやハサミ、ドライバーなどをコンパクトに納めた万能ナイフ。
このナイフは、スイス陸軍に正式採用された軍用ナイフで、ビクトリノックスとウェンガー製のものがある。

パラグライダーのパイロットを目指してた時、ぼくは、しょっちゅう、ツリーランしてた。ツリーランとは「ツリーランディング」のことで、木の上に着陸してしまうことをいう。別名「山沈」とも。
へたに地面に激しくランディングして骨折(←やりますた)や激突死するよりは、ツリーランした方がずっと安全だ。ただし、木に引っ掛かっちまうわけで、ハーネスでがんじがらめのパイロットは、無線が通じない場合に、山の中で宙づりになったみじめな姿で救助をひたすら待つことになる。
パラグライダーのベテランともなれば、シロートのように操縦を間違えてツリーランなんかしてしまうことはとても恥ずかしいことで・・・。だから、宙づりになった状態からなんとか一人で脱出しようとして、無理して墜落死してしまったりする。やぱ、死ぬよりか、恥をかいてでも救助をまたなくちゃ。。

ツリーランしたパイロットを救助するための道具がある。一般には、シュリンゲ(←テープスリングのこと)、カラビナ、8mm ロープ、鋸、スパナ、エイト環。ロッククライミングで使う懸垂下降の道具だ。
・・・そのパイロットの収納ケースには、使い古したスイス・アーミー・ナイフも入っていた。

そのパイロットから聞いた話。

その日、いつものように夕方から山に登った。その山には似つかわしくない90Lのザックとプラスチックブーツ。そして、隣にはザイルパートナーである彼女。
なかなかクライマーをダイナミックロープにつなぎとめる(確保する)ルベルソの使い方を覚えてくれなかったそうだが、彼女は最高のザイルパートナーだったとのこと。
・・・彼女とならどこだって登れる。彼はそう思っていた。

山頂に付く頃にはすっかりと夜がやってきていた。暗闇の中、彼らはヘッドランプも点けずに歩いた。
どんなに暗くても、怖くはなかった。彼らはザイルパートナーである前に男と女だった。
彼らに結ばれたザイルは、永遠に切れることはないと2人は思っていた。

山頂でビバークしたその翌朝。岩場を迎えた彼らが、終了点から懸垂で下降中のこと。
彼女は、懸垂下降ライン上にあった深いギャップを避けようとして、右にトラバースしようとした時に、一瞬、バックアップに添えていた手を放してしまった。
マッシャー結びしたバックアップに体重がかかりロックがかかった。
メインロープにバックアップが食い込み、彼女は降りるに降りられない宙づり状態に。

状態を伝えた彼女は、彼の救助を待たずに、手持ちのスリングを使い自力脱出を試みる。
新たにバックアップを下降器の下にセット。そして、ロックしてしまったバックアップ・スリングにナイフを入れ切断。スリングが切れてメインロープに体重がかかったと同時にルベルソにかけたカラビナが破断。彼女は十数メートル下の岩場に落下。即死だった。ロックカラビナのゲートがなんらかの原因で開いてしまっていたことが原因だった。

直前の中間支点を不安定なピナクルに取ったことが、そもそもの原因だったと彼は悔やむ。逃げずに、時間をかけてでもボルトを設置して、確実な中間支点を取るべきだったと・・・。
そして、彼は山をやめた。

山をやめた彼が数年後、PGパイロットを取り、そしてフライト中に強風に流されてツリーラン・・・。
宙づりになった彼が無線が通じなくて助けを呼べずに、ハーネスにつながったスタビライザーラインを切って脱出しようとナイフに手をかけた時、 見覚えのある手が彼のナイフを押さえた・・・そう、数年前にバックアップのスリングを切った彼女の手だった。
・・・何故か彼はそう感じた。そして次の瞬間、偶然に近くの尾根にさしかかった仲間の声が無線に。上を見あげると、1.1mmのスタビライザーラインに混ざって、パラグライダーでは使われることのない9㎜のザイルが見えた。・・・過度に緊張を強いられたための幻覚だったのかもしれない。 でも彼は、ナイフを取り出そうとした瞬間に押さえた手の感触は、まぎれもなくかつて愛し合った彼女のものだったと言う。

彼は、片時もそのスイス・アーミー・ナイフを手放さない。


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