歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

青森県南部町・聖寿寺館跡 館を方形に改修し「花の御所」の模倣?

2022年10月19日 | Weblog
青森県南部町教委が18日、北東北最大の戦国大名、三戸南部氏が15世紀末から16世紀前半、拠点を置いた「聖寿寺館」(青森県南部町)を方形館にするため大改修していたことが分かったと発表した。
「虎口(こぐち)」を埋め立て、敷地を方形に整えた改修跡を確認した。
方形館は「花の御所」と呼ばれた室町幕府の将軍邸を模倣し各地の守護大名が取り入れた。その流行が北東北にも伝わっていたことが確認された。
 10月22日(土)、午前10:30~11:30、史跡聖寿寺館跡(三戸郡南部町大字小向字舘4-2)にて発掘調査現地説明会が開催される。
[参考:共同通信、東北日報、毎日新聞、南部町HP]

過去の関連ニュース・情報
  聖寿寺館跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八尾市・由義寺跡 基壇の基礎の下層から全身の基壇を確認

2022年10月11日 | Weblog
 八尾市が7日、奈良時代に称徳天皇と僧・道鏡が建立した国史跡「由義寺(ゆげでら)跡」(大阪府八尾市)で、同寺の前身の建物(弓削寺)とみられる基壇が見つかったと発表した。
 今回発見された基壇は東西約17mで。由義寺の七重塔とみられる基壇(一辺約21・6mの正方形)より約20cm~約1m下層で発見された。前身建物は火災で焼失した痕跡はなく解体後、規模の小さな基壇を再整地し大きな基壇を構築したとみられる。
 権力を誇示する目的で弓削寺を取り壊し、新たに高さ60~70mの七重塔をもつ由義寺が建立された可能性があるという。
 市は8日から市立歴史民俗資料館で発掘結果の速報展を開催する(~11月28日)。
[参考:産経新聞、読売新聞、八尾市HP]

過去の関連ニュース・情報
  由義寺

続日本紀
765天平神護元年 十月三十日戊子。幸弓削寺礼佛。奏唐高麗樂於庭。刑部卿從三位百濟王敬福等亦奏本國舞。
765天平神護元年 閏十月朔日己丑朔。捨弓削寺食封二百戸。
765天平神護元年 閏十月二日庚寅。幸弓削寺礼佛。奏唐高麗樂。及黒山企師部舞。
770宝亀元年四月五日丁酉。詔造由義寺塔諸司人及雜工等九十五人。隨勞輕重。加賜位階。正六位上船連淨足。東人。虫麻呂三人。族中長老。率奉歌垣。並授外從五位下。以東人爲攝津大進。又授正六位上土師宿祢和麻呂外從五位下。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市川市・国府台遺跡大規模な溝状遺構を発見

2022年09月24日 | Weblog
 千葉教育委員会は23日、市川市国府台「国府台遺跡」で、今年8月からの発掘調査で見つかった遺構を公開した。
 今回の調査では、長さ約30mに及ぶ大規模な溝状遺構や建物の基礎とした版築遺構が見つかった。
[参考:千葉県教育委員会HP、読売新聞]

過去の関連情報・ニュース
 国府台遺跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栗東市・出庭(でば)遺跡 新たに鍛冶炉跡が見つかり、「工房」が計13棟に

2022年08月26日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会は25日、栗東市出庭の出庭遺跡で、古墳時代前期(4世紀ごろ)の鍛冶工房とみられる建物跡が新たに4棟見つかったと発表した。昨年度の調査分も合わせると、南北約550m、東西約40mの範囲に計13棟確認されたこととなる。1遺跡での棟数では最多という。
 遺跡は野洲川が琵琶湖に注ぐ扇状地にある。
 13棟のうち、最大の建物跡は一辺が10m四方(約100㎡)。鍛冶炉とみられる、火を受け赤く焼けた跡が見つかっている。
 28日午後1時半から現地説明会が開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、朝日新聞、中日新聞、東京新聞、NHKニュース]



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原市 3世紀末に築造された前方後円墳がみつかる

2022年08月18日 | Weblog
 神奈川県小田原市城山1丁目の住宅建設現場で、古墳時代初期(3世紀末)に築造されたとみられる前方後円墳が発見され、16日に報道陣向けに公開された。
 小田原市内で前方後円墳が発見されたのは初めてで、県内でも3世紀後半とされる海老名市の秋葉山3号古墳(墳長51m)に次ぐ2番目の古さという。
 古墳は全体で幅25m、縦(墳長)35mの規模と推測され、発見されたのはこのうち2割程度とみられる。墳丘部分は削り取られ、棺などは発見されなかった。約120㎡に土が盛られた墳丘部分と古墳の周囲に掘られた幅4mほどの周溝が確認された。遺構内では底に穴を意図的に開けた底部穿孔(せんこう)土器も出土。
 ヤマト王権成立直後に、その勢力圏が神奈川まで及んでいたことを示す重要な証拠という。
[参考:小田原市HP、神奈川新聞、朝日新聞、テレビ神奈川]

過去の関連・情報ニュース
海老名市・常泉院 青山忠俊公終焉の地(秋葉山古墳群)
沼津市・高尾山古墳
神奈川県の西にある静岡県の3世紀の前方後円墳は、沼津市の神明塚古墳(墳長54m)が3世紀後半築造(沼津市HPより)である。また、三島市の向山16号墳(墳長約70m)は3世紀末頃と言われたときがあるが、今は4世紀初め頃とされている。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日香村・飛鳥京跡苑池 水路の南端部の石組み構造が見つかる

2021年12月03日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が2日、明日香村の飛鳥京跡苑池で、池の水を排出するための7世紀後半の水路跡が見つったと発表した。
 今回見つかったのは北池につながる水路の南端部分で、両側には石積みの護岸が造られていた。
 水路は全長100m以上延びて、近くの飛鳥川に通じていたと推定される。
 苑池は斉明朝(655~661年)に築造され、北池は天武朝(673~686年)の頃に流水施設を整備するなど大規模な改修が行われた。
 現地説明会は4、5日の午前10時~午後3時に行われる。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、NHKニュース]

過去の関連ユース・情報
 飛鳥京跡苑池
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良県高取町・清水谷遺跡 5世紀中頃の人工の池跡が見つかる

2021年11月18日 | Weblog
 奈良県高取町教育委員会が17日、同町の清水谷(しみずたに)遺跡で、川原石を積んで護岸を造った国内最古級(5世紀中頃)の人工の池跡が見つかったと発表した。清水谷遺跡からは、これまでの発掘調査で渡来人特有の建物の跡などが確認されている。
 池は東西26m、南北13mの長方形で、深さは約60cm。斜面に30~50cm大の石を3~4段に積んで護岸にしており、西側には石組みの排水路がある。
 護岸などからは、朝鮮半島系の土器や、祭祀具の刀形木製品、馬の歯などが出土している。
 同様の人工の池は朝鮮半島でも確認されており、出土した土器や、周辺の土に焼けた跡があることから、町教委は、この地域に住んでいた渡来人が池を造り、池で水の祭祀を行ったとみている。一方、池の内側からは、大壁建物の遺構(東西約12m、南北約11m)を確認。池を埋めた跡に5世紀末ごろに造られたとみられる。
 石組み護岸のある池跡は、奈良県御所市の南郷大東(おおひがし)遺跡、大阪府東大阪市の神並(こうなみ)・西ノ辻遺跡でも見つかっている。
[参考:読売新聞、産経新聞、毎日新聞、共同通信、奈良テレビ、NHKテレビ]

過去の関連ニュース・情報
 清水谷遺跡


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諫早市・千々石ミゲルの墓(推定) 木棺と人骨が見つかる

2021年09月14日 | Weblog
 16世紀の天正遣欧使節の一員、千々石(ちぢわ)ミゲル(1569?~1633?)の墓とされる長崎県諫早市多良見町の石碑周辺で発掘調査を行っている民間の調査プロジェクトチームは12日、木棺の痕跡と人骨の一部を発見したと発表した。
 一帯ではこれまで、女性のものと推定される歯が見つかっており、今回、歯が見つかった場所の南側を発掘したところ木棺(長さ140cm、幅55cm、高さ40~50cm)の痕跡が確認され、中に後頭部や胸などとみられる骨があった。横たわった状態で、頭を西に向けて埋葬されたとみられる。
年齢や性別を調べ、ミゲルかどうかの特定を進める。
 第4次の今回は15日まで行われる予定。
 千々石ミゲルは洗礼名で、本名は千々石紀員(のりかず)、棄教後は千々石清左衛門(せいざえもん)。
[参考:朝日新聞、毎日新聞、読売新聞]

過去のニュース・情報
 千々石ミゲル
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春日市・須玖遺跡群 弥生時代の基準10倍の分銅、10進法を利用か? 

2021年09月02日 | Weblog
 2020年、福岡県春日市の須玖遺跡群で、国内最古級の弥生時代中期前半~後期初め(紀元前2世紀~紀元1世紀)の石製の権(けん、分銅)8点が確認された。
 市教育委員会が1日、今回、同遺跡群で新たに基準とみられる権(約11グラム)の10倍の重さの権が確認されたと発表した。 市教委によると、弥生時代の10倍の権の発見は全国初で、計量に10進法が使われていたことを証明する重要な発見としている。
 1989年に発掘され、当時は用途不明の円筒形石製品とされていたが、重さや形状から権と特定した。同遺跡群ではこれまでに3倍、6倍、20倍、30倍の重さの権を確認している。権とみられる石製品は計10点となった。
[参考:共同通信、毎日新聞聞]

過去のニュース・情報
 2020.12.20 春日市・須玖遺跡群 紀元前2世紀頃の石製分銅が出土。国内最古。
魏志倭人伝に登場する奴国の王都とされる福岡県春日市の須玖(すぐ)遺跡群で、弥生時代中期前半(紀元前2世紀頃)の石製の計量用の重り「権(けん)」(分銅)が出土。重さの規格は韓国出土の権と共通しており、奴国が大陸の度量衡の制度をいち早く受容し、交易などに利用していたとみられる発見。 [参考:共同通信、毎日新聞、読売新聞]
 須玖
 分銅
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都府井手町・栢ノ木遺跡 井出寺の塔基壇跡を確認

2021年04月15日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターが14日、京都府綴喜郡井手町の「栢ノ木(かやのき)遺跡」で奈良時代中期(8世紀)の塔の基壇跡が初めて確認されたと発表した。
 同遺跡は、奈良時代の左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ、684~757年)が建立した「井手寺」跡と伝わる、
 同センターは2020年12月から推定寺域の東側を調査した。建物基壇の一部、石組みの溝などを確認し、周辺からは大量の瓦、陶器「奈良三彩」の破片などが見つかった。
 基壇は約15m四方で、五重塔と推定されるという。
 現地の一般公開は17日正午~午後4時に行われる。
[参考:共同通信、毎日新聞、京都府埋蔵文化財調査研究センターHP]

過去の関連ニュース・情報
 橘諸兄
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊岩郡・沃野里古墳群 馬韓首長墓を試掘調査 甕棺から人骨

2021年03月31日 | Weblog
 霊岩郡は栄山江の古代馬韓文化を究明するために、古代文化財研究院により沃野里古墳群(옥야리 고분군、全南道文化財史料第140号)の試掘調査を実施した。
 沃野里古墳群は4~6世紀に築造され、馬韓文化を継承した栄山江古代勢力の中心拠点のうち1つとされる。
 今回の調査で封墳の中から栄山江流域独特の甕棺墓(옹관묘)とともに石室墓(석실묘)などが確認された
 また、甕棺墓で古代首長人骨が一部確認された。
[参考:聯合ニュース]

過去の関連ユース・情報
 沃野里
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都市・仏光寺 法隆寺から寄贈の赤地の錦織を発見

2021年03月23日 | Weblog
 真宗仏光寺派本山渋谷山仏光寺(ぶっこうじ、京都市下京区)は19日、約1300年前の飛鳥時代に織られた錦織(にしきおり=錦の裂(きれ))が寺の蔵から見つかったと発表した。
 2020年11月に蔵の調査で見つかり、ガラス板に挟まれ、桐箱に納められていた。桐箱の表面には「聖徳太子御褥(おんじょく)裂蜀江(しょっこう)」との墨書があり、箱に入っていた文書には、裂が江戸時代の天保12年に法隆寺から仏光寺に贈られたと記されていた。
 仏光寺の日記などから、裂は1841天保12年10月18日、法隆寺の末寺の僧侶が贈っていた。法隆寺はその翌年、江戸で「出開帳(でかいちょう)」を開く予定となっており、開催に協力を約束した仏光寺へ贈られたものと推測される。真宗寺院と聖徳太子信仰が分かる貴重な資料としている。
 錦織は中国の蜀から伝わったとされる「蜀江錦(しょっこうきん)」と呼ばれるもの。赤地で、大きさは経糸方向が約9・8cm、緯糸方向が約7・5cmで、円形の図の中に獅子の文様の一部が見て取れる。
 蜀江錦や墨書きは、4月1、2日に仏光寺で展示される。
[参考:朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、KBS京都、共同通信、読売新聞]

 褥(じょく)とは、上敷物あるいは坐具のこと。
 東京国立博物館に所蔵されている赤地獅子鳳文蜀江錦(作品No.N-56)と同一柄(あるいは同一裂)とみられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪府太子町・二子塚古墳 閉塞石や墓道が見つかる

2021年03月08日 | Weblog
 3月5日大阪府太子町は、全国的でも珍しい双方墳の二子塚古墳で発掘調査を行い、古墳の造り方や構造の一部が明らかになったことを発表した。
 同古墳は、一辺25mの方墳を2つつなげた7世紀後半に造られたとみられている。(墳丘全長は66m)
 石室に通じる墓道や横穴式石室をふさぐ「閉塞石」が見つかった。
 東側方墳の横穴式石室に通じる墓道は幅が約1・6mで長さ4・4m分を確認。
 町では、9日から調査結果の写真を太子町役場などで展示するとともに、ホームページで映像配信を行う。
[参考:共同通信、毎日新聞、読売テレビ、日テレニュース]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良県高取町・佐田タカヤマ遺跡 飛鳥時代の狼煙(のろし)台跡が見つかる

2021年01月21日 | Weblog
 高取町教委が20日、同町佐田の「佐田タカヤマ遺跡」で白村江の戦い(663年)を受けて設置されたとみられる狼煙(のろし)台跡が見つかったと発表した。
 遺跡は、飛鳥時代の都・飛鳥宮跡(奈良県明日香村)から、南西約3・5kmの標高約150mの丘陵上にある。
 直径約2m、深さ2.7mの煙突状の穴の跡が見つかった。黒くすすけるなど使用され跡もあり、枯れ草などを燃やして煙を上げる構造と考えられる。付近からは、材料を保管した倉庫や、建物の跡が見つかっている。
 穴と建物の跡は、一緒に見つかった土器などから、7世紀後半の飛鳥時代のものとみられる。
 大壁建物跡や、掘立柱建物跡とみられる遺構も出土している。
[参考:産経新聞、毎日新聞。朝日新聞、NHK,読売テレビ、奈良テレビ、ABCテレビ、関西テレビ]

日本書記 天智天皇三年(664)の条に「烽」の記載がある。
  是歳。於對馬嶋。壹岐嶋。筑紫國等置防與烽。又於筑紫築大堤貯水。名曰水城。
「日本書記」(岩波文庫1995、校注:坂本太郎ほか)では、「烽」は、ススミ、トブヒ、ノロシと書かれている。また、継体天皇八年三月の条に、「烽候(トブヒ)」と記されているが、ノロシをあげる所とある。

過去の関連ニュース・情報
 紀路

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大田原市・小松原遺跡 古代の東山道の遺構が見つかる

2020年12月30日 | Weblog
 大田原市教委が26日、古代の「東山道駅路」と「磐上駅家(いわかみのうまや)」の発掘調査を進めている小松原遺跡(同市湯津上地区)で現地説明会を開き、東山道の一部とみられる遺構が見つかったことを明らかにした。
 那須国造碑(700年建立)を祀っている笠石神社の北西約300m付近で発掘調査を行った。
 両側に側溝を持つ幅約9~12mの道路跡を発見した。
 笠石神社の真南を進むと、下侍塚古墳(全長84mの前方後方墳、4世紀末築造)と上侍塚古墳(全長114mの前方後方墳、4世紀末築造)がある。
[参考:毎日新聞、大田原市HP]

過去の関連ニュース・情報
 東山道跡


     下侍塚古墳


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする