歴歩

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紫香楽宮跡 万葉集の歌木簡 初めて見つかる 

2008年05月23日 | Weblog
 22日甲賀市教委は、奈良時代に聖武天皇が造営した紫香楽宮跡(宮町遺跡、滋賀県甲賀市信楽町)から出土した木簡に、平安時代、紀貫之らが編纂した「古今和歌集」の「仮名序」(905年)に「歌の父母」と紹介される手習いの歌として合わせて現れる「難波津(なにわづ)の歌」と「安積山(あさかやま)の歌」が墨書されているのが確認されたこと発表した。
 この2首は『源氏物語』や『枕草子』などでも手習いの歌として登場し、歌の手本とする伝統が、平安時代に編さんされた古今和歌集の時代から万葉集の時代まで約150年さかのぼって確かめられたことで、日本文学の成立史に見直しを迫る画期的な実物史料となるとする。

①安積香山 影副所見 山井之 淺心乎 吾念莫國 (万葉集 巻第十六 16-3807)
 安積香山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに
 (訳)安積山の影までも見える澄んだ山の井のように浅い心でわたしは思っておりませぬ
 判読された文字は、阿佐可夜(あさかや) 流夜真(るやま) の7字

②難波津に咲くや木の花冬こもり今は春べと咲くや木の花
 (訳)難波津に梅の花が咲いています。今こそ春が来たとて梅の花が咲いています
  判読された文字は「奈迩波ツ尓○○夜己能波○○由己」

 万葉集とは表記が全く異なり、いずれも漢字を仮名的に用いた万葉仮名で書かれている。
 約400年後の写本で伝わる万葉集では訓読みの漢字・訓字主体の表記になっており、編さん時に万葉仮名が改められた可能性がある。
万葉集は全20巻のうち、安積山の歌を収めた巻16までが745年以降の数年で編さんされ、782~783年ごろに全20巻が成立したとする考えが有力とする。
 木簡は一緒に出土した荷札の年号から744年末~745年初めに捨てられたことがわかり、万葉集の編さん前に書かれたとみられる。
 「難波津の歌」は、仁徳天皇の治世の繁栄を願った歌とされ、万葉集には収められていないが、奈良文化財研究所によると、この歌が記された木簡は7世紀後半以降の30例あまり確認。古くから有名な歌だったとし、市教委は「広く流布していた歌が一方で木簡に書かれ、他方で万葉集に収められた」とみている。

 産経ニュースが写真とも詳しい。
[参考:産経新聞、毎日新聞、京都新聞、朝日新聞、読売新聞]
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