歴歩

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沼津市東熊堂・高尾山穂見神社

2013年01月02日 | Weblog

 沼津市東熊堂(ひがしくまんどう)北方(きたかた)の高尾山古墳(旧名、辻畑古墳)の東に隣接して鎮座する。
 元は、全長約62mの前方後方墳、高尾山古墳の墳頂(標高21m)に鎮座していた。
 弘化3年(1846)10月、山梨県の高尾山穂見神社(おそらく南アルプス市高尾の穂見神社)(注1)より分祠し東熊堂荒久の地に祀ったという。 その後、明治21年には交通の便の良い、熊野神社境内上の地に移した。 高尾山古墳の後方部高台(墳頂部標高21m)のことと思われる。 社殿は、明治時22年に建立されたといい、現在の社殿は明治30年代に建立したものらしい。
 神紋は「流三巴紋」で、通常とは反対の右巴である。
 沼津市には、このほか興国寺城祉内にもうひとつの穂見神社がある。
[参考:『スルガの王 大いに塚を造る』2012年沼津市教育委員会、沼津市文化財センター]

■穂見神社 (沼津市根古屋、興国寺城祉内北条氏碑横)
 伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川氏の家督争いでの活躍により与えられた興国寺城本丸の中心にあったと思われる。 ただし、穂見神社は北条早雲の時代にあったわけではなく、安政四年(1857)に施主15人が南アルプス市高尾山穂見神社(注1)から分祠し祀ったのがはじまりという。 「高尾大明神」とも呼ばれた。

(注1) 高尾山穂見神社(山梨県南アルプス市高尾498)
 標高850mの櫛形山北東山腹の山間集落である高尾に位置しており、通称を高尾山穂見神社、「高尾さん」、「山の高尾」という。 御崎明神」という別名もある。
 旧郷社、 祭神:保食神(うけもちのかみ)。『甲斐國古社史考』では、白山権現・三体王子(大福王子、大寿命王子、大智穂王子)であったとしている。 神紋は丸に違い鷹の羽。
 創立年代は不詳。 享保十三年(1728)七月に大洪水があり、崩れた土中より文治三年(1187)の古碑が出てきて、そこに「穂見神社」の銘があったという。
 『延喜式』神名帳に式内社として、巨麻郡五座のひとつに「穂見神社」が記載される。 論社には当社のほかに韮崎市旭町の穂見神社、同市穴山町の穂見神社、中央市の八幡穂見神社、北杜市の穂見諏訪十五所神社があるが、どの神社に比定されるかは明確ではない。
 韮崎市旭町の穂見神社は本宮(奥宮)(注2)が標高1037mの苗敷山(旭山)山頂にあり、山岳信仰の場所として相応しい。

(注2) 苗敷山穂見神社社殿(奥宮) (山梨県韮崎市旭町上条南割3389)
 神亀元年(734)鳳凰山を拝する山岳信仰の神社として、苗敷山山頂に建立される元文元年(1736)に再建された穂見神社は、本殿、渡殿、拝殿が一体(権現造り)で、構造・彫刻等、江戸時代そのままに残されている。現在、県内唯一の山岳信仰の神社である。
 祭神は天底立命 国之常立命 豊受姫命
[参考: やまなしまなびネット 文化財情報ほかより]

過去の関連ニュース・情報
 高尾山古墳(旧名、辻畑古墳)
 辻畑古墳

2013.2.27追記
 毎年、11月下旬の土日2日間 にかけて「東熊堂高尾山神社祭典 」が盛大に行われている。商売繁盛の神様として知られ、神社境内と周辺には熊手やお宝等の縁起物を売る露天商が並ぶという。
 沼津市観光化の記事に「弘化3年(1846)(農業神である山梨県(甲斐の国)、櫛形町の高尾山穂見神社のご祭神を分祠し東熊堂荒久の地へ祀りました。明治21年交通の便の良い、熊野神社境内の地に移しました。」とある。櫛形町とは、平成15年(1203)まで、山梨県中巨摩郡櫛形町としてあった地名で、ほかの5町と合併して、アルプス市となった。 
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