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諫早市・千々石ミゲルの墓(推定) 木棺の一部、小玉1個、数個の歯などが出土

2017年09月05日 | Weblog
2017.8.21
 天正遣欧使節の一員、千々石(ちぢわ)ミゲル(千々石紀員)が埋葬されたとみられる長崎県諫早市多良見町山川内の「千々石ミゲル墓所推定地」で20日、3度目の発掘調査が始まった。
 過去の調査では遺骨や遺品の発見には至っていない。
 今回は地元の歴史愛好団体などが実行委をつくり、専門業者に委託して本格的に発掘する。
 この日は発掘現場で安全祈願があり、地元住民ら40人が出席した。
 ミゲルは帰国後、キリスト教の修道会イエズス会を脱会。4人の使節の中でただ一人棄教し、仏教徒になったとされる。当時の宣教師は、ミゲルを「背教者」や「落伍者(らくごしゃ)」と評価する手紙や報告書を残している。
 墓所がある山川内は潜伏キリシタンがひそかに信仰を続けていた地域。ミゲルのものとされる墓は仏式で、1639年に死去した人物の戒名が刻まれている。石碑は地元で古くから「ゲンバさんのお墓」と呼ばれ、敬われてきた。2004年には、元長崎歴史文化博物館研究グループリーダーの大石一久さんが「ゲンバとはミゲルの四男、千々石玄蕃(げんば)。墓石の裏面に建立者として玄蕃の名が刻まれており、被埋葬者はミゲルとその妻の可能性が高い」とする説を発表した。

2017.9.1
 千々石ミゲルの墓とされる石碑周辺の発掘現場で31日、石碑の地下1・5mから墓坑の一部とみられる自然石の「蓋石(ふたいし)」3枚が出土した。実行委員会は「ミゲルらを埋葬した棺を覆う蓋石の可能性が高い」と推測。1日に蓋石を外し、内部を調査する予定。
 蓋石は3枚が一列に並べられ、大きいものは長さ1・2m、幅0・44m。隙間からライトを当てたところ、内部は空洞で壁面の一部に石が組まれていることが確認された。蓋石の上には石が敷き詰められ、その上を土が覆っていたという。

2017.9.2
 千々石ミゲルの墓とされる石碑周辺の発掘調査現場で1日、木棺の一部とみられる木片と金具が見つかった。調査を指導する別府大の田中裕介教授(考古学)は「石碑は墓石で『ミゲルの墓』であることはほぼ間違いない」としている。天正遣欧使節の墓が確認されれば初めて。
 31日に見つかった「蓋石」を外すと内部は縦約1m、横約0・7m、深さ約0・5mの空洞で、土の壁に埋まった状態で取っ手や留め具のような金具3点と木片が確認された。

2017.9.5
 千々石ミゲルの墓とされる石碑周辺の発掘現場で4日、被埋葬者の副葬品とみられる直径3mmの玉1個や数本の人間の歯が見つかった。実行委員会が専門家に鑑定を依頼する。
 玉は乳白色で輪状の模様があり、真ん中に穴が開いている。歯とともに墓坑の底に堆積した土砂から見つかった。ミゲルはキリシタン大名が欧州に派遣した天正遣欧使節の4人の中で唯一、キリスト教を棄教したとされるが、実行委は「玉がキリスト教関連の品(ロザリオ)ならば、ミゲルは棄教していなかった可能性がある」と推測(期待)する。 ミゲルは長崎県雲仙市千々石町出身。1585年にローマ法王に謁見した際、ロザリオを贈られたという記録がある。
[参考:長崎新聞、西日本新聞]

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