歴歩

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神埼市・吉野ケ里遺跡 弥生後期の硯が出土 有明海沿岸で初

2019年03月15日 | Weblog
 佐賀県教委は13日、吉野ケ里遺跡(同県神埼市吉野ケ里町)で出土した石製品が弥生時代後期の硯(すずり)とみられると発表した。有明海沿岸では初めての出土。
 硯は、1993年に弥生後期の竪穴住居跡から出土した。長さ7・8cm、幅5・2cm、厚さ1・0cmの長方形の板状で、全ての側面が磨かれているため、完成品とみられる。墨が付着した痕跡は確認されていない。
 また、1995年に遺跡内の溝跡で出土した石製品は、墨をすりつぶすための研石(長さ3・8cm、幅3・5cm、厚さ0・5cm)とみられ、硯と研石が佐賀県内で見つかったのは中原遺跡(同県唐津市)に次いで2例目という。
 県教委は14日から4月上旬(予定)まで、吉野ヶ里遺跡展示室(国営吉野ケ里歴史公園内)で速報展示会を開催する。
[参考:西日本新聞、日経新聞、NHK佐賀、佐賀市教委HP]

過去の関連ニュース・情報
 吉野ケ里遺跡
 弥生硯
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大和郡山市・平城京南方遺跡 「十条」条間北小路とみられる道路遺構が見つかる

2019年03月15日 | Weblog
 大和郡山市教委が13日平城京羅城門の南にある平城京南方遺跡(同市野垣内町)で、道路遺構が見つかったと発表した。
 九条大路の南側でも道路遺構の発見がみられ、造営当初は十条大路まであった可能性があるという。
 市教委が2月から、羅城門跡の南西150mの109㎡を発掘調査したところ、幅6mの東西道路跡が見つかった。
 九条大路と並行する「十条」条間北小路と西一坊坊間西小路と交差する地点よりやや西側の場所に当たる。
北側に2本の溝跡があった。内側の溝(幅1・8m)を埋め戻した後に外側の溝(幅2・6m、奈良時代中頃)を削ったらしく、道路の幅を7・6mに広げていた。
 羅城門や城壁と一体的に機能させるために一帯を再整備した可能性が高いという。
 続日本紀に、天平十九年(747)六月十五日己未 於羅城門雩。 (羅城門で雨乞いをした)
とする記述があり、この時期までには羅城門は築かれていたとみられる。
 現地説明会が16日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、朝日新聞、奈良新聞、産経新聞]

過去の関連ユース・情報
2018-6-9 大和郡山市・平城京南方遺跡 平城京南端とされる九条大路より南側で、奈良時代の道路遺構が2カ所見つかる
2012-12-24 大和郡山市・平城京南方遺跡 京域が九条までだった可能性を示す溝跡が見つかる


「羅城門」南西で新たに道路跡 京の玄関口と一体整備か 平城京

平城京外に「十条」道路跡? 奈良・大和郡山
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