奈良文化財研究所は31日、奈良市の平城宮跡で発掘された奈良時代(710~784年)前半の木簡から「倭歌」(やまとうた)と書かれた文字が見つかったと発表した。
「倭歌」の使用例は、849年が確実に確認できる最古とされており、今回の発見はそれより1世紀遡る。
木簡が発見されたのは、平城宮跡の東側にある東方官衙付近の排水路で、2020~21年の発掘調査で約6500点の木簡が出土し、その一つ(長さ30.1㎝、幅3.1㎝、厚さ0.6cm)に「倭歌壱首」と歌の一部と見られる言葉が万葉仮名で「多奈久毛利阿米布良奴」(棚曇り雨降らぬ?)と書かれていた。
倭歌は漢詩に対して日本の歌を示す言葉。これまで最古とされた使用例は、平安時代前期の歴史書「続日本後紀」の849年の記述に登場するものだった。
木簡は、奈良市の平城宮跡資料館で開催中の「地下の正倉院展」で13日まで展示される。
[参考:共同通信、時事通信、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、NHK]
関連情報
◆『続日本後紀』巻十九嘉祥二年(849)三月庚辰(26日) 興福寺大法師等爲奉賀天皇寳算滿于其卌。奉造聖像卌躯。(略)夫倭歌之體。(略)
◆905年に成立したといわれる古今和歌集、紀貫之が書いたと言われる仮名序に
やまと歌は、人の心を種として、よろづ(万)の言の葉とぞなれりける
2022.11.2 修整
関連情報 『続日本後紀』・・・奉造聖像卌躯・・・
「倭歌」の使用例は、849年が確実に確認できる最古とされており、今回の発見はそれより1世紀遡る。
木簡が発見されたのは、平城宮跡の東側にある東方官衙付近の排水路で、2020~21年の発掘調査で約6500点の木簡が出土し、その一つ(長さ30.1㎝、幅3.1㎝、厚さ0.6cm)に「倭歌壱首」と歌の一部と見られる言葉が万葉仮名で「多奈久毛利阿米布良奴」(棚曇り雨降らぬ?)と書かれていた。
倭歌は漢詩に対して日本の歌を示す言葉。これまで最古とされた使用例は、平安時代前期の歴史書「続日本後紀」の849年の記述に登場するものだった。
木簡は、奈良市の平城宮跡資料館で開催中の「地下の正倉院展」で13日まで展示される。
[参考:共同通信、時事通信、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、NHK]
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◆『続日本後紀』巻十九嘉祥二年(849)三月庚辰(26日) 興福寺大法師等爲奉賀天皇寳算滿于其卌。奉造聖像卌躯。(略)夫倭歌之體。(略)
◆905年に成立したといわれる古今和歌集、紀貫之が書いたと言われる仮名序に
やまと歌は、人の心を種として、よろづ(万)の言の葉とぞなれりける
2022.11.2 修整
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