おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

年月

2020-03-11 | ■ サマザマな おはなし

 

 

 

2011年3月11日

忘れられない 出来事が起きた日

10年一昔 などといわれるが あれから 9年も経ていたのだ

 

 

ラジオドラマを聴かせてもらうことも 趣味の一つで

北の国で暮らしていた頃は特に 雪が舞う夜の ラジオからの

寝物語(艶っぽい意味で使われることもあるが)を聴かせてもら

えること おおきな楽しみだった 

日曜日の夜のラジオ番組帯が格別の楽しみで 今思っても 

翌日からのビッシリスケジュールの暮らしの区切りにも エネルギーみたい
なようなものになっていた
ように思える



ドラマというものが好きで その理由にもなったのか と 思い出される

ことがあった

 

故郷から北の地に移る前のこと

小学校低学年だった頃のこと

山の麓の村に 大きなお宅があって 幻燈をみせてくれたことがあった

そのお宅の周りのコンモリとした木々の群れ 集いの部屋の雰囲気
なんとも懐かしく ボンヤリ 思い出される

今でも覚えているのは 芥川龍之介さんの ≪杜子春≫
とても 印象深い おはなし だった
噺を聴く ということが トッテモ 楽しかった

 

あのときから 10年という月日を 6回ほど過ごした過ごしたのだ

ということに その集いからの時間を思うとき タッタ それほどの月日しか

経ていないのか・・・・モット モット 幻を覚えるほどに 遠い 遠い 昔のような

 

ということで 10年に近い歳月というものの 時間の感じ方 といういうものあたり

について なんともいえぬ白日の下の幻というような尺度にとりつかれるような思い

を感じたりしたので 

久しぶりの
晴れた朝の事務所で このブログを書いた

 

 

長いこと 事務上の機器の手配などでお世話になった方が 現役を終えることに

なったと挨拶にみえたりし とてもとても引退時の方にはみえず 人生100年

などと考えると まだ 40年も残っているのだろうな などと みょうなことを思っていたり

そのような

歳月 ということを いろいろ思ってしまうことが 続いていて 感慨深い

 

遠くで暮す友たち 
どんな時間経過感覚で過ごしているのやら・・・

 

                                       

 

 

                                                      

                      


事務所の窓から

2020-02-09 | ■ サマザマな おはなし

 

 

                                       

本日 日曜日  朝

窓から おてんとうさんの光が タクサン 射し込んでくれている

 

この地に来て 約 35年

北の地から移ってきて 住居を構えるとき 崖地と川の近くだけは避けたが あとのことは

ナリユキ

先のことは見通せない運不運 周囲の環境がどのように変わろうと ソレハソレ

と 思っていたのだが 幸いなことに 南東からの陽光は いつのときも充分

三方向すぐ隣には 建物が建たず 特に 裏庭側先では更地同様の状況が続いてくれているのだ

 

 

仕事の小休止などに この窓から 雲の流れを眺めたり 裏庭の枝に集う雀や 百舌などの小さめ

の野鳥の姿を楽しんだり

我が家の裏庭 大木ではないので枝では休めそうもなく 庭を這う重めのツグミ・ムクドリ・ヒヨドリを

覗き込んだり

それぞれの季節の来訪者を楽しむ

雉・アオジなども よく 来てくれていたのだが・・・先日も記したが この数年 特に 少ないように思える

 

 

朝一番の事務所机に座るとき おてんとうさんさえあれば 事務所内には陽光を感じることができ

とても 気分が温かくなる

 

ということで 本日も 燦燦とそそいでくれる光の中で本を読め 仕事を進めることができる幸せを

感謝しつつ

グランド・セントラル・ステーション と ゴッホの<ナイト・カフェ>のポスターを眺めながら

コーヒーをいただけている

 

 

 

 

ほぼ25年いた北海道では 5月初旬までは どこかに 冬 という感あり

ほぼ雪のなかの日常多し  当地とは 大違い

この時期の当地 過ごすには さすがに 楽 ではある

が・・・ 春がきてくれるまでのあの巷の暮らしのいろいろな場面で感じるピリッとした鋭い

大気感のことなどは 

とても懐かしく思い出される

 

友らは どうしているかな・・・

まだ まだ まだ まだ まだ 春は遠い  

 

 

さて 調べものが待っているので 机に向かいます

 

 

 

5日の 逗子市 マンションの敷地の一部崩れでの 重大事故ニュース

悲しいこと限りなし です

 

管理会社は 所有者と契約し マンション建物の保守業務をしており

崩れた斜面に関しての専門的な保守業務は契約に含まれておらず

月1回以上 目視による点検をしていた ということだが・・・

 

 

ほぼ 同様な情況ともみえる 心配なマンションのことが どうしても心に

浮かんできて

いろいろ考えてしまいます

 

    “ ・・・理事会は その後 なんとか機能しているのだろうか ? 

            総会招集は できているのだろうか・・・ それとも ・・・ ”

 

                                        

        http://toku4812.server-shared.com/ibarakihatakeyama.html

                         

             

 

 

    

           

 

    

 

                   

               

       

          

        

 

                         

           

    

        


ささやか公園案内図

2019-12-30 | ■ サマザマな おはなし

 

 

 

明日一日を残す 2019年の 午前 11時30分    外は 雨模様

事務所にて アレコレの整理 など

来る年 そうそう 1月中にも7日間ほど マンション管理士関係業務としては

管理運営知識の講座の 講師役を担当することになっているので 調べものなどあり 

で・・・

 

二三日前から 合間を見て ブログ記事のカテゴリー整理も 少々

ささやかすぎる公園もどきを せっかく 覘きにきていただいても 案内がオオマカすぎては 

ご不便でありましょう 

今の段階で 可能な限り 分別 してみました

 

というようなことで おおつごもりも お仕事も続く というような 当事務所であります

 

 

本年も ささやかなブログの場にもかかわらず 多くの方においでいただき 感謝 感謝 で あります


ありがとうございました

 

数だけ載せても 内容が なんのお役にもたたないようでは 申し訳ないとは思うのですが

日常の生業をも絡めた思いなどを 勝手ながら 気ママな心も含ませてしまって 綴らせていただいているようなこと 

なので ご容赦を願うほか 

ないのであります が・・・

なにとぞ 来る年も お付き合いをいただきましたなら 望外の喜びであります

 

今年の感謝と 来る年への お付き合いのお願いを兼ね 本日の 拙いブログとなってしまっています

 

サマザマな 心遣いなど頂き ありがとうございました

この場もおかりし 重ねて 御礼を もうしあげます

 

どうぞ ご健康にお気をつけられ お静かな年末・年始をすごされますことを 祈念もうしあげます

                                             
                                              はたけやまとくお事務所
                                                   畠 山  徳 男
                

                     
                            

                  http://toku4812.server-shared.com/

 

 

    

           

 

    

 

                   

               

       

          

        

 

                         

       

            

    

          

                          

                     

 


幸福追求

2019-12-01 | ■ サマザマな おはなし

 

 

 

ほんとうに久しぶりに 《憲法 の 自身選定の基本書》 を ジックリ と 眺めています

 

まったくのところ 長い間 買い替えが必要でもない ? という分野なので

他の 民法・刑法・会社・刑訴・民訴・行政・労働 あたりの基本書というものを思うと

巷の一貧乏書生にとっては ありがたいことです(もっとも 頻繁に? 関連書は出され

続けてはいますが)

 

まったくのところ 特に 会社法なんぞは 毎年のように現行に合わせる必要があったりで

民法も しばらくは 買い替えに気をつけなければならないと考えていますが

 

さて 本日は 憲法を眺めてみよう ということで

第十三条 

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、

公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

1776年のアメリカ独立宣言に由来し ジョン・ロックの思想にも影響されている とのこと

ロックの自然権論では 「生命、自由および財産」に対する権利が主張されたそうですが

独立宣言では 「財産」 が 「幸福追求」 に変えられた とのこと

「われわれは、自明の理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい
天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる」


このことを見るだけで 当時のアメリカの情況 というか 特に 建国に関しての中心になる人たちの思い

というか 意気込み というか 見識 というか ・・・なんとも 私なんぞは あこがれてしまうのです

 

で こういった感慨を覚えたことのことを いつだったか ブログにしたことがあった ? と

遡っていたら・・・見つけました  2008年に記したもの
https://blog.goo.ne.jp/toku2184/e/951a3fbee2d39b3a48782328114b0f86






ということで 唐突に下世話な?話になってしまうことでもありましょうが

私の生業でもうしますと 実務として 憲法は無縁ではないので

例えば 海事代理士試験 行政書士試験でも 憲法を訊かれます


それにしても 和訳もさまざまで 造物主 のところは 神 と訳されたりもしますが

神 ・ 造物主 ・ 創造主 など よりも 私自身は なぜか

至高の存在 

という表現が一番好きです 

 

 

ということで アレコレ 硬すぎるような 軟らかくもある ? ような 話題で スミマセン

さて 仕事に戻ります



それにしても 今の アメリカの巷というものは・・・  そうして 我が日本の巷では・・・


               

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古き西部劇を観たいようなナントモ不思議な心持ち

2019-11-09 | ■ サマザマな おはなし

 

 

 

ウィンチェスター銃'73 』(原題:Winchester '73)は 1950年制作のアメリカの西部劇映画

大戦後 5年目に作られたもの

気分転換に 観てみた

日本では 2年後に公開されたはず ?

一本の映画に なんとなく その頃の 戦勝国 と 敗戦国の 巷も 少しばかりでも 覗えてしまう 

ような・・・



 

内容は 先住民との争いなどを含む 西部劇そのもの だが 

人としての名誉 とか 男女を問わず人としてのケジメ とか 気高い人間性というもの とか 険しい情況下

での真の勇気 とか 


ほんとうの粋というもの とか 真の 人の心の温かさ とかを あらてめて教えてくれる ナントナク 日本

という地にも


・・・世界中に共通するような・・・人の想いというもののなつかしさを 理屈無しにシンプルに感じさせてく

れるような・・・

(特に 昭和時代の巷に そこかしこに ときには味わうことが できたようなものを感じることができるよう

 な・・・ ?)

ほどよい 快い雰囲気に浸ることもできた

「駅馬車」にしても アクションもすごいものがあるが 人の情というものを 重要なテーマにしていることは

同様だ と 思われる

こちらは 戦前 1939年製作 日本に御目見えは 次の年だった


1940年 と 1952年 の 日本という国で公開の 外の国で製作された作品

あの大戦 と 双方らの民 と それに流された幾多の運命と そのときどきの巷のことなど思うと 

胸が痛みもするが・・・

〔映画もダイスキ 私の5大趣味のひとつ
 この映画も好き ですが 映画そのものの好き嫌いという点
 からのお薦め度からしてスゴイ作品かというと 少しばかり
 総合点からするとザンネン 
 なので 是非ともご覧あれ と 
 そこまでは言えないの ですが・・・〕

 



 

 

せせこましいような なんとも虚無感を覚えざるを得ないような 不粋がのさばるような面がありすぎるような

? 今の巷

大人として持つべき情からの行動とはとても思えない心が為してしまう所作を 平然と弱者に向けてしまう者が

散見されすぎる

そうした ニュースが 日常茶飯的な 


昨今の 世

貴重な労働のエネルギーで生った莫大な貴重な財が たった 数分で吹っ飛ぶようなばかげた経済操作が幅

を利かすような


最優先高等?理論 ? に基づくとされる今の世界経済の仕組みとやらの虚しさ

形振り構わず とにかく財の獲得者こそ尊敬に値する者 だと 声を荒げ平然とのたまうようなことを

見なければならないような わびしさ


本来なら夢溢れるべき時間を過ごしてもいるはず なのに と 思われる若人の怒りの集い 


ドンナ基準でそんな額の提示がありえるのかと思わざるを得ない けたたましいトレードなんぞで 

かき回され 


それほどまでしてスポーツというものが本来持っていた純潔の雰囲気を壊す必要などないだろうと

思わざるを得ないような桁違いの莫大な財で蠢くスポーツビジネスとはなりはて 


そうしたものを 見せつけられたくも無いのに と 思ってしまう 財に貶められ続けている と 思わざるを

得ないような
昨今のスポーツ業界の ある意味 空虚とも思える貌の部分

おしなべて すべては金銭価値に置きなおして すべて事の価値が決められるようなことが 世を差配し支配す

るべき公認の
絶対規準なのだと 見せ付けられているような 意識で被われているような 気だるさ


うるわしさの欠片も無いような言動に闊歩され 散らかされての果ての 真の価値が根こそぎに近いまで破戒さ

れ尽される世さえ 

いずれ

近いうちに いやというほど繰り返し見せ付けられそうな悪夢さえ この世の舞台には皆無でない ような・・

そんなふうな 諸々の恐れにおびえなければならないようなグレー色の空想もどきが・・・夢にでてきそうな



オオゲサを承知で 諸々 過激に書きなぐってしまいましたが そういった不気味さを 吹き飛ばせるような

心情を なぜか激しく求めていた心持でしたので 


ほんの少しばかりでも スッキリできそうな気持ちになることができそうな ドラマでも観てみよう と思い



超珍しく なぜかウエスタンのお話を眺められたことは 救いだった



題名は覚えていたが 内容は 忘れていた というより 初見 だったのかもしれない

なんとも 心もとない 己の記憶に 少々 ガッカリ ではあるが・・・とにかく 久しぶりの 

紛れなき 古き ウエスタンの世界のお噺 だった

 

 

遠い昔

西部劇がダイスキな叔父に連れられて 映画館に行ったことがあったりした中学校時代だったが

今にして思うと叔父が魅かれていたのは 異国のアクション劇というばかりではなく そうした よその国にも

あったであろう 人の情の
清さ と 温かさの姿を味わいたいがため だったのかも 知れない と 思えたり

した

記憶にあるのは 叔父は ジョン・ウェインのフアンだったこと





話は 戻って

それにしても

真の宗教というものにとって 年端もいかない者に自爆をほのめかすなどということができ得る

ものなのだろうか


幼子に おびえの表情をつくらせるような蛮行を 至高の存在は いつまで許してしまうのだろうか

民族というものの争いが 千年をもはるかに超えると思えるような年月 絶えること無く続くことの狂気に 

人類は ほんとうのところ 少しの疑義さえも覚えることさえないような存在になってしまう

ことさえあり得るのだろうか・・・どう考えても

そのような理不尽を認めることなどできないはず と 思うのだけれど・・・


こんなふうなことさえ いろいろ なんだか 秋の快晴の一日 なのに みょうに 思い続けてしまった




今の世を 憂いてばかりいても たしかに 人として 寂しすぎよう か

 

政治というものが 巷の生きるエネルギーを決してしまう 最先端に位置するものとばかりは思わないが

けれど

ひとつの途としては 志の高い人が より多く 為政の場での意を決することを目指してくれて

かつ

巷も その類のエネルギーを持つ人を見分ける力をつけることに 努め そのようにしながら 

とにもかくにも すくなくとも大人連は 巷を投げ捨てたともみえるような結果になるような

ことだけは してはいけないと決意し これからの者のためにも 夢を壊しそうなぶざまなことを絶対に

避けなければいけない 

と 思うのだ

当然のこと 自らも そうしたことの欠片でも目標にして努め前進し 生きながらえねばならない と 

思っている

タイセツなものたちのために・・・

 

昨今
今の世の 世界中の多くの 特に為政側に 残念な面をあまりに見てしまうことが多々あるので 

少しばかり ? というか そうとうに 

過激な言葉で 暗すぎるような記事になってしまった

ゴメンナサイ

 

さて もう一仕事 だ ぞ

 

 

でも

 

22時が過ぎた 

事務所からは 退散することにしよう






おやすみなさい

 

                              

                

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いろいろありすぎる けれど

2019-10-18 | ■ サマザマな おはなし

 

 

異常な気象が原因ではあろうが

それ以外の サマザマな要因のため なのか

大きな自然災害をはじめとして いわゆる 重大なトラブルが この世に 多発

 

政治・宗教・経済

サマザマなジャンルでの理不尽・不可解ともいえるできごとにも 増幅を感じてしまう

 

 

そうしたこともあってか

大人も子どもたちも なんとなく 

今までよりは 多くのシーンで 

《 生き辛さを感じてしまう 》 ことがある らしい

などという話題を耳にすると

子どもたちまでもが 生き辛さ などという言葉と 向き合うことがあるのか 今の時代というのは

と 悲しくもなる
 

避難所で あまりに淋しく 幼い顔で 『 生きるのって つらいの ?』

とでも 言っているようにもとれるような言葉を聞いたなら それこそ 虚しすぎる

 

 

 

 

遠い昔の あることを 思い出す・・・

 

 

 

中学校時代の ある意味純朴な心の子 というようなイメージだけをまとっていたはずの知人

(ある意味 教え子 とも呼べる子)が

突然 私の事務所に訪れた

外見は ホボ 変わっていなかったので 直ぐに その頃のことを思い出せた

 

『 無 から 有が生ずる とは どのように説明し得るの ? 』

『 完全な無というものがあるのだ というのなら 真の空虚という状態さえ そこにおいては

  存在し得ないということではないの ?』

そういうことについて 説明できる人がいるんだよ すごいでしょう

一緒に そういう話を聞けるところに 参加しませんか

 

 

というようなあたりのことを 眼をキラキラさせながら 私に勧める

 

『 心がとってもスッキリする教えなの それを伝えたくて 会いに来たの

 世の中のこと ナンデモわかるんだ とってもステキな会合があるし 立派な指導者さまも

 いるので 紹介してあげたい と 思って訪ねてきたの 』

 

私は 答え続けた

《ありがとうね 

でもね

ある意味 答えが無いからこそ 生きながらえることができている とも 考えているんだ

・・条理 とか 理不尽とか 整合性 とか なんとなく言葉の意味は判るだろうか ?

疑問なところは 何度でも聞き返してね 

この世というもの 条理上も なんらオカシイなどと思えるところなどないほどに 理路整然としていて

理不尽さなど蔓延る余地がないほどに キチンとしているもので 説明できないことなどひとかけらも

無いんだ

などという情況の下では どちらかというと 世に起きることというか 日々の現実との

整合性に苦しみぬくようなことになってしまうようなことでもあって 

一日たりとも 生きながらえることなど 息苦しすぎて できそうもない かも・・・

そんなふうに 思うんだよ

なんとも わからない 不思議ではあるナー

というような世であるからこそ なんとか 日々暮らせていけるんじゃないのか と

そんなふうにも思っているんだ

なんでもかんでも 説明できる 世に 解明できないことなど無くて 全部 キチンと整理されている

のだから なにも おかしいことなんぞ 起こってないんだよ というのだとしたら やはり

理解できないんだ

 

要するに 

『 無 から 有が生ずる とは どのように説明し得るのか ? 』

『 完全な無 だ というのなら 真の空虚という状態さえ存在し得ないということではないのか ?』

 などという問いには おそらく答えが無いだろう それだからこそ 生きていくことができる

 ということなのかもしれない

 そういう問いにさえ 答えが用意されている世界なのだとしたなら 重苦しいというか いつだって

 息苦しくて

 生き続けるなど できないのではないのかな・・・

 
 同じようなことを 何度も繰り返しばかりで うまく話せていないだろうけれど

 ゴメンネ

 どうにもこうにもわからないこともあるだろうけれど 生き続けていこうと思う

 前にも言ったことがあるけれど 

 生きていく ということ それだけでも 人間 尊敬に値するのでは

 と

 思っているんだ 》 

 

 

 

そのように答え続ける私の前から 

「なんとかわいそうな人 ものわかりの悪い大人なのだろう」という眼をしながら

その女子は去っていった 

「こんなにステキな指導者様のお話を持ってきてあげたのに・・なんで わかってくれないのだろう」

という面持ちのまま 


 

 

ときに幼子に問い詰められ

禅問答のようなことが始まり

とっても 困ってしまうようなことがある けれど

 

 

中学生の頃 よく思ったものです

“ 世の大人は ちっとも不思議だとは思わないのだろうか

酒を喰らって ノホホン と
 
まともにこの疑問に答えてくれる書物はあるようで無いし

直截訊きたくとも 答えてくれそうな人は周りに居ないし

皆は 友達は   なにより自分より多く人生を過ごし

知識教養充分なはずの大人は 不思議に思わないのかなー  

気になって 気になって 生きながらえてなんぞ

いられないと思うんだけど・・・高等動物たる人間に

答えの出ないことなんぞあるはずないし 想像もできないレベルの

博学知識の大人だって いるはずなのに 未だ解決できず

その状態を よくも 納得できるものだ 

イイカゲンにでも生きられる そういうものなんだろうな 大人って 

でも そういったいろいろを乗り越えられずに 今も悩みながら

生きているのかなー  どちらにしても タイヘンなのかな?


酒ばかり飲んでいたり イイカゲンなことばかり言ったり 

タイヘンそうには見えない人も多いけど・・・


それにしても 世の中には 不思議で不思議で どうにもならないこと

あるなー      ・・・この世って なぜ なにもないところだったはず

なのに 何時の間に 出来上がってしまったのだろう・・・不思議


それにしても オリオン座の美しいこと よくもまあ だれかさんが

こしらえてくれたのか な ”  

 

 

  

 

“ 無 から 有 か たしかに不思議すぎるかな・・・

 

こういう類のことを これほどの年齢になって 今日も数分 断続的に考えるほど

暇なような 事務所 暇そうでないようなスケジュール





それにしても いろいろ考えることは尽きず 

なんとも幼い疑問をはぎとることが未だに

できない自分なんでしょう
それこそが ある意味 人生での 最大の疑問 

 

 

 

                            


なさけなし

2019-10-02 | ■ サマザマな おはなし

 

 

関西電力と助役であった者の アレコレのニュースを聞いていて

思うこと

 

ただ ただ なさけない

 

 

大嫌いな言葉 であるところの 

 

権威など 何処を探しても見出し得ない 

なぜか そこかしこに 蔓延る ドン

 

とやら

 

 

そんなもの

に 尻尾を振って それ相応の役目を負う者が 大勢して やっつけられるなんて

ツマルトコロ クニャクニャと 負ける なんて

  

本来 負けていてはいけない立場の者の 弱さと だらしなさ

いい加減さ と プライドの無さ過ぎ(人間として 男の生きザマ ということからしても)

とてつもないレベルでの 悔しさと 虚無感を 覚える

 

 

ガッカリもいいところ 

 

 

 

それなりの学業を積むチャンスを得て それなりに優遇された人生を得やすい立場にいられて

ブザマサをさらけ出しては世にすまないのでは

と意識しなければいけない という立ち位置の者なのでは という 境遇にいながら

あまりにも 情けない 行状 

 

 

くりかえすが 

ツマラナイ 恫喝に屈してしまうような輩であってはならない身だと思慮されるのに

ツマラナイ くだらない 不粋にもほどがあるような わけもわからない権威もどきを 盾にするような

ドン 

というような小物に操られてしまう ような ことで・・・

 

ほんとうに 情けなし

 

その 情けなしすぎる 度量のなさが・・・ 悲しすぎる ・・・不条理すぎる ・・・理不尽すぎる

 

 

その小物にも人生があり 諸々の事情というものが あったかもしれない 

けれど

・・・

 

 

 

今のところ 一方当事者達からの 故人となった助役とのことなどについての説明のカギリでの話

ではあるだろうし

その助役が諸々の事情から止む無くその立場にあったのだ と して も 

とにかく してはいけない 行状 であったこと ではある

 

ということで 虎の威を借る 類の者の しでかすこと とか

ことさら 恫喝して その不条理な理不尽な勢いで 人の意を操作するようなこととか

そういった

行い

 

ダ イ キ ラ イ

 

 

 

社会人として というか 人として もっとも 嫌悪 に値すること と 自身には思える

 

 

 

とにもかくにも ミットモナイ

しでかす方も 立場上そんなものにオドオドするなど もってのほか と 理解せざるを得ない側も

双方 とてつもなく ミットモナイ 

 

二度と聞きたくもナイ ニュースではある

 

 

 

とにかく 巷の一介の素浪人 の 悲しみ と 悔しさ と 憤りを 強烈に覚えたことであった

 

 

 

 

それにしても 悔しい 悔しすぎる なさけなし 情けなさ過ぎる

 

 

 

いわゆる 超エリート連の 破廉恥と言われてもしかたのないような みっともない 業を またもや知り

国のために命を捧げざるを得なかった人々の運命のことを見聞していた最中での

みっともないニュースだったので・・・

余計に とても堪えたのだった

 

 

 

それにしても むなしい

 


人 対 人

2019-09-19 | ■ サマザマな おはなし

 

 

 

日常の 一般的な お付き合い  実務上の 限られた範囲における お付き合い

さまざまな 人 対 人 のシーンがあった

 

記憶に残る スバラシイ 場面も タクサン経験させていただいたが

残念ながら そうではない思いをしたことも 何度かは ある

 

 

会合を開いて その場に 講師をお呼びしてお話を伺う催しがあった

講師に質問をするときに 椅子に座ったままは 通常あることだし 特に

言うべきことではないかもしれない として フンゾリ返って 足を組んだまま では

話が違うのでは 

まして 初対面で 貴重な時間を遠方から無報酬で参加して

いただいた 高名な弁護士に相対しての 振る舞いだった

 

講師の そのような背後事情を知っていたかどうか等は別として(もっとも

その御仁は 某組織の長だったので いろいろ その腰の低い弁護士さんの

ことなど 会合全般の事情を知っていたかもしれない) いわゆる ミットモナイ

振る舞いだった

 

弁護士に対する対応だからというような いわゆる上下関係だとか そんな わけのわから

ない ツマラナイこだわり・シキタリ 巷のくだらないちり芥論 みたいなことを言っているのでは

ない

人 対 人 としての マナーを言っているのだ

 

案の定 その御仁のその後の振る舞い(すべてということでは ないが)

 “ そのようなことを 当人の面前で よく 言えるものだな 何様のつもりなんだろう

いい歳をして ”

と思わざるを得ないことを言われ 唖然 としたことがあったりした

 

要するに 肌が合わない

お付き合いなど 願い下げ   もっとも 顔が合ったときは マナーとして 会釈は さすがに するが

 

 

 

 

相手に関する資料など無くて 初対面のときは 相手のことをマッタク知らない情況なのだから

どのような場合も 徒に 当初から敵対心など用意することなど無用 というより 相手に失礼だと

思うのだが 

“ 話をするという場面は 相手との いわば闘争以外のなにものでもない ”

というような雰囲気を モロに感じざるを得ないような人に ときには 出会うこともある

特に 実務上 それも 相談の場面で

 

案の定 こうした人は おおよそ タイプが似てる というか なぜか 経歴が似ているというか

こうした人とも その後の付き合いは すくなくとも自分の方から近づくことは ない

全然 会話の意義を見出せないこともあり

相談にもなににも なり得てない と思うので   ダイイチ 全然 人 対 人の ふれあいを

感じ得ないこともあり・・・

 

 

 

と記しながら 遠い昔 若い頃特に 職場などで どんな折に どのような 人としての不始末を

してしまっているか

神のみぞ知る ということで 自分のことは棚に上げ 記してしまっている

 

人生の4分の3は とうに過ぎたであろう 今にしたって 人として 人に対して ドンナ無礼をして

しまっているものやら・・・

とにかく 心して ホドホドに生きながらえさせていただきたいものだ とは思っているが・・・

 

 

ただ 必要以上に 謙遜したり 忖度したり どうにもガマンならないことを ほぼ一方的に謝るような

ことは さすがに ゴメンこうむりたく思う年齢になった

 

要するに キライな者は どうにも好きにはなれない というのが 自分の拙い人生での 実感だ

勝手で ゴメンナサイ でも この好き嫌い という規準というのは 各々 どうにもこうにも

手強い規準らしいのでは と 思われる    その人にとっての ものごとすべてにおける最終判断規準

みたいなものではないか と 思われるので ナントモ とっても不思議なことのようにも思える

 

最後の最後は もっとも妥当な理論とか 総合的判断とか そういったものではなく 

要するに 好きか 嫌いか で 決断されてしまっているような・・・

また そうすることで収まっていることが 結果的には 他の規準よりは 納得しやすいような・・・

 

 

 

でも とにかく 人に迷惑をかけることは できる限り 避けることを 当然の義務として

 

 

 

ということで アーダコーダと 勝手なことを 

 

ご容赦を願うばかりです

 

 

 

当地 朝など めっきり 秋に近づいている雰囲気あり(暦の上では 秋そのものなのでしょうけれど)

 

 

というようなことで

大仰でなく できれば 粋に 一介の素浪人をヒッソリと生きてゆきたいものだ

必要以上の 我慢はせず 

という思いを ナンダカワカラナイケレド 今朝 突然 記しておきたくなってしまったのでした

 

 

 

 

ダイスキナ 向日葵の花

今年は あまり 見ることができない

それだけ 外出が減っているということかな・・・?

 

                      

                      

 

                                                                             

 


夏のオリオンを眺めて

2019-09-10 | ■ サマザマな おはなし

 

 

 

夏という言葉を聞く と 

私の場合は アイスコーヒー と < パーシー・フェイス  の 夏の日の恋>

が サッと 心に浮かぶのです

その夏も あと いくつほど 残っているのか・・・

 

 

 

勉強不足を痛感することがあって 少々込み入った箇所の理解に時間をとられていたり

すること多し で 集中して考えることに 疲れているかな ? と 感じる日々が続いていた

 

ノンビリ 温泉など行けたら サイコー なのに 

夏の野風呂もイイナー 山懐に抱かれたような

ヒッソリ温泉場 なんぞはイイダロウナー

・・・・東北の海岸線の海中野天風呂 気持ちよかったなー 

あこがれるなー

でも 小遣いが足りないので 我慢

 

 

台風もきたり その前も 当地 雨がちで 星空も乏しかった

が 

今朝 4時頃 2階の窓から

夏のオリオン座が クッキリ 眺められた

なぜか とても ホッとした  いろいろ思うことが続いていたので よけい ホッとして しばし 眺めた

冬のオリオンが最高 とは思うが 今頃のオリオンも ダイスキ

 

 

たしかに 物事 没頭するのもいいけれど 知らず知らず背を丸め通しで 天空を見上げること

などには とても気がまわらず どうしても 首も肩も思いさえ固まったままであることに 気付かずに・・・いて

そんなことをアレコレ思っていたら コーヒーブレイク( このことに限らず ) っていう類のこと 

ケッコウたいせつなことなのかも と 思ったりした
(そういったことが デキヅライお仕事も たくさんあることでしょうけど)

 

私は 夏でも ホット・コーヒー を頂くこと多し 

まず あの香りに癒されます

 

 

 

ということですが

チョットした気分転換になること そんなことでもいいので 意識的に 矛先を変えてみたりする

そういったことにも 注意してみよう と 考えたりしたのでした

 

要するに 

生活流儀が 固まりすぎると 思考まで 固まる

思考が固まりすぎると 生活流儀みたいなものまで引きずられて・・・

心まで チョットばかりギシッと音をたてていたりする ような・・・

 

ダイスキナ 雲の流れを眺めることを 意識的に できるだけ実行しよう

根をつめる作業が続いたときなど ときどき

今朝 事務所内で フイに 思った

 

たわいもないような話で ゴメンナサイ

 

 

さて 調べもの 続行

 

台風 スゴカッタ ですね

皆さま 大事無かったですか

 

お元気で

                        

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世 相

2019-08-15 | ■ サマザマな おはなし

 

 

 

お盆ですが(地域により 帰省や墓参などの時季が異なるところもあるでしょうが) 自身の

日常は 基本 いつもどおり

 

 

先日は 子家族や兄弟家族が訪ねてくれ 偶然のグッドタイミングで チョットシタ酒宴の集いなどを

楽しませてもらいましたが

業務は いつものごとく 進行です(多少 フレックスタイム的にですが)

 

 

 

本日 終戦記念日も いつもどおりに起き 顔を洗い 事務室の窓のブラインドを開け 空を仰ぎ

終戦前後の 世相とは どのようなものだったのだろう などと 前日観た 木下監督の〔陸軍〕 

という 昭和19年公開 戦中の映画を思い返して しばし ボヤーーと立って居たりしました

 

 

 

朝は ブログ情況をながめることと 短時間のネットサーフィンが 癖のようになっています

本日 特に眼にとまったのは

「 退職代行 ・ コスパの徹底 」というような言葉

 

退職時の 雇い側と退職者とのヤリトリ の ほぼ一切を 数万円の手数料で 退職者が

業者に依頼するという 仕組み

このサービスが それなりの利用をされている とのこと 今のところは 主に30歳までの方に

 

 

ある日 『会社を辞めます』との意思表示だけがあって その後の流れには 当事者の一方は

代行業者に代わる とのこと

弁護士法にふれる部分もあるのでは との 疑義が問題にはなっているようですが(法的な手続も

当然絡むでしょうから)・・・

 

極く端的に言えば それまでの職業人としての人と人の絡みは代行者登場の時点で 断絶

 

主に 徹底的?コスパ(費用対効果)重視で 物事が進む

 

格別 ものめずらしいこととは言えないことなのかもしれませんが 今の世相の一部を

極彩色でみせられているようで 戦後数年でこの世に登場した自身は 少々 オドオドしてしまいました

 

“ そのような基準でも この世というものは流れているのか ”という感慨

 

職業上でも 私生活でも 顔を合わせることはなくなるのだろうから

そうしたことは 気まずいこと でもあるのだろうし

多少の軋轢も まずはあっただろうが・・・

 

『マア 元気でやってください』

「いろいろお世話になりました」

というような類の言葉も おおよそ 登場無し での エンド なのだろうなー

 

 

退職代行のこと そのような制度が生まれる背景 退職時にいろいろな知識・情報が

手数料など要せずに短時間で探れる人も多い 今の巷 というものを思い

自身の業務のあり方の進化というあたりを より探っていかねばと 思わざるを得ませんでした

 

中途半端な ありきたりの知識などは コンサルタントの武器には おおよそなり得ない

世相 なのだろうな・・・と

 

 

 コスパ(費用対効果)   情報社会のモノスゴイ進化と深化

 

 

ということで もはや 30度になろうとしている 事務所内気温

扇風機の涼風を求めながら 生涯現役の自身の声に押されながら 調べもの スタート です

 

 

 

みなさま 昨晩の睡眠は いかがな具合でしたか

当地は 雨が降ったり止んだりの夜だった ような・・・ ただ 夏の夜の虫の声を聴くことが

できたりして

すこしばかり 楽しかったです そのうち しらずしらず 眠りに入ることができました

 

 

おからだ お大事に   まだ まだ 暑い夜が続きますネ(北海道にいた頃は 15日を過ぎると

秋の気配が 一気に という感がありましたが 今は どうなのでしょうか・・・友の話だと 

ケッコウ

暑い日が多くなった ようですが・・)

                     

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