おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

タイセツな宝物とは

2019-08-08 | ■ サマザマな おはなし

 

 

仕事がら さまざまな業務上の体験のおはなしを伺うことが ときどき あります

 

今の時季の雑談に登場する話題は なんといっても 挨拶代わりの “アツイデスネー” という言葉 と 

『このぐらいの気温で暑いナンゾとは言っていられません』 という類の 各人お薦め暑さ対策アレコレと 

頑強なカラダと壮年時代の夏の日々のアレコレ寓話もどき サラリーマン時代回顧人生模様 が 多いかな ?

 

 

そうしたなかに 体力自慢の女性で 暑さに関して “あれには さすがに マイッタ”とおっしゃった職場は

夏場の 給食関係の 特に 大型炊飯設備場での作業 だったそうです

“汗が噴出す なんていうレベルじゃないんです” と どこか 懐かしそうにお話されました

そうした職場でも 今は 労働安全衛生関係や設備の進化もあるでしょうから 事情は改善されて

いることでしょうが・・・

 

 

自身も 遠い昔 郵便配達を5年以上していた経験があり 夏場の炎天下労働で鍛えられましたので 

今 事務所でのクーラー無しの事務作業は 扇風機さえあれば なんとか しのげます

(クーラーは備えてはいますが お客さん用といったところです)

もっとも 自転車あるいはバイクでの配達 北海道に住んだ頃のことですので・・・

・・・しかし 札幌の友の話では 当地よりも気温の高い日々が 夏場でもこの頃はあるそうで ビックリ です

(気候の異常を感じさせられます 当地のセミの鳴き声時季も なぜか ズレテイル ような・・・)

 

 

扇風機などはゼイタク品 冷凍冷蔵庫 クーラーなど夢のまた夢時代には ドンナ具合に

こうした猛暑に対抗していたんだろうと スッカリ 当時のことを忘れてしまっています が・・・

 

 

ということで 本日の記事は どういうことを契機にしているのかというと

老後に2千万円が必要だとか 人生100年時代だとか 老いても人生の真の幸せとか

そうした話題の度に思うこと は ≪ナニヨリカニヨリ まずは 健康≫ という言葉

 

人生 どのような境遇にあろうが 健康 というものより 威力のある 特効エネルギーは おおよそ

見つけることができないのでは・・・・誰にとっても タイセツな宝物 と (ありきたりの 当然話 でしょうが・・・)

そんなことが 少しばかり暑い事務所の中 遠い地の友からの依頼話の折に 話題になったことでした

 

 

自身は 夏痩せどころか体重が増しているという具合で 楽天家的性格が潜んでいて

都合好く 炎天下に それが ムクムク這いでてくれているようで ありがたいカギリ

 

 

ということで 本日は 遠い昔の炎天下作業を思いながらも 会社法関係調べものとの格闘でした

 

それにしても ナンダカンダ言っても 暑いー (さっそく の ボヤキ です)

 

当事務所内 只今16時   扇風機のみゆえ 30度越え

でも 負けていられません 

(クーラー独特の冷気は 少々 苦手 なのです もっとも 熱中症には気をつけねばならぬので

イザ というときは その冷気にもお世話になっていますが)

 

サーキュレーターという武器 ケッコウ 夏場にも 我が家では 有益に働いてくれています

 

 

みなさま どうぞ 健康にお気をつけられますよう お元気で

 

                  

                          

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心 の 温 度

2019-05-27 | ■ サマザマな おはなし

 

 

時期はずれの こんなに暑い事務所での作業の合間に

なぜか ポコッ と 心に湧き出た言葉がありました

 

「 心 の 温 度 」

 

しばし この言葉を なぜか想っていたのでした

 

おそらく 巷では ときに使われる言葉かもしれないし

小説やエッセイなどには 何度か登場の 使いコナサレテイル言葉かもしれませんが

フイ と 心に浮かんだもので 私にとっては 初お目見えのものです 

 

17時を過ぎても30度を超えている 事務所内で

なぜか その言葉に虜になってしまっているようなオジイサンが

こんなふうに巷に居たことに 気恥ずかしさを覚えたりしました

生きながらえてきて どうということでもないかもしれない ひとつの言葉にすぎないことのはず 

なのに・・

なぜか・・・

 

 

遠い昔 中学生の頃

チョットシタはずみで とっても気になる言葉が 数日 自身を包んでいたことがあった?

ようなことがあって 『なんだか あのときの再現のような気がする』 なんぞと 

相変わらず成長ゼロの心の持ち主であることだな と 寂しく想ってしまいました

 

前期高齢者さんにもなっていて なんとも 気恥ずかしいような記事で 申し訳ありません

 

 

「心の温度」

 

その心の持ち主自身が一番 判断できることでしょうが

なぜか 冷え切っているときに限って そのことを自身は気づくことができずに悩み

そんなときこそ 周囲の者が おもん慮ることができるなら さいわいなのでしょうが・・・

 

・・・以前から 「 い の ち の 電 話 」のことも気になっていて 超高齢化社会のためもあって 運営がタイヘンになっている

とのニュースが心に残り続けているので そんなこともあって

「 心 の 温 度 」

という言葉が浮かんだりしたのか・・・ と思えたりしました

 

約2年間の研修とか いろいろ関門はあるとのことですが 微力でも いずれ なんとか 運営に係わらせて

いただきたいものだ というようなことを 思ってもいます

 

とりとめもないような記事で どうぞ ご容赦をください    

                        

 

                                

 


      

 

    

      

 
 


卯月の一日

2019-04-06 | ■ サマザマな おはなし

 
・・・太った豚になるより痩せたソクラテスになれ・・・
というような訓示を1960年代 某大学総長が 卒業式に した とか・・?
 
いやな感じで耳に残るような そうでもないような
複雑な 文字列
自分は ちょうど多感な十代半ばだったせいもあり・・・


ときどき 過去を思う

事情もあり 生意気にも幼いころから思想上の悩み 
なんぞというと高尚で大げさだが 
政治上の催しなんぞに連れていかれたりした記憶から どうにも政治アレルギー?
みたいなものがあって
そうとうな年齢になっても 選挙にさほど興味が持てなかった
“政治なんぞ なんぼのもんじゃ”というのが
幼い頃からの一貫したイメージ

そうなった要因は いろいろ思い当たることがあります

そうして
多感な頃に ちょうど学生運動がはなやかになり いわゆる急進左翼と
機動隊との衝突は日常茶飯事

その頃 なにが一番カチンときたかといって
“人間 もっと高潔な生き方なるものを目指さねばならない
日々 食べていければいいなんぞと 次元の低いところに
縮こまっていては進歩なんぞ無い”
と ある部分社会の人間が 上から目線でのたまわっていたこと

貧しくても チャブ台をかこみ 父ちゃん母ちゃん弟たちの笑顔のなかで生きるよりの幸せが 
この世にあるか
イデオロギーでは至高の人生は作り得ない
なんぞと 生意気にも確信していました 
多分 小学生低学年時代から・・・


自己にとっては至高の 世のため 人民の理想のためとはいっても 
他家の畳の上にも思索のなかにもヅカヅカ入る権利なんぞは だれにもありはしないし 
余計なお世話も甚だしい ということ
10冊の教典より 一枚の粗末な絵の具画の思い出が その人間にとっての宝物・導きであること
だったりするのですから

“あなたたちに 我々のこの至高の思想が理解できないから そんなもったいないことを
ホザイテいるのだ
我々が手取り足とり補ってあげるから学習して至高の世の建設の道の理解に努めよう”

根本的に その日暮らしの人民は高等イデオロギーなんぞ理解は無理 
という前提で 大仰にのたまわっていた連中がいたり・・・ それこそ上から目線で

そうでもないのです その日暮らしのニコヨンさんでも
人生哲学はあるのでした

「わからなくて 無知で こんな人生を送っているのではない
どうせ 人生こんなものかもしれない でも 愛しさを覚えてもいるんだ 
大仰な知識より 惚れたあの子の笑顔のほうが 人生に何倍もインパクトがあること
を知ったことだって大事なこと そう考えることのどこが劣っているというのだ  
高尚 低俗 そんなことアーダコーダと他人に誂えてもううことなど ゴメンこうむる
そういうことさ」
焼酎をあおりながらチャブ台を軒先にあつらえて 夏の夕餉に
話を聞かせてくれた 愛しいオッチャン

学歴も 財産も 誇れる家柄も 名声も 肩書きも 何一つ持たないような人だったが 
どこか威厳があった  大人の
 
 
子供の頃 登場してくれた多くの オジサン オバサン
人生の彩りとして 自分の前に現れてくれた 大人


ほんまもんの大人にはなれないかもしれませんが
‘ せめて この世におさらばしても すこしばかりは記憶に残れるような付き合いを
いろんな巷の人たち子たちともさせてもらいたいものだなー ’
なんてことを 久しぶりの上野の雑踏のなかで 思ったりするのです

健康で つつましくも自分なりの時を過ごせそうなことに感謝しながら・・・
                     
    
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あらためてのお願い です

2019-04-05 | ■ サマザマな おはなし

 

 

いつも ありがとうございます

 

 

私のブログは 10個のカテゴリー で 参加させていただいています

 

なにしろ いろんなことに興味を持つ男で なおかつ 業務カテゴリーも

数種もたせて頂いているものですから みなさまに マッタク興味の無いかも

というような

範囲のものまでも

登場させてしまいます

 

私事で まことに恐縮ですが

マンション管理士業務をキャプテンに という傾向がありますので

ブログも そこらあたりを集中して

そうすれば ミナサマに ご迷惑でないかも とも思うのですが

今のところ そこまでの 特化を考えておりません

 

ブログの定席を カテゴリー毎に持つようにすれば よいのでしょうが・・・

 

以前にも なんどか お願いいたしたことがあるのですが

どうか ページ右肩の カテゴリー欄を まず チラッと眺めていただいて・・

またの機会に しよう とか スミマセンガ 判断していただいて・・・


勝手を言ってスミマセンが

そこらあたりを よろしく

お願い申しあげます

 

ありがとうございました  失礼いたします 

           

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講演者の仁義

2019-04-05 | ■ サマザマな おはなし

 
 
特に忘れられない 某集会のこと です
参加募集の段階から気が乗らず まして所用が予定されて
いたのでしたが 事情があり 欠席を撤回し
無理を押して出席(モチロン自己責任です が)
 
不安視していたこと ? が 的中
なんとも残念 というか 後悔(自分の見通しの甘さを)



まず 講演者到着の段階で 嫌な予感
大物登場風な 雰囲気
礼を尽くしたお出迎え というのとは おおいに異なる
大仰な登場場面 と私には見えました
(なにごとも サリゲナイのが好き) 参加者全員に総立ち拍手喝采強制要請

講師案内のなかに登場の “勝ち組の方” とかなんとかという言葉で またまた
嫌な予感

さていよいよ トークのスタート
ム・・・今晩の主題は?と首をかしげる内容が延々と続き
いつになったら本題がと いぶかれども 
話題の流れは 時が過ぎようが 色を変えようとしない
もしや 講演を設定した側と 講演者とのミスマッチ かな?(パンフに演題は明記されているが)
主題が ずれているのか そもそもが雑談風での設定パターンなのか?・・・
(・・・そんなことなら 絶対に参加ご免こうむったのに・・)
貴重な時間を割いて 雑談風を聞くために集まるほど
暇ではありませんでしたので なんとも残念との思いは募り

そうこうしている間に 後半時間に突入
一般人が新聞などで軽く目をとおしていれば手に入れられそうな時事問題が延々と・・・
やや どうでもよいようなプライバシーが
講演主題とどのような相関関係があるのやら疑問を
引きずりながらも登場し・・・

私自身は 込み入ったスケジュールやりくり
の結果の貴重な時間を どうしたものかと 
心で地団駄踏み出し始まり・・・
(今からでも遅くない クライアントさんに再度詫びの連絡を
入れようか・・でも 途中退場は ヤハリ失礼かな
でも そもそも どうしてこんな心持のままを余儀なくされる
破目に遭遇せねばならないんだろう)
ついには 自分自身を情けない奴めと 心が ののしる始末



というわけで なんとも スッキリしない 心模様でした
講演は 本来なら スタート直後から 今後の我々の切実な業務背景をガンガンつきつめる
ようなものとの展開を想定していたので(そういう立場にいる方なのであり それがその方の
立場の仕事であり 話の主題もそれのはずなのですから そのために 参加者は足を運んだのですから)


結局 約90分ほど?の道程で 自分がやや関心を持てた話の長さは
約5分ほど?
 
 

会場で同様な思いを忍んでいた方もそうとういたらしく私一人が オカシイ人物ではないんだな

心強く思ったような そのことが何の意味があるんだろう
と いぶからざるを得ないような
わけのわからない自分に
結局 スッキリしない 気分

人生 いろいろ アリマス

                      
 
純に私的な お出かけもおひきとりもマッタク フリー
という集会ではないのですから
立場に応じた 時に応じた 講演テーマに応じた
そうしてなにより 聴衆の雰囲気のほうも少しばかりは気にする配慮が欲しかった
 
時々 こうした集会に遭遇してしまうこともあり
唇をかみ締め
自分を責めます
(この年令になると 時間も貴重そのものの存在)
 
ひるがえって 自分の講演の場への戒めとして 
忘れてはいけない経験になりました
 
 
 
 
 
というわけで いつの世でも 何事も つまるところは
自己責任ということ でしょうが・・・講演者の仁義 ということを思ってしまったのでした

”気乗りのしなすぎる会合は ヤハリ やめておこう 不参加に○印”と 思ってしまったことでした


世の綾 というものは そんなふうなこと・・?

2019-04-03 | ■ サマザマな おはなし
 
良いことは良い 悪いことは悪い
このことを徹底することが 正しい道
とは思う
 
公明正大 好きな言葉だ
 
しかし この世というもの 
<そこまでするのはいかがなものか・・>
という雰囲気で 得体の知れない大義名分などがコッソリ登場して
いつかコッソリが堂々とになっていて
 

<そのことは そのあたりで一件落着としよう 引きずると
 

いろいろと厄介な
ことになりそうだから・・・
おおきな益のためには 小さな傷はガマン も 必要>
 
 

 

今までの人生においても 私などは “どうにも ヤリキレナイナー ”
との思いに沈んだこと 多々あった が

今回のことも さぞ 無念に思う人々が多いだろう か
と思えてならない
(真相は どのようなものか 流れの結果は いかようなものかは
今のところナントモイエナイ としても 疑義として問題があろうことは確か かも)
 
 
高校野球のサイン盗み のこと
 
 
ポーツマンとして 潔くないことは してはいけない

スポーツ ではなくなってしまうから
 
ルールをシッカリ守りあうこと 
正々堂々
それこそ それゆえ スポーツ
と呼べるものなのだ 
と 私は心から思う
 
スポーツマンシップ 何時の世までも 残しておきたい 愛しい言葉
と思う
 
 
スポーツ といえども つまるところは マネーがからみ
高校野球といえども 今の世 所詮 お金獲得の登竜門
という見方もあるような・・・?
 
『有名選手になることができれば お金がもらえるんだもの
ドッサリさ』
 
幼い球児から そんなふうな言葉を聞くと なんとも寂しいような・・・
 
 
スポーツというもの とにかく売れる技量がありさえすれば 何億の世界が待っていてくれる
サッカーも野球もバスケットも 想像もできなかったお金がヅドン と
手に入り
 
品性なんぞ 二の次 にも なろう・・ か
 
やはり どこか 寂しい
 
 
純粋さを求めすぎるのも とは思うのだが そういったものが
ひとつ またひとつ なくなっていく
 
のも むしょうに 侘しい
 
 
ルールを守るのもホドホドに 勝ちを得るためには そこらあたりにも
大人になることだ それが人生  
 
とは思いたくない
 
そうしたことが 通っていたとしたら 通っていくとしたら
球児たちの それと 行きとし生けるもの多くの人生に 
ドンナ形で残ってしまうことになるのか・・・
 
“ 多少の悪は 必要悪 きれいごとだけでは すまないのだろうなー
人生ということにおいて ” 
 
なんぞというセリフ
 
球児たちの心にも 刻まれたりしないで欲しい・・・
 
 
開催期間中だったので イロイロ差配があって ? 曖昧で終わりそう
だったのだろうが 
これからは どのような流れになるか
 
キチンと後始末がされる方向に戻るのか
それとも・・・
 
 
自身としては できるだけの 真相究明を願っている
 
スポーツにある純真さみたいなものを 大切にしたいから
 
 
公明正大ということ
人が生きていくうえでの 宝物であると思う心情だから
 
 
率直に言ってしまうと
その過程での究極の証拠方法は 球児たちからの 聴き取り
ということにもなろうが それもやむを得ないのでは とさえ 考える
 
曖昧で そのまま なんともやれ切れない心を引きずるよりは まだ 納得できそうな・・・
 
いつまでも さわやかさをも失わない高校野球でいてほしいからこそ
 
 
それこそ 辛いことだろうが やはり ウヤムヤで 幕引きでは
彼らにも辛い思いをさせ続けることになるのではないだろうか
 
 
皆さんは どのように思いますでしょうか・・・
 
 
 
 
話は変わるが
それにしても 一部のプロスポーツ界での お金の流れと額
のケタタマシサ
 
ホドホドでいいのでは
 
スポーツというものに込められる清さをスッカリ奪ってしまうようなレベルでの運用でなく 
ホドホドのお金の色付けで留めておくのがイイナー 
と思ってしまう のですが・・・
 
 
 
 
それにしても
 
スポーツマンシップ
 
なんとも 快い言葉 だったなー   今も この言葉 
あることにはあるのだろう が・・・

       
       
 
 
        
 

言葉の意味

2019-03-15 | ■ サマザマな おはなし

 

 

行政書士として 支部主催の無料相談会担当員として 名を連ねさせて

いただいてきましたが

最後の担当を終えさせていただきました

 

(マンション管理士としての (一社)茨城県マンション管理士会としての

無料相談会では もう少々 ? 任務続行ですが)

 

 

無料相談の他 事務所での相談などもありますが

行政書士業務関係で圧倒的に多い相談は 遺言・相続関係

なのですが 近頃は妙に? 珍しいもの も 並びます

 

・退職後を見通し生涯現役希望者に相応しい国家資格試験選択のこと

・法定相続情報証明制度のこと

・行政訴訟についての法規法制のこと

・委任契約当事者間のアレコレ

・相続時精算課税のこと

・不在者財産管理人のこと と 後見人のこと と 相続財産管理人のこと

・認知症の方のための施設の 利用知識

 

許認可申請と違って

相談業務は 単発的なものが多く 

一件一件 説明が済むと 多少空き時間が出来

本日は 小津監督の 「小早川家の秋」を 合間に観させていただいた

 

映画のなかに 原節子さんの『・・・品行は直せても品性は直らないもの・・』

というセリフが登場   

・・・妙に ドスン と  心に響いて・・・

 

小津監督の言葉に

≪ 人間はすこしくらい品行は悪くてもよいが、品性は良くなければいけないよ。 ≫

というのがあるらしい

 

 

品性 と 品行 という言葉を いろいろ調べたりしてしまった

おおよそ 意味は思っていたとおりだったが・・・ 

 

 

自分のこれまでの人生の中での

さまざまな場面での さまざまな人の立ち振る舞いを偲んでみて


そうして 今の巷を思いながら・・

 

 

特に 品性 ということを 少し長い間 考えてみたりしていました

         自分のことは棚に上げながら・・・ 

 

 

 (品性というところでは ほぼ申し分がないのだろうけれど・・・

 どうも 好きだとは 言いきれなくて・・・)

 

 好きと嫌い ということには なんとも不思議な色やら形があるように思えて・・・

 

 

人の思いとやら 

なんとも愛おしい と

 

                         


明治の文に触れてみたり

2019-02-26 | ■ サマザマな おはなし

 

久しぶりに たわいもないような 肩の凝らない ものを

 

仕事がら 古い手書き文書にお目にかかる ということもあり

四苦八苦しながら なんとかかんとか 意を探る などということもあります

 

なぜか そうした折に 

どういう加減なのか

明治の大家さんの本を眺めたくなったりして・・・

 

久しぶりに 一葉さまの 【大つごもり】を手にしたので・・・

リバイバル 編集記事で ゴメンコウムリマス

 

 

[・・・よき事には大旦那が甘い方ゆえ、少しのほまちは無き事も有るまじ、

厭やに成ったら私しの所まで端書一枚・・・・]

2003年に手に入れなおした岩波文庫版

独特の味があるなあ  明治の文(もちろん その当時そのものの表記

というわけにはいかないが・・・第一 自分には読めないだろう)

なんて思いながら 読み始めて 

“ ン   なんか  ひっかかっているな  ・・・そうか  あのときの

あの言葉 ”

                ほまち

   主人に内密で家族・使用人が開墾した田畑、また、たく  
   わえた金
   役得
   へそくり
   個人の所有となる臨時収入


20歳代 公務員であった頃 ある夜 勤務を終えて帰ろうと

役所の外塀を曲がろうとするとき

闇から 若い? 男の声

“どうです ほまち なんですが  どうです・・・ ほまち  ”

とかなんとか そうか   もしや  

彼はあの時 ほまち 

と言ったのでは・・・

あきらかに 独り者の役所勤め男の帰りを待ち伏せていたようなシーン

カードか写真か よくわからなかったが そのようなものを片手にチラツカセ

こちらの気を誘っていました

闇の中で男に勧めるもの  たぶん あのてのもの ? だったのでしょう か・・・

そんなところで お硬い実務参考書はセールスしないでしょうから

わたしも まだまだ初心(うぶ)でしたね

“ こんな寒い 暗い場所で しかもヒソヒソ声で 変わったセールスなんだな

もっとハッキリ 売り物を眺めさせてくれればいいのに ”

なんてことを心の中で呟いていたのでした


想像ですが 小遣いに困っていたのか 親分への上納金が足りなかったのか
 
惚れた娘さんとの駆け落ち代をつくろうとしていたのか・・・


まだ 雪道だったかもしれません  いかにも薄い 大きめの背広だけで

寒かっただろうなあー

とにかく お金が要だったんでしょうね

相手が悪すぎました よりによって野暮な貧乏書生に

もっと機転を利かして察してあげればよかったのだけれど・・・・なにしろ
 
わたしときたら  30年以上後に ァ そうだったのかな

ですもんね

ゴメンナサイね  オア兄さん  

そういえば オア兄さんの その場からの去り台詞

『どうしょうもない 世知らず男め』 という感じだったなアー 

でも わからないな  素人の男さんだったかも


遠い昔の記憶が ひょっこり と 登場しました

ありませんか 皆さんにも

ん十年来の ?


それにしても

いい題ですね

 大つごもり 
   
これだけで 小さな文机と一葉さん と 明治の巷が浮かんできそうな・・・

 

他にも とても素敵なタイトル ありますね

私のお気に入りを 二つ


  ≪ 私 鉄 沿 線 ≫
    
            ある歌謡曲の題

            この4文字 だけで 絵になりそう

            街並と 巷の人々の声 と 遠く汽笛が聞こえて きそうな


                       
  ≪ 中 世 の 秋 ≫ 
    
            20世紀最高といわれる歴史家

            ホイジンガの傑作

            4文字 
だけで

            幽かな灰色の大気


            騎士に降りかかる落ち葉を感じます

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思うがままの素浪人評論もどき

2019-02-01 | ■ サマザマな おはなし

(以前のものを基に少し編集して 記しています)

 

仕事の合間に 鴎外さん関係のもの 漱石さん関係のもの
を楽しみに読ませていただいています(失礼を覚悟で さん と 呼ばさせていただいています)


今 漱石さんの奥様 夏目鏡子さんの
 [漱石の思い出] を読んでいます(何回目かの再読)


これは 長女の筆子さんの夫の 松岡譲氏が
鏡子さんの口述を記したもののはずです


漱石さんも鴎外さんも 奥さんのことでは なかなか苦労なさったようで
もっとも 対奥さん というより 鴎外さんは 二番目の奥さんとお母さんとの確執に 

そうとう悩んだようで    (最初の方とは 離婚なされていますね)

また 漱石さんと奥さんとの夫婦間の格闘は知れるところです


鏡子さんは 悪妻 とまで評されているのが一般ですが
この本を読む限り その評価は 可哀そうなような気がするくらい

(漱石さんの ほとんど狂気に包まれた日常が記されています)
もっとも 漱石氏の言い分もあるのでしょうが・・・

双方の言い分 なんとも困難な評定になります



鴎外さんは 母の影響というのはそうとうのものであったように思え

(漱石さんのほうは実親関係は縁が薄いし 養親との確執があったりしますが)

峰子さまが亡くなると アッサリと?公職から離れていて 母の期待 家系の期待の

重圧を感じてしまいます
(私の 勝手な感じです)



それと 意外だったのは 漱石さんの貧乏ぶり

鴎外さんも そうとう経済的には苦労があったようですが

漱石さんのほうが身につまされます
(奥さんのやりくりも壮絶な時期が長かったようで・・)

 

お二人とも 官吏時代があったのですが 軍関係 教育関係での高級なほうの官吏

といえども 代々の名家でもない限り あの時代も四苦八苦だったのでしょう か?


もっとも お二人とも ものすごい蔵書家 
書物代も 驚くほど 
だったのでしょうね


 

そういったことで ついつい お二人の共通点 異なる点をあれこれ想像しながら 

著作と関連本を読まさせていただくことになります

評論家さんたちの専門的分析は 別にして(その関係の本は 読んでいません)

一般のイメージとしては

文体などからしても 硬派 厳格派の 鴎外先生

「坊ちゃん」 と名づけられた小説の内容などからしても 鴎外先生と比較すると 

すくなくとも厳格派 とは呼べそうもない感じのする 漱石先生

ということなのでしょうが

私の思いは 逆です

 

お二人の愛読者として一介の素浪人たる私が挙げる その 根拠らしきものは

鴎外先生に関しては ドイツ留学時代の 例の 舞姫モデルの女性との顛末あたりのこと
(意外と 天衣無縫的?な性格面があるような?感じがするのです が・・・ )

漱石先生に関しては ブログで記したこともある ≪はずみ≫に表れる 

女性観というか人生モラル観 です

https://blog.goo.ne.jp/toku2184/d/20121117

 

 

 

というわけで 高名なお二人の書物を手にできることは

私にとって いろいろな角度からの楽しみの尽きないことです

 

 

 

さて 本日は マンション関係講座講師のお勤めの 二日目でした

前日の雪の残りが意外と多く ややノロノロ運転気味の朝の巷で

受け持ち開始時間に遅れたりはしないかな と 少しヒヤッとしたり

講座の場は鋭い質問があったり 

あらためて 重要な自分なりの学習課題に突き当たったり

意義深い 自身の学習の場でもありました

今回の 講師の次には あらたな マンション関係セミナー講師の予約が

待ち構えています

 

    (残念ながら こんなフサフサ髪とは とっくにオサラバですが

         ホワイトボードとともに奮闘する講師イメージ図です)

 

 

 

 

さて そろそろ 早めに寝床に行かせていただいて

古典落語 〔寝床〕でも聴こうかな・・

さすがに ほぼ立ったまま 喋りっぱなしの 一日5時間 二日連続は

咽喉が 少々 ボーッとしているような・・・

・・・そんなことを言ってはいられません

来週は 五日間 連続 

 

 

  http://toku4812.server-shared.com/ibarakihatakeyama.html

 

 




 


ご挨拶

2019-01-01 | ■ サマザマな おはなし

 

  

 

    皆さま

  本年も どうぞ よろしく お願い申し上げます

 

  

  

  快晴の 当地の元旦でした

  

  

  

 

  新しい年の 一日目も 日暮れ時になってしまいました

  

        

     茨城県笠間市旭町60番地8

             畠山 徳男

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