なぜか 漱石さんの本は それほど継続して読むことが
ありませんでした
単発的 でした
私の場合は 興味がある作家さんの場合は トコトンのめり
こむこと多いけれど
小遣いが少ないので
全集で一時に手に入れるというわけにはいきません
で
つぎつぎとたぐって読み続けるというパターン
鴎外さん 葛西善蔵さん 武田百合子さん 沢木耕太郎さん
尾崎放哉さん など ほとんど文庫本で 持っています が
(まだ 読めてないものもあります)
日本文学界の4番バッター?候補
漱石さんのは ほとんど持たなかったことに違和感がありませんでした
が この二 、三年 ムクムクと興味がわいてきました
なぜなのかは わかりません
要するに 私の思い違い 理解不足 読み手側のチカラ不足
ということだったのかと 思われます
読み手側のチカラ不足は 今でも続いていますが
イイナー と 最近になって 読み耽っています
今は 【明暗】
この歳になって はじめてピンとくるものがみつけられたの
かな?
晩熟もいいところだと 苦笑しています
中学時代に出会った 坊っちゃん のイメージが強すぎて
肌にあわないと思い込みすぎていた というあたりが
この歳になって読み続け始めることになった理由かな?
初対面における イメージでの判断能力
人生における重要なファクターとも言えますね
初対面での瞬間のイメージが ほとんど 決定的ポイント
になる
その一番いい例は 人生の伴侶選びの場面かな?
ある意味 恐ろしいことですよね
イメージでの判断
人を判断する基準からして
ほとんど 曖昧とも言える この イメージというヤッカイな
ものに頼るしかないような・・・
晩熟(それほど 熟してはいませんが)の私にとっては
いまだに 人を見る目を養いきれていません
想定外の行動に出られ あたふたとすることもしばしば
もっとも 相手の方も
予想ができない言動をする人だな
との目で 私を見ていることも多いかも?
というわけで
漱石さんの人物像 など
おおいに誤解していました
思い込み
不気味な言葉ですね
実際のところを確かめようともせずにいることの恐怖
真実から遠く離れたままでこの世を去るのは
とても無念なような気持ちです
すこしでも 本物に近いところで生活できたならなー
と
ときどき 考えます
もっとも この 本物というものの正体が
なかなか掴みきれないのですが・・・