いわゆる漢検事件
杜撰な管理体制が問題になっています
そこで 一番の被害者は と考えてしまいました
懸命に取り組んで 栄誉を勝ち得たはずの
受験者(多くの小学生も いたはず
もしかすると
幼稚園入園前の子さえ・・・)
この問題が発生したからと言って 直接には合格の栄誉に
評価ズレが起こることはないはず
しかし 頑張った子供たちの中には 敏感に問題意識を悟り
合格証書に何らかの違和感を覚えてしまう子も
いるような・・・?
そうであるとすれば 可愛そうの極み
あなたの実力で合格したのだから 余計なことを考えず
チカラを尽くした あなた自身を誇りなさい
と言葉をかけるのだが・・・
試験合格や各種講座終了を目指す動機もさまざまです
一様ではないのです
先日 私自身も とある講座終了証書をいただきました
が 率直に言って
素直には喜べない事情がありました
要点だけを述べますが
認定終了の基準が
実のところは 曖昧もいいところ のような・・・
一応の合格基準点設定はあるのですが いわゆる運用次第
という面もあるようで
権威の無いような認定講座になりつつあるというのです
試験結果如何で レポート提出などでの補強があれば
認定され 某組織の指導的任務を一応こなせることの証し
をとれる とのこと
なんのための修了認定試験なのだかわからない
第一 当の本人が困ることにならないのか
さまざまな講習で リードをとらねばならない場面に出くわす
ことも有り得ように・・・
第二に 認定講習受講者は 目的講座の権威を重んじるがゆえの参加 でもあるのです
誤解を恐れず率直に言うと
自分が講師になり得るのかどうかの判定材料を得たいが
ため学習し受験する
それを第一動機として
受講を決めたものも存在するのです
貴重なお金と時間を費やしてまでも 遠方に足を運び
私自身
生涯の目標たる ある資格試験を続けていますが(事情に
より 中断もありましたが)
その理由は大きく言って 二つあります
一つは
挑戦し続けることが 自分の人生と事業に有意義であると
考えるから(詳細省略)
二つ目は
受験結果を
自分の事業を続けるためのチカラがそもそもあるのかを
見きわめ 判定するための基準
としているから
です
この試験は 試験結果を受験者にランク付けで知らせてくれ
るのです(本来の意味は 受験者におのれの力を知らしめ
受験生活を続けるのか断念するのかの判定材料に
使わせるため?と 私は勝手に理解していますが・・・)
さいわい いまのところ 事業に必要な民事法関連の結果は
合格ラインなので 行政書士等を続けているのです
いずれ 決断を迫られる時期も来るでしょう
それが 3年後か 10年後か
もしかすると15年後も ナントカ大丈夫?なのか・・
とにもかくにも この私につきつけられる国家試験の点数が
判断基準なのです
それを客観的決定材料にして 決断するのみ
曖昧な士業知識で お客さんの貴重な財を頂くわけには
いきませんので
(レポート提出で補って得た認定結果では 自分自身
おそろしくて 士業など続けられません)
事業継続知識保持困難状態になったら
当然 潔く 引退します
いや
せねばなりません
ということで
“漢字の勉強を続けて 漢検に挑戦をしてね
余計な心配などしないで
判定に操作など加わっていることなどあり得ない
あの合格点は あなたの頑張りそのものの数字なのだから”
今度 会ったときも 励まそうと考えてはいます
可愛そうな 純粋な 被害者さんを
『マケナイデネ
ガンバッテ 漢字にも挑戦し続けてね』