成果主義を徹底するとしても
その成果とは? という問題が起き
なかなか難しいものがあります
報酬基準等のことです
私の所属する行政書士会をはじめ おおよその資格業の
報酬
今は 自由裁量(わかりやすい表現を使うとです)
‘例外もあるかもしれません’
とても とても 時間と労力を費やさざるを得なかった件も
許認可庁から最終的に下りる書面が サラッと3行くらいの
A4紙一枚ものだったりすると
『 先生 これだけ? ですか・・・』
という怪訝な表情
これ一枚が ン万円もの報酬を要するのですか?
という暗黙の?不満ありありということも
そこで これこれしかじかで と 説明
なるほど なるほどで 一件落着
依頼者の方にとっては 自己の出費に相対する結果が
眼にみえるような分厚い冊子モノの認可状とかだと
ありがたみ大というわけか な
(なんとなく 気持ちはわかります が・・)
というわけで
成果・結果・対価・報酬などの言葉を並べ
天を仰いで 何をか思わんという本日の午後のひととき
一枚ものの数行だけの類には なんとなく はかなさというか
不安というか 説明補足が要るな とか
やや複雑怪奇なこころもちになることあり
それと
どう考えても あの手続きがあれほどなのに
この手続きは どうしてこんなに安価な相場なのかな?
と思うこともあり
そんなとき
『あなたの仕事の進め方がオカシイノヨ
それほどの労力も時間も要らない件でしょう』
と お天とうさんに囁かれているようで
コソバユクなります
もっともっとチカラをつけなくては
それほど コソバユクならなくて すむように・・・
結局 私は 私の基準を尊重し
お客さんの得る あるいは獲得し得る成果をも鑑みて
私の労力に見合った報酬を頂く
という まったく 面白味の無い
しかし 妥当かな? 少々疑義は残るが
という心持に到達しました
(悩む必要が無いような 大いにあるような
そんな話題で お粗末さまでした
と
要するに 本日は やや暇かな?ということ らしい・・・)