記事(内容が乏しすぎる話で終始する講演者に対して 大仰な拍手喝采要請などすること)に関し
やや ノイズ発生かな?とも思えたので
少々 記します
個人的資質ともいうべきことへのいわれ無き攻撃とか
単に 根拠の無い理屈に基づく 好きか嫌いかの次元の問題とか
いわゆる派閥問題的な中傷だとか
つまるところ発言趣旨に対しではなく 個人攻撃 だとか
その他 諸々・・・
が想定されたようですが
そういう類に起因する記事でないことだけは理解されたい
チッポケで つまらない一介の素浪人士業者ですが
そこまで精神的に落ちぶれてはいないつもりです
人格とか 知的教養とか 人格形成とか その辺のことを
私自身が 他の存在を評するばあいの採点項目に採用できるほど権威を持つ者などでは もちろんありませんし
そのような権威者など 本来この世に存在しません
いや 存在を許してはいけません
純粋に その職責 なすべき義務 地位(立場)の勘案の
場面で その範囲での評価を受けることがあるにすぎません
(広義の公人であればその場面が一般的には多くなるやも)
一言で言うと 人を評価しているのではありません
その職責内容に対し その職責に基礎を置く発言・行動に
対し希望を表明しているだけにすぎません
そのあたりの 捉え方の印象が どうにも 地域性もあったりで
日本という国の各種機構に存在する
いわゆる部分社会論的な村的な捉え方に囚われた
権威主義的な組織のあり方を想起してしまい
なんとも 息苦しくなります
自由にものが言えなくなる そのあたりから 全ての組織の
前進の遅れが出始まる
これは この世の理
繰り返しになりますが
端的に 言えば
人を評しての記事ではなく 職責としての行為に関しての
希望・請願的な記事とでもいうべきもの
と どうぞ ご理解ください(お願いいたします)
それにしても どうして こんな発言が
“畠山さん ○○派ですか?”
アーア いやになるほどチッポケな
世俗的過ぎる価値観ゼロの問い
そんな質問をされること自体 自らの不徳の致すところ
ということなのかなー
私は 一介の素浪人 一匹自由人です
この世で いちばん嫌いで おぞましいもの
それは
根拠無き 抑圧的 世俗的 権威主義