九段で用事があり、時間があったため、靖国神社を参拝してきました。
一礼して大鳥居をくぐり、清めをして本殿へ・・・。
重厚で神秘的な空気に包まれた境内、まさに神々の存在を肌と心で感じ取ることのできる特別な空間です。
政治的な思惑やアジア諸国からの横やりなどが問題となりますが、やはりここは日本の土台・根幹となる何かが存在する空間だと思います。
桜の時期も良いのですが、紅葉色づく秋の靖国神社も渋さが加わり一段と魅力的です。
250万人の国のために命をささげた方々に深い感謝を捧げるとともに、これからの平和を祈念するには本当に良い時節でした。
日清戦争、日露戦争、そして太平洋戦争・・・坂の上の雲を目指した極東の小さな島国が、苦難の中で立ち上がり突き進む中で、最前線に立ち命を亡くされた人々、その中には台湾や朝鮮の人たちもそれぞれ二万人おられ英霊として祀られているとのことです。
弾の飛び交う最前線で「靖国に会おう」と最後の最後の力を振り絞り戦った人たち、そこには、やはり頭を下げ、今ある平和な日本への感謝の念を持たざるをえません。
二人の息子たちにも、東京裁判史観について、幼い頃からずっと話し続けています。
鹿児島県の知覧や広島県の旧海軍兵学校に連れて行き、国のために家族のために命を投げ出した若き日本人の姿を見せてきました。
息子たちの頭の中には、きわめてマスコミ的、教科書的理解・・・、何も考えず受験勉強的も機械的な理解です。
戦勝国は、日本を侵略国家として決めつけ、当時の軍部と政府がすべて悪い、アジア諸国は日本のために一方的な被害を被ったところを白人に助けてもらった、欧米列強は正義で悪者は日本・・・という決めつけ。
15世紀からの欧米列強は、アジア諸国を後進国とし、植民地化、奴隷化していったこと、それはまさに侵略戦争でした。
いっぽう、日本の大陸進出の中で、軍人や兵士が現地の人たちから略奪や強奪を目的として現地に赴いたのかというと、どうもそのようには思えません。
これは、英米、ロシア、ドイツ、オランダ、フランスといった欧米列強からの独立、自衛のための戦いではなかったのか?
日本が戦っていなければ、アジアやアフリカの国々の独立はずっと後のことになっていたでしょうし、アングロサクソンをはじめとする白人への無抵抗が続いていたと思います。
息子たちも少しは親父の考えを理解してくれたように思っています。
靖国神社の中には、インドのパール判事の記念碑があります。
極東軍事裁判の中で唯一、日本の軍事行動を自衛戦争とし、無罪の判断を出した裁判官です。
そもそも戦勝国が占領国に対して裁判を起こして裁くことが妥当なのか・・・パール判事の書かれた文章は100年後にも風雪に耐え人類史の中で評価されると考えています。
息子たちの世代には、アジアの人たちと共に仕事をしていく時代になっていると思います。
中国人、インド人、朝鮮人などの若人とともに切磋琢磨して、学び、働いていく。
過去の遺産を食いつぶしている日本と急成長を続けるアジア諸国、その接点には、アジアの若人が必ず鍵となるはずです。
秋の靖国神社の境内の中で、モノ思う午後でした・・・。
本当に、神々しく美しい本殿です。