カープ、ドラゴンズを3タテ。
ヨシヒロ、磯村、誠也の3本のホームランで、「逆転のカープ」を演出しました。
ヨシヒロ、磯村、誠也の3本のホームランで、「逆転のカープ」を演出しました。
大地くんは、次回の登板で頑張ってください!
故津田投手や大野投手のように、マウンドで躍動する君の姿が見たい!
ベースボールは勝負ごと。
勝ったり負けたり、悲喜こもごもです。
勝ったり負けたり、悲喜こもごもです。
仕事や人生だって、同じようなものだと思います。
だからこそ、
人々は、プロ野球やスポーツに自分の生きざまをオーバーラップさせながら、
選手のプレーにを見入るのだと思います。
カープファンで良かったと思うこと・・・。
それは、中國新聞のカープ番記者・故津田一男さんの名文をココロに刻んでいるということだと思います。
それは、中國新聞のカープ番記者・故津田一男さんの名文をココロに刻んでいるということだと思います。
中國新聞は、広島市を中心に発行されているブロック紙。
60万部の発行部数。
広島市民のほとんどが目を通している新聞です。
スポーツ面のメインは、何といってもカープ、カープ、カープ。
そのスポーツ面の天声人語的な存在が、「球炎」。
カープの試合のあった翌朝、山本修さんや五反田さんが辛口なコラムを書き綴ります。
・・・といっても、昨今は、とても甘口、スイートな切り口で、ちょっと残念・・・笑。
このカープコラム「球炎」の前身が、「球心」。
1975年のカープ初優勝に際して掲載された故津田一男さんの名文・・・カープファンの財産です。
津田さんは、カープ創成期からカープを取材し続けたカープ番記者。
その生涯をカープのために捧げたジャーナリストです。
「セリーグのお荷物球団」と蔑視されていた貧乏球団カープ。
そのカープが、巨人を破り、初優勝。
津田さんは、涙をぬぐいながら、後楽園球場のネット裏で、この名分を書いたという伝説が伝わっています。
カープがひどい負けかたをしたり、仕事が壁にぶつかった時、物事がうまくいかなくなった時・・・この文章を読みます。
カープファンでよかったと思う瞬間です。
この名文の途中・・・「広島の街は喜びの人々であふれていることだろう。よかった。本当によかった。」
ここで、必ず涙が出てきます・・・年は取りたくないものです(笑)。
球心 津田一男
真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた。
祝福の万歳が津波のように寄せては、返している。
苦節26年、開くことのなかったつぼみが、ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ。
カープは春の初め、はち切れそうなつぼみをつけても、開くことのない花であった。
花の咲かない雑草であった。
来る年も、来る年も・・・
原爆に打ちひしがれた広島の人びとの心のよりどころに、と結成されたカープ。
カープは原爆の野に息吹いたペンペン草、踏みにじられ、見捨てられても、屈することのない雑草であった。
それ故にカープファンは、いつの日か花開くことを夢見て、愛し続けてきたに違いない。
海の向こうからやってきたルーツおじさんは、この雑草を一年間じっくり観察した。
そして、二年目、「咲かせてみせましょう」と乗り出し、入念な手入れをすませると、さっさと帰っていった。
つぼみは日ごとに赤みを増し、生き生きと膨らんでいった。
水枯れの夏にも屈せず、台風の秋にも折れず・・・十月十五日、つぼみはついに真っ赤な花を咲かせた。
なんと長い、待ちに待ったその瞬間であったことか。
宙に浮く古葉の姿が涙にかすむ。
古葉もまた泣いていることだろう。
浩二はお立ち台で、コブシで涙をぬぐっている。
そして外木場が、大下が、三村が・・・
みんな抱き合って・・・
広島の街は喜びの人々であふれていることだろう。
よかった。
本当によかった。
そして、この喜びを、今は亡きカープを愛した人々に告げ、喜びをともにしたい。
カープを、いまわの際まで愛し続けたみなさん、見ましたか、カープのきょうのこの快挙を。
この一年、不撓不屈、明るく勇ましく、一丸となって戦ってきたカープの集約された姿がそこにありました。
強運の大下がたたいた、あの先制点。
この1点、守り切るぞーとまなじりを決して投げた外木場。
あとは任せておけーと不死身の金城。
そして最後にはホプキンスの3ランがついに、
祝福の万歳が津波のように寄せては、返している。
苦節26年、開くことのなかったつぼみが、ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ。
カープは春の初め、はち切れそうなつぼみをつけても、開くことのない花であった。
花の咲かない雑草であった。
来る年も、来る年も・・・
原爆に打ちひしがれた広島の人びとの心のよりどころに、と結成されたカープ。
カープは原爆の野に息吹いたペンペン草、踏みにじられ、見捨てられても、屈することのない雑草であった。
それ故にカープファンは、いつの日か花開くことを夢見て、愛し続けてきたに違いない。
海の向こうからやってきたルーツおじさんは、この雑草を一年間じっくり観察した。
そして、二年目、「咲かせてみせましょう」と乗り出し、入念な手入れをすませると、さっさと帰っていった。
つぼみは日ごとに赤みを増し、生き生きと膨らんでいった。
水枯れの夏にも屈せず、台風の秋にも折れず・・・十月十五日、つぼみはついに真っ赤な花を咲かせた。
なんと長い、待ちに待ったその瞬間であったことか。
宙に浮く古葉の姿が涙にかすむ。
古葉もまた泣いていることだろう。
浩二はお立ち台で、コブシで涙をぬぐっている。
そして外木場が、大下が、三村が・・・
みんな抱き合って・・・
広島の街は喜びの人々であふれていることだろう。
よかった。
本当によかった。
そして、この喜びを、今は亡きカープを愛した人々に告げ、喜びをともにしたい。
カープを、いまわの際まで愛し続けたみなさん、見ましたか、カープのきょうのこの快挙を。
この一年、不撓不屈、明るく勇ましく、一丸となって戦ってきたカープの集約された姿がそこにありました。
強運の大下がたたいた、あの先制点。
この1点、守り切るぞーとまなじりを決して投げた外木場。
あとは任せておけーと不死身の金城。
そして最後にはホプキンスの3ランがついに、
ついに、「V1」へのさん然と輝く栄光の橋を手ごたえも確かにかけた。
あの虹の橋を何度夢見たことか。
その虹の橋が、いまはゆるぎない鉄の橋となり、その上で赤い帽子のナインが、涙の笑顔で手を振っている。
幾万ものファンがその下で万歳を繰り返している。
真っ赤な花、炎と燃える真っ赤な花がそれである。
あの虹の橋を何度夢見たことか。
その虹の橋が、いまはゆるぎない鉄の橋となり、その上で赤い帽子のナインが、涙の笑顔で手を振っている。
幾万ものファンがその下で万歳を繰り返している。
真っ赤な花、炎と燃える真っ赤な花がそれである。
昭和50年10月16日 中國新聞朝刊