挑戦の気概

2018年10月19日 14時18分16秒 | 社会・文化・政治・経済
現状が<どうであるいか>という分析はあっても自ら<どうするか>という挑戦の気概はなかった。
「困難といえば、すべてが困難であり、不可能いえば、いっさいが不可能である。それを突き抜けるような炎のような覇気と闘争によってのみ開拓はなされる」
「自分から行動を起こした分だけ、目標に近づける」

誰かに共感を持つと

2018年10月19日 10時48分04秒 | 社会・文化・政治・経済
「世界を変えたいと思いなら。あなた自身がその変化になりなさい」
ガンジー

「自分自身が平和であることは、平和を成し遂げるための基礎です」
ベトナム出身の僧で平和活動家のティク・ナット・ハン

私たちは、他人の感情を自分のものとして捉える「共感力」を持っています。
誰かに共感を持つと、絆が強まり、恐怖が薄れます。
「国境なきミュージシャン」創設者・所長のローラー・ハスラーさん

音楽が開く平和の道

2018年10月19日 10時17分30秒 | 社会・文化・政治・経済
国境なきミュージシャン

楽で人をつなぐ――国境を越えるミュージシャンたちの平和活動
増田穂 / シノドス編集部

シノドス国際社会動向研究所(シノドス・ラボ)がお届けするシリーズ「世界の市民活動」では、NPOやNGOなど、世界各地の特徴ある市民活動団体をご紹介していきます。各国社会が抱える課題に、それぞれがどうアプローチしているのか。今後の日本の市民活動に活かせるヒントを読み取っていただけますと幸いです。

音楽の力で、紛争の爪痕が残る社会を癒そうとする団体がある。オランダアムステルダムに本部を置く、Musicians without Borders(国境なきミュージシャン、以下MwB)だ(注1)。MwBでは、紛争後社会での和解やトラウマの治療のため、さまざまなミュージック・プログラムを実施している。今回はそんなMwBのアプローチに注目してみたい。

(注1)日本東京にある「国境なき楽団(Musicians without Borders)」とは別団体である。

音楽が持つ「共感」の力

みなさんは、誰かと共に音楽を奏で、友情を深めた経験があるだろうか。音楽には、不思議な力がある。何かの曲を聴いて、心が安らいだり、励まされたりしたことがある人も多いのではないだろうか。誰かと共に演奏をするときには、何だか心が一つになったような気さえする。音楽には、人を癒し、人と人とをつなぐ力があるのだ――。

MwBの設立者ローラ・ハスラー氏は、彼女自身がミュージシャンだ。子供のころから楽器を演奏し、聖歌隊などに所属していたという彼女は、こうした音楽の癒しの力や人と人とをつなげる力を経験的に学んでいったそうだ。「音楽には人と人とをつなぎ、共感を生み出す力ある」とハスラー氏は語る(注2)。この、人と人とをつなげる力、そしてそこから生まれる共感こそが、戦争により分断された社会を和解へと導く鍵なのである。

(注2)https://www.youtube.com/watch?v=xO2tArT0tdE、https://www.youtube.com/watch?v=I0txNR2OpW4&t=631s

音楽の人々をつなぐ力は、これまでにも市民活動のさまざまな場面で重要な役割を果たしてきた。アメリカ公民権運動やベトナム戦争反対運動では、デモの参加者たちは歌を歌い、自らを鼓舞し、仲間との結束を高めた。MwBの本部があるオランダでも、音楽活動を通じて移民や難民たちがオランダ人たちと友情を育んでいるという。

両親も社会活動家だったというハスラー氏が、こうした音楽の力に着目し、戦後社会の復興に活かそうと考えたのは、恐らく自然な流れだったのだろう。1999年、彼女はこうした社会問題に関心のあるミュージシャンたちを集め、MwBを立ち上げたのである。

最初のプロジェクトは、戦争の爪痕が深く残るボスニアで行われた。ボスニアでは1992年から1995年にかけて民族紛争が起こり、多くの虐殺やレイプなどの戦争犯罪が行われた。MwBの最初のプロジェクトは、この戦争で配偶者を失った未亡人や、トラウマを抱えた女性たちを対象に開始されたのである。楽器演奏やコーラス、ダンスなどのワークショップに参加した女性たちからは、「他の人たちとつながっていると安心する」「音楽をしているときは、辛いことを考えずにすむ」といった声が聞かれている(注3)。

(注3)https://www.musicianswithoutborders.org/programs/past-programs/from-woman-to-woman/overview/

ボスニアでの主な活動は2014年に終了しているが、こうしたMwBのプロジェクトは現在、本部のあるオランダをはじめ、コソボ、北アイルランド、ルワンダ、ウガンダ、パレスチナなどで実施され、ワークショップの開催や、プロジェクト運営のできるコミュニティ・リーダーの育成に力を入れている。

Photo Credit: Musicians without Borders
Photo Credit: Musicians without Borders
Photo Credit: Musicians without Borders
Photo Credit: Musicians without Borders
コミュニティ・リーダーの育成は重要だ。紛争後の社会というのは、非常に脆弱で繊細な状態にある。人々は消えぬ恐怖や癒えぬトラウマを抱えながら生活している上、内戦状態にあった地域などでは、その対立の火種が変わらず燻っていることもある。そうした状況への介入は、いくら平和や社会貢献のためとはいえ、細心の注意を払わなければならない。そこでMwBでは、そうした状況下で効果的にプロジェクトが運営できるよう、技術や心得を教育するプログラムを実施しているのである。

同時に、MwBでは、現地入りする前に実地調査をし、現地団体と協力することで、正確な情勢や支援のニーズを把握するようにしているという。また、現地で活動する際には、公私ともに政治的な偏見を持った対応を取らないよう、注意を払っている。こうした心得を身に着けたコミュニティ・リーダーたちを中心に、MwBではミュージックワークショップや、音楽療法などを行っているのである。

MwBではこれまで、先述のボスニアの女性たちをはじめ、ルワンダの難民キャンプの子供たちや、エイズ陽性診断を受けた子供たち、イスラエルの孤児や障害を抱えた子供たちなどを対象に、プロジェクトを運営してきている。

和解に必要なのは「強制しない」こと

MwBのアプローチで興味深いのは、彼らは自らを平和活動団体としながらも、実際の活動ではそうしたイデオロギーを出さず、音楽を通したアクティビティやコミュニティ・リーダーの育成に特化している点である。MwBスタッフのハスラー=フォレスト氏が言うには、「(和解のために音楽の力を利用するが)和解のためにやるとは言わない。ただ音楽をする。そうすると自然に音楽が人々を和解に導く」という。(注4)

(注4)https://www.youtube.com/watch?v=AK9OB_x77-8

戦後の和解のために、対話を重視し、民族を越えたダイアローグセッションなどを開催する団体は多い。しかし対話を基本として行う民族間の和解のための活動では、参加者は民族の違いやその対立ついて考え直すことになる。民族対立を忘れることはできないのだ。だからこそ、MwBではあえて民族の違いやその和解は取り上げない。ただ音楽をし、音楽の力で両者をつなごうとするのである。その最たる例が、コソボ北部の町ミトロビッツァで開催されているロックスクールだろう。

ボスニアと同じく旧ユーゴスラビアの一部だったコソボは、ユーゴスラビア紛争の中でセルビアからの独立を求め内戦状態に落ち至った。戦後コソボは独立したが(注5)、セルビア系住民とアルバニア系住民の間では未だに互いへの反感感情が強い。ミトロビッツァはそうしたコソボにおける民族対立の最前線ともいえる場所だ。町の北部にあるイバル川をはさみ、北はセルビア系住民、南はアルバニア系住民に分断され、川は橋でつながれているものの、両者を行きかう人はほとんどいない。

(注5)コソボを国家と認めず、いまだにセルビアの自治州とする国もある。

セルビア系、アルバニア系、それぞれの住民、特に子供や若者は、自分たちと同じ町に住むもうひとつの民族の人に出会う機会はほとんどなく、親世代の間で戦時中に築かれた相手への偏見や反感をそのまま受け継いでしまっていることも多い。橋の近辺は未だに危険と認識されていて、和解のための対話をしようと集まることすら難しい。

そこでMwBでは現地の地域づくり団体と協力して、川の両側からロックやポップミュージックを学びたい若者を集め、治安の安定した隣国マケドニアの首都スコピエでミュージックスクールを開催するというサマートリップを実施した。サマースクールでは、民族対立のことなどには一切触れない。プログラムは、純粋にロックミュージックのレッスン、そしてバンド間の交流会として行われる。純粋にロックが好きで、学びたいと思う若者が集い、スタッフは彼らに音楽を教えるのである。

いくら同じ時間を過ごすとはいえ、根深い対立心をもった2つのコミュニティで育った若者が、そう簡単に和解へと近づくものなのだろうか。サマースクールの参加者の中には、ナショナリズム的な姿勢を強く示す者もいるのである。中には当初、自分と同じ民族以外の者との会話は、例えそれがオランダからのスタッフであっても拒む者もいたという。そんな状態で、たった数日、レッスンの時間を共有するくらいで、歩み寄れるものなのだろうか。

それが、可能なのである。スタッフとの会話さえ拒んだというセルビア人の青年ギタリストは、同じくギタリストで才能に恵まれたアルバニア人の青年に関心を抱くようになり、次第に互いに会話をするようになったのである。以来、彼らは親しい友人として付き合いが続いている。このように、両者はお互いを認めるようになり、中には民族混合でのバンドを結成する者もいるという。

先述の通り、ミトロビッツァではセルビア系住民とアルバニア系住民の間での交流はほとんどない。こうした状況では、偏見や誤解を解く機会もない。ロックサマースクールはミトロビッツァの若者たちにとって、そうした状況を脱する数少ない機会なのである。こうしたサマースクールの経験を受けて、MwBでは地域団体と協力して、ミトロビッツァの町の両岸にロックスクールを開校し、毎年共同でのサマースクールを実施しているほか、定期的に交流会や、スカイプやフェイスブック、Youtubeなどを通じて両校の交流をしている。

Photo Credit: Musicians without Borders
Photo Credit: Musicians without Borders

このように、紛争後社会におけるMwBの活動において、和解が特別なイシューとして全面に出されることはない。筆者は「和解」や「多民族共生」を目的としたイベントに、ナショナリズム的思考をもった親が子供を参加させることをよしとするのか、当初疑問だったのだが、こうした和解を表に出さない姿勢が、純粋に音楽を学びたい子供たちやそれを支援したい親たちの間での支持につながっているようだ。

MwBのスタッフは筆者の質問にこう答えている。「ロックスクールはミトロビッツァでの現実的な必要性に基づいて設立されました。ミトロビッツァには、ロックやポップミュージックを学びたい若者たちが練習する場がなかったのです。(中略)ミトロビッツァは子育てをするのには厳しい場所です。多くの親御さんは、子供たちが街中でたむろするような状況を好みません。しっかりと監督者がいて、安全に子供たちが楽しめる活動があるならば、それに越したことはないのです。」(注6)

(注6)MwBへのインタビューより

つまり、純粋に音楽的ニーズに応えるために運営されることで、そのニーズを持った人たちが自然に集まってくるのだ。サマースクールを運営するハスラー=フォレスト氏はTEDでの講演でこう述べている。「和解のために必要なのは、それを強制しないことです。私たちが行うのは、音楽を通して両者が出会う「場」を作ることです。それさえできれば、若者たちは、それぞれの音楽のテイストやスタイル、技術や人間性などに自然に興味を持つようになるのです。」(注7)

(注7) https://www.youtube.com/watch?v=AK9OB_x77-8

これが、音楽を通じた平和活動の強みだろう。確かに、「民族間の和解」と銘打った活動を行っている団体は数多くある。異なる民族のバックグラウンドを持つ人々に対話をしてもらい、歩み寄りを促すそうとするプロジェクトも多い。しかし、そうした企画の中では、絶えず「民族」というテーマを取り上げられることで、反対に「民族」を意識せざる負えなくなる。

対話により互いの間にある認識のずれや誤解を解いていくことも、紛争後の和解の上で不可欠なプロセスだが、ロックスクールでの経験のように、そうした「民族問題」という枠組みから離れる時間を作ることも、多民族共生の上では欠かすことができないのではないだろうか。

最近は、コソボや戦後社会に限らず、政治的イデオロギーや宗教の違いなど、さまざまな理由で社会の分断が懸念されている。テロや紛争で心身共に傷を負った人も増加の一途をたどっている。音楽がナショナリストの扇動に使われたこともあり、その効果は必ずしもよいことばかりであるとは言えないが、音楽に悲しみを癒し、人と人とをつなぐ力が備わっていることは間違いないだろう。殺伐とした日常から、日ごろの苦しみやイデオロギーを忘れ人々を共感へと導く音楽の力が、今こそ必要なのかもしれない。

親が死んでも舞台に立つ人も

2018年10月19日 08時56分26秒 | 沼田利根の言いたい放題
9000人の予定が7000人で不満。
常識人間、我々のような大衆レベルでは、
史上最悪の傲慢人間の系列のお一人に映ずるのでは?
ドタキャン男-ジュリー・沢田さんのことです。
「意地プライド?!信念」
70歳の人間の不完全さに呆れるばかり!
なにをほざくのですかね!
過去には、茨城水戸でもドタキャンでした。
「話にならない、話」-創作のテーマを模索しているのですが・・・・

10月18日(木)のつぶやき

2018年10月19日 03時14分01秒 | 医科・歯科・介護

「袴田事件」 再審「不開始」

2018年10月19日 02時01分05秒 | 社会・文化・政治・経済
週刊文春 2018年7月5日号

「袴田事件」で死刑が確定し、2014年の静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌氏(82)。東京高裁(大島隆明裁判長)が6月11日に地裁決定を取り消したことに対し、袴田氏の弁護団は18日、“逆転判断”を不服として特別抗告した。4年前に48年ぶりの「死刑囚の釈放」という異例の経過をたどった裁判の審理は、最高裁に移ることになった。

1966年6月、静岡県清水市(当時)で、みそ製造会社の専務一家4人が殺害された。同社の従業員だった袴田氏が逮捕、起訴され、公判で一貫して無罪を主張したが、80年に最高裁で死刑が確定。
袴田氏がその後行った第一次再審請求は認められず、続く第二次再審請求で静岡地裁が再審開始を認めた。それに対し静岡地検は東京高裁に即時抗告していた。

司法記者が解説する。

「東京高裁では、静岡地裁が再審開始決定の最大の根拠としたDNA型鑑定の信用性が争われました。高裁は、この鑑定が研究者の間で十分に認められた手法ではなく、再検証する必要が生じた場合の鑑定データも残っていないとして信用できないと結論付け、地裁判断を覆したのです」

 高裁は袴田氏の再審開始は認めない一方で、地裁が出した「死刑と拘置の執行停止」(釈放)は維持した。これにより、拘置権限のある検察は再収監を見送り、袴田氏は「死刑囚」でありながら囚われていないという異例の状態が続くことになった。高裁は高齢であることなどに配慮して釈放を維持したものの、今後、再審「不開始」が確定した場合は釈放を維持できないとの見解も示した。

 袴田氏の現状は「日々外出してよく歩いており、元気な様子です。ただ、『自分はローマ法王だ』と言い、自分の年齢を『23歳』と認識しており、精神的には半世紀もの収容による拘禁症状とみられる影響が窺えます」(同前)という。

 最高裁は一般に法律審といわれ、原則として、憲法違反や判例違反がない限り、高裁判断を支持することが多い。ある法曹関係者は「最近の傾向だと、最高裁は2年前後で結論を出すのではないか」とみる。

 仮に最高裁が高裁判断を支持した場合、袴田氏の再収監が現実味を帯びる。

袴田事件とは【最長収監死刑囚としてギネス記録】
袴田事件とは、1966年に静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件、およびその裁判で死刑が確定していた袴田 巖(はかまだ いわお、1936年3月10日 - )元死刑囚が冤罪を訴え、2014年3月27日に死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審が決定(未確定)された事件。 更新日: 2018年09月09日

袴田さんへの取調べは過酷をきわめ、炎天下で平均12時間、最長17時間にも及んだ。

さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせた。

睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、
その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して一切の安眠もさせなかった。

そして勾留期限がせまってくると取調べはさらに過酷をきわめ、
朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、
袴田は勾留期限3日前に自供した。

袴田事件:被害者長女が死去
毎日新聞 2014年03月29日 11時24分
 1966年に静岡市(旧静岡県清水市)でみそ製造会社の専務一家4人が強殺された「袴田事件」で、専務の長女、橋本昌子さん(67)が28日、静岡市の自宅で死亡しているのが見つかった。静岡県警や関係者への取材で分かった。
 1人暮らしの橋本さんが自宅の電話に出ないため、親族が28日午後6時ごろ訪ねて異変に気づき、死亡が確認された。県警清水署によると、事件性はないとみられ、病死などの可能性があるとみて調べている。
 同事件は66年6月30日未明、「こがね味噌」専務だった橋本藤雄さん(当時42歳)宅が全焼し、焼け跡から藤雄さんと妻(同39歳)、長男(同14歳)、次女(同17歳)が他殺体で見つかった。当時19歳だった昌子さんは別棟で寝ていて無事だった。静岡地裁は今月27日、死刑が確定していた元プロボクサー、袴田巌元被告(78)の再審開始を決定し、元被告は釈放されている。
 昌子さんは同20日の毎日新聞の取材に「裁判はもう終わった。話すことはありません」と話していた。【荒木涼子】

冤罪の向こうには、真犯人がいる

2018年10月19日 01時36分58秒 | 沼田利根の言いたい放題
つまり、逃げ得ですね。
では、犯人を作り出す、真意は?
社会秩序を維持するためでは・・・・これは仮説ですがね。
「誰かに犯人になってもらわない」と困ってしまう。
次の捜査も待っていますしね。
あるいは、警察・検察の威信のためとも、解釈できませんか?

冤罪と裁判

2018年10月19日 01時22分26秒 | 社会・文化・政治・経済
今村 核著
NHKのブレイブというドキュメンタリーで今村弁護士の特集をやっていたことから興味をもち購入。
司法についての知識は皆無でしたがそれでも十分読み進めることができました。
日本においては裁判になった場合、9割が有罪判決となるという事と
警察は真実を暴く機関ではないということを知れただけでも
この本を買った価値はありました。
冤罪は、作れる!
感動の一冊。
これが小説ではなく実際に今、日本で起きている事実。
とても恐いことだと思うし、無関心ではいられないこと。
でも、この事実に向き合っている弁護士は少ない。いや、極小。
なぜなら時間も掛かるし報酬はない。
それを「正義」の力で動く今村弁護士には感動する。
法律や裁判に興味がなくとも、法律を志す人は特に一読をお薦めします。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています冤罪について知りたくて購入しました。非常に勉強になりました。

<概要>
本書では冤罪について解説されています。第1部では、これまでの裁判で「冤罪はどのように作られてきたのか」について書いてあります。
第2部では、2009年から始まった裁判員制度の下で「冤罪を減らすことはできるか」について書いてあります。

<勉強になった点>
・警察が作る冤罪
警察は、人権を無視した取り調べを行うことがあります。
たとえば、「腰痛の被疑者にきつい姿勢を強要する」(p37)、「踏み字を迫る」(p52)、「病気の薬を飲ませない」(p92)などを行っています。
腰痛の方は、その後「寝たきり」(p46)になりました。

このように、警察は時には人権を無視した取り調べを行って、被疑者を自白させようとします。
しかし、被疑者が冤罪の場合には、そもそも罪を犯していないので、詳しい自白ができません。
そこで、警察は誘導尋問のようなことを行って、虚偽の供述調書を作ります。
たとえば、2階建ての建物が放火された事件では、「どこに火をつけた?」「1階です」「違う」「じゃあ2階です」「どうやって火をつけた?」「タバコです」「タバコじゃ火はつかない。
タバコを吸うときには何を使う?」「ライターです」といった感じのやりとりを行って、「建物の2階にライターで火をつけた」という虚偽の供述調書を作ります。
このようなやりとりは、被疑者が警察の用意する正解にたどり着くまで、延々と続きます。
そして、この虚偽の供述調書が、裁判では重要な証拠として扱われます。

また、警察は証拠をねつ造することもあります。
たとえば、「被疑者の衣服に被害者の血を垂らす」(p142)、「被疑者の毛髪を被害者の体につける」(p145)、「尿やDNAをすり替える」(p149、p158)などを行っています。さらに、警察は事件そのものをでっちあげることもあります。たとえば、「警察が自ら警察署を爆破して、それを共産党員の犯行に見せかける」(p102)、「ホームレスの衣服に覚せい剤を入れる」(p103)などを行っています。以上の内容をまとめると、警察は人権を無視した取り調べ、証拠のねつ造、事件のでっちあげを行って、冤罪を作り出しています。

・検察が作る冤罪
検察は被告人に対して、事件の証拠を全て開示する義務がありません。そのため、検察は自分に有利な証拠のみを開示し、被告人に有利な証拠は隠そうとします。
「冤罪事件では、必ずと言ってよいほど、検察は被告人に有利な証拠を隠しており、それが開示されたことが、無罪判決に至る大きな要因になった」(p279)と書いてあります。

・裁判官が作る冤罪
最高裁判所事務総局は、1960年代末から、護憲を訴える法律家団体である青年法律家協会(青協法)に所属する裁判官に対して、露骨な人事差別を行いました。
その結果、人権意識が高く、推定無罪の原則を貫く裁判官は出世コースから外されました。
また、裁判官は事件の処理数が人事評価に影響します。そのため、裁判官は時間のかかる無罪判決を出すのに消極的になります。
つまり、青協法弾圧や人事評価の影響で、裁判官は事件を淡々と処理するようになり、それが冤罪を生み出す要因になっています。

あと、裁判官の中には、「可能性」(p215)で判決を出す方がいます。
たとえば、女性が電車内で痴漢された事件では、犯行当時、被告人は長文メールを作成して送信していました。
常識的に考えれば、痴漢をしながら長文メールを作成して送信するのは難しいです。しかし、裁判官は「長文メールは事前に用意し、痴漢後に送信した可能性がある」として、有罪判決を出しました。冤罪事件では、このような可能性による有罪推定が多く見られると書いてあります。

・他の冤罪の要因
他の冤罪の要因としては、「誤った目撃証言」(p96)があります。
アメリカには、「イノセンス・プロジェクト」というNPOがあります。
このNPOは、DNA鑑定によって冤罪を証明する活動を行っており、1990年代半ばから現在までに、約300件の冤罪を証明しました。
そして、そのうちの約8割が、誤った目撃証言が誤判の要因の一つになっていました。

・冤罪を減らす方法
警察に関しては、「取り調べの全面可視化」(p273)、「証拠を全て検察に送付すること」(p278)、検察に関しては、「証拠を全て被告人に開示すること」(p279)などが書いてあります。

ちなみに、裁判員制度の導入により、いくつかの事件では市民の常識が反映されて、可能性による有罪推定が是正されたそうです。
しかし、裁判員制度では、裁判員の負担を減らすために、審議日程の短縮や証拠の厳選が行われています。そのため、裁判員は短い時間と少ない証拠で審理をしなければなりません。そのため、裁判員制度にも問題があると書いてあります。

<感想>
警察はなぜこんなに無茶なことをするんだろうと疑問に思いました。
本書を読んでいると、警察によって人生を狂わされた方がたくさん出てきます。
警察はなぜそこまでするのか、その言い分を聞いてみたくなりました。

<目次>
はじめに
第1部 冤罪はこうして生まれる―冤罪の事件簿
第1章 虚偽自白
第2章 目撃者の証言
第3章 偽証
第4章 物証と科学鑑定
第5章 情況証拠

第2部 裁判員制度で冤罪を減らせるか
第6章 日本の刑事裁判の特色
第7章 裁判員制度の導入で、日本の刑事裁判の特色は変わりつつあるか
第8章 判決文を通して、裁判員裁判の特色を読み解く
第9章 冤罪・誤判防止のために、裁判員制度はどう変わるべきか

絶望の裁判所

2018年10月19日 01時05分24秒 | 社会・文化・政治・経済
(講談社現代新書)
瀬木 比呂志 (著)

内容紹介
裁判所、裁判官という言葉から、あなたは、どんなイメージを思い浮かべられるのだろうか?
ごく普通の一般市民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、杓子定規で融通はきかないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにはこだわらない人々を考え、また、そのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、やや市民感覚とずれるところはあるにしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?
しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、そのようなものではない。
前記のような国民、市民の期待に大筋応えられる裁判官は、今日ではむしろ少数派、マイノリティーとなっており、また、その割合も、少しずつ減少しつつあるからだ。
そして、そのような少数派、良識派の裁判官が裁判所組織の上層部に昇ってイニシアティヴを発揮する可能性も、ほとんど全くない。近年、最高裁幹部による、裁判官の思想統制「支配、統制」が徹底し、リベラルな良識派まで排除されつつある。
33年間裁判官を務め、学者としても著名な著者が、知られざる裁判所腐敗の実態を告発する。
情実人事に権力闘争、思想統制、セクハラ……、もはや裁判所に正義を求めても、得られるものは「絶望」だけだ。

冤罪はこうして作られる

2018年10月19日 01時02分14秒 | 社会・文化・政治・経済
小田中 聰樹 (著)
内容紹介
無実の者が、ある日突然に「犯人」にされる。
警察はなぜ「犯人」を作り出すのか。裁判官はなぜウソを見抜けないのか。
見込み捜査、別件逮捕、代用監獄から、裁判官への統制、弁護人の無力化まで、今も冤罪を生み続けている日本の刑事司法の構造的欠陥をえぐる。(講談社現代新書)

内容
無実の者が、ある日突然に「犯人」にされる。
警察はなぜ「犯人」を作り出すのか。
裁判官はなぜウソを見抜けないのか。
今も冤罪を生み続けている日本の刑事司法の構造的欠陥をえぐる。

冤罪の構図

2018年10月19日 00時57分05秒 | 社会・文化・政治・経済
江川 紹子 (著)

内容
警察、検察、裁判官が自らの能力を過信し、傲慢になったとき、冤罪事件は簡単に起こる。
曖昧な目撃証言のみによる逮捕、それに続く自白の強要。
例え目撃者が証言を撤回したくても警察はそれを認めないという、信じられないような実例を、次々と紹介し検証する。
「自白をすれば証拠をみせる」「(警察の)暴行の事実はなかったと信じている」。
警察や裁判官の言葉から、捜査機関とは名ばかりの怠慢な姿勢と、麻痺した人権感覚が浮き彫りにされる。
ジャーナリスト江川紹子の原点ともいえるルポ・ドキュメンタリー。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
江川/紹子
1958年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒。
神奈川新聞社記者を経て、フリージャーナリスト。95年、一連のオウム真理教報道で菊池寛賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)