人生の勝負は最後の5年間?!

2018年10月22日 16時16分11秒 | 社会・文化・政治・経済
一つの心が数千もの心に火を放つ-トルストイ

人生の勝負は最後の5年間?!

いい人生は、最期の5年で決まる
樋野 興夫 (著)

内容紹介
変えられないことは 悩んでも仕方がない

■がん患者3000人と対話してわかった 後悔しない最後の迎え方

メスも薬も使わずに言葉の処方箋だけで生きる希望を与えてきた「がん哲学外来」。
創始者である著者が、3000人のがん患者を診る中で、気づいた、死が怖くなくなる生き方とはなにか――?

著者は、いい人生だったかどうかは、最後の5年間で決まるといいます。
しかし、誰にとっても「最後の5年」はいつ訪れるかわからないもの。
ならば、今日がその一日として生きるしかない。

「なぜ病気になったのか」と、くよくよ悩むくらいなら、スパっと煙草や悪い習慣をやめる。

「あれをやっておけばよかった」と後悔するくらいなら、今日から始めてみる。

死を意識すると、とたんに「今」が輝き始めます。
がん哲学外来という、もっとも「死」「病」に近いところに従事する者が投げかける、メッセージ。
出版社からのコメント
いつ訪れるかわからない、最後の5年のため--
メスも薬も使わずに言葉の処方箋だけで生きる希望を与えてきた「がん哲学外来」。
創始者である樋野先生が、数多くのがん患者を診る中で、気づいた、死が怖くなくなる生き方とはなにか――?

薬ではなく、言葉の処方箋でがん患者3000人をいやしてきた、日本で唯一のがん哲学外来の創始者である著者。いい人生だったかどうかは、最後の5年間で決まるといいます。

しかし、誰にとっても「最後の5年」はいつ訪れるかわからないといいます。
ならば、今日がその一日として生きるしかない。



「これが病気の原因かも」とくよくよ思い悩むくらいなら
スパっと煙草や悪い習慣をやめる。

「あれをやっておけばよかった」と後悔するくらいなら
今日から始めてみる。

死を意識すると、とたんに「今」が輝き始めます。
そんなメッセージを、がん哲学外来というもっとも「死」「病」と近いところに
従事する著者が投げかける1冊です。







諦めない力

2018年10月22日 14時44分22秒 | 社会・文化・政治・経済
フィギュアスケートから教えられたこと
佐藤 信夫 (著)

人気スポーツとなったフィギュアスケートの名コーチ・佐藤信夫さん。
選手時代の自身を「誰よりも不器用」と語る。
人が10数分でできることにも数日かかった。
浅田真央、小塚崇彦、安藤美姫、村主章枝、佐藤有香らトップ選手を育ててきた名伯楽・佐藤信夫。
コーチ生活50年となる著者が、自身の65年にわたるスケート人生を振り返り、さまざまな出会いから導かれた教えを伝え残します。
あまたの正念場での決断、粘り……初めて明かされる秘蔵エピソードが満載です。
著者略歴
佐藤/信夫
1942年1月3日生まれ。1960年スコーバレー五輪、1964年インスブルック五輪の男子シングル日本代表。1965年世界選手権4位。全日本選手権を1957年から1966年まで10年連続で優勝。コーチとしては佐野稔、松村充、佐藤有香、村主章枝、安藤美姫、中野友加里、小塚崇彦、浅田真央らを指導。2010年に世界フィギュアスケート殿堂入りKOS´E新横浜スケートセンターを拠点に指導をしている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
日本フィギュアスケーティングインストラクター協会会長 佐藤 信夫
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人生の勝利には、本人の努力は欠かせない。
ただ、悩んだ時や壁にぶつかった時、自分の勝利を信じ、励ましてくれる存在がどほど大きな力になつことか。
人材育成とは、相手を信じ抜く挑戦である。


相対的貧困 は「自己責任」なのか?

2018年10月22日 14時36分00秒 | 社会・文化・政治・経済
相対的貧困率とは何か:6人に1人が貧困ラインを下回る日本の現状
単身世帯で年収122万円
二人世帯で170万円
三世帯で211万円
四世帯で245円
それらに満たなければ、相対的な貧困状態。
日本の相対的貧困率は、15・6%に達し、これはOECD(経済協力開発機構)加盟34か国中、6番目に高い。
では貧しさは「自己責任」であるのか?
貧困の責めを個人にのみ負わせることは誤り。
企業の<もうけのたくわえ>を表わす内部留保は、377兆円で、年々増加を続けている。
人件費を抑制して浮いた金をたくわえ続ける現実がある。
パート、非雇用者が犠牲になっている。
つまり人の不幸(低賃金)の上に企業は幸福(もうけ)を築く構図。

共産党の本質

2018年10月22日 14時20分12秒 | 社会・文化・政治・経済
共産党は、人間の素朴な良心や善意、正義に属するものさえ、憎悪や対立といった<負>の情念に変質させて、ぞれを党勢拡大のエネルギーにしようとする。
ジャーナリスト 松田明さん

共産党の本質
共産党を破壊活動防止法の対象団体。
警察庁が現在も共産党が「暴力革命の方針」を変更していないと認めた部分もあった。
独裁政党である。
日本共産党は、ソ連が設立した世界共産化のための組織、コミンテルンの日本支部として誕生した。

善悪不二

2018年10月22日 14時01分44秒 | 社会・文化・政治・経済
仏語。善も悪も別のものではなく、仏法では無差別の一理に帰着するということ。
善悪、正邪とかに共通するのは2元論であるところですシーソーのように片方があがればもう片方が下がる対極の存在があるから自身があるという立場です悪があるから善があるのです。
もちろんその逆もまた真ですが 夜と昼のように。
善も悪も別々のものではなく、仏法の平等無差別の絶対真理に帰着するということ。

【悪もまた善を顕す働きをするのであれば、悪の全体がそのまま善になります。まさに善悪不二です。しかし、自然に放置していて、悪が善になるのではない。
悪と戦い、完膚( かんぷ)なきまでに打ち勝って、はじめて善悪不ニになるのです】

「汝の敵を愛せよ」

2018年10月22日 13時48分24秒 | 社会・文化・政治・経済
キリスト教の「新約聖書」
「汝の敵を愛せよ」
「博愛主義」の象徴すものではなく、「敵と味方を峻別せよ」ということが前提にある。
「敵をも味方と捉えて愛せ」という意味ではない。
敵はあくまで敵。
「敵というものは、<愛する>くらいの感覚で向き合わないいけない。
それくらい冷静ではければ、彼我の関係や敵の強さなどを正しく判断できない。
憎しみが先に立つと、敵に対する評価を誤ってしまう。
作家 佐藤優さん

バランスの取れた知識

2018年10月22日 12時55分11秒 | 社会・文化・政治・経済
「一日のうち、何度も、自分の生活がいかに多くの人の努力によって支えられているのかを思い出す」アルベルト・アインシュタイン(相対性理論を生み出した物理学者)

バランスの取れた知識。

戦争を双方向的に捉えなければ、相手国の主張を理解するのは一層困難になる。

欠けている要素は、被害者に寄り添う気持ち。

正確な情報を持ち得る立場にいても、そこに偏見があれば、実情を捉えることができない。

青い鳥症候群

2018年10月22日 07時59分23秒 | 医科・歯科・介護
(青い鳥シンドローム)は、精神科医の清水将之氏が提唱した言葉です。

青い鳥症候群は、幸福の「青い鳥」を求め探し続ける旅人のように、「もっと自分に適したものがあるに違いない」と定職につかなかったり転職を繰り返したりする、漠然とした青年の思考パターンを意味します。

青い鳥症候群は、高い知的能力を持っていながら、精神的な幼児性があるため、現実を認識する能力が低く、具体的には、環境や集団にうまく溶け込めない、進路の選択ができないといった状態をいいます。

社会性を身に付ける経験に乏しく、忍耐力が低い若者に、青い鳥症候群が多くみられるといわれています。

また、子供時代においては、勉強中心の生活で友達との交流が少なかった人、プライドが高く自分の思う通りに事が運ばないと我慢できないような自己中心的な人に多くみられるともいわれています。

青い鳥症候群は、日本独自の特異的な現象といわれ、本人がこのような状況に気付くことは実際には困難であると指摘されています。

泥酔しパトカー内で暴れ、押さえられた男性死亡

2018年10月22日 07時50分58秒 | 社会・文化・政治・経済
10/21(日) 9:56配信 読売新聞
 大阪府警都島署は21日、署員が20日夜に保護した大阪府豊中市の会社員男性(33)が、移動中のパトカー内で容体が急変し、搬送先の病院で死亡したと発表した。
泥酔した男性が暴れ、署員が押さえつけたという。
都島署は対応に問題がなかったか調べる。

 発表によると、20日午後10時35分頃、大阪市都島区で、タクシー運転手から「乗客が絡んでくる」と110番があった。
署員が駆けつけたところ、男性は「殺すぞ」などと言いながら、署員に殴りかかってきた。このため、署員4人で手足を押さえ、パトカーの後部座席に乗せた。

 男性は車内でも暴れ、署員2人が押さえていたが、まもなくぐったりし、約1時間後、搬送先の病院で死亡が確認された。都島署は男性を司法解剖して死因を調べる。

自他ともの幸福を願う

2018年10月22日 07時23分33秒 | 社会・文化・政治・経済
「希望のあるとこと、道はある」アフリカのこよわざ

「幸福は外にあるのではなく、自分の中にある」

確かな実践や体験、考え方や生き方の変化。
人生を豊かに生きる。

エゴの心を越えて、人のために生きる。
(自他ともの幸福を願うこと)
人の不幸の上に自分の幸福を築かないこと。

際限も無い欲望に生きる人生

2018年10月22日 07時08分26秒 | 沼田利根の言いたい放題
心に大きな目標を持った人は、
それだけ、
大きな人生を生きられる。

「世界平和」
「人間と社会を向上させる」
「生命尊厳の社会を実現する」

金儲けは何のため?
欲しいのは、1千万円?、1億円で満足?
もっと、もっと欲しい-10億円?100億円?
際限も無い欲望に生きる人生。
そもそも、そのお金は、何に使うのですかね。


人生の恩師 : 私の勇気を目覚めさせたもの

2018年10月22日 06時29分27秒 | 社会・文化・政治・経済
「人にできることが、自分にできないはずがないがない」吉岡隆徳の信念。
「何ごともぶつかってみることだ」

人生の恩師 : 私の勇気を目覚めさせたもの
荒垣秀雄 編

1932年のロサンゼルス五輪では故・吉岡隆徳さんが男子100mで決勝進出(日本人で唯一)を果たします。
吉岡さんは、その大会で優勝したエディ・トーラン (Eddie Tolan) の「深夜の超特急」という愛称にちなんで、「暁の超特急」と呼ばれた名選手でした。
当時の世界タイ記録である10.3を複数回マークするなど、日本陸上史に残る名スプリンターでした。その技術は飯島英雄さんや故・依田郁子さんなどに引き継がれるなど、吉岡さんが日本陸上界にもたらした功績は計り知れません。

吉岡は非常にスタートの良い選手で、オリンピックでも最初の40mはレースを引っ張りました。
鉢巻を巻いた小柄(165cm)な日本人が途中までではありますが、先頭を走ったことに観客は胸を打たれ、レース後には"Yoshioka! Yoshioka!"と大コールで吉岡さんを称えたそうです。

<下村脩さん死去>疎開の長崎で原爆の惨禍…平和訴え続けて

2018年10月22日 06時26分52秒 | 社会・文化・政治・経済
10/21(日) 19:08配信 毎日新聞

下村脩さん=長崎市で2015年11月2日、津村豊和撮影
 今月19日に亡くなった米ボストン大名誉教授の下村脩さんは戦時中の少年時代、疎開先の長崎で原爆の惨禍を目撃した。その体験をスウェーデンで開かれたノーベル賞授賞式前の記念講演で語るなど、非人道的な核兵器の廃絶と平和の大切さを訴え続けた。

【写真特集】ノーベル化学賞受賞…下村脩さんの功績

 下村さんは1928年8月、京都府福知山市生まれ。父は陸軍の軍人だった。戦争に伴い、母の実家がある長崎県諫早市に移った。16歳の時、爆心地から約12キロ離れた同市の工場で勤労動員の作業中に原爆を体験した。

 毎日新聞の生前のインタビューに、原爆投下の瞬間を「閃光(せんこう)がまぶしく、その後の爆風はすさまじかった」と振り返った。やがて市内の母校の中学校は収容所となり、多くの遺体や焼けただれた被爆者が運ばれ、「姿を見てびっくりした。可哀そうでした。(その惨状は)思い出したくもない」と声を震わせた。

 原爆投下から1カ月半後、米を運ぶため長崎市内も歩いたといい、「みんな真っ黒焦げで、ひどい光景でした。戦争はよくないですね」と思いを語った。

 少年時代の夢は飛行機や船の設計士。しかし、勤労動員などで学問に十分打ち込むことができず、どこの学校にも入学しないまま3年近い浪人生活を過ごした。原爆で校舎が破壊された旧制長崎医科大付属薬学専門部(現長崎大薬学部)の仮校舎が偶然、自宅近くに移転し、入学。研究者への道が開けた。

 緑色蛍光たんぱく質の発見で2008年のノーベル化学賞を受賞した際には、ストックホルム大での記念講演で、舞台上の画面に原爆で焼け焦げた長崎の写真を映し出し、「生き残れたのは幸運だった」と語り、平和の尊さを訴えた。

 15年には長崎市で開かれた核兵器と戦争の廃絶を目指す科学者らの国際組織「パグウォッシュ会議」世界大会に出席。各国の科学者や市民らに原爆体験を語り、「全ては戦争に起因する。戦争のない、核兵器のない世界を望む」と力説した。

 原爆体験や進学などで苦労を重ねた下村さん。当時を振り返りながら「苦労をすればするほど人間は向上する。苦しい時代を経験したことで、難しいことから逃げないようになった」と話していた。【千葉紀和】

「米国軍部と日本政府(官僚)」の関係

2018年10月22日 03時28分20秒 | 社会・文化・政治・経済
米国が、日本の自立を促し、自立する機会が、1970年代以降、何度かあったにもかかわらず、日本の官僚が、自分達の支配構造を壊したくないためにあえて従米路線=属国路線を選択してきたという指摘です。
作家・江藤淳は、第2次世界大戦における敗戦後、占領統治を行ったGHQの下で、約8000人近くもの英語の話せる日本人が雇用され、彼らを使った日本のメディアに対する徹底した「検閲」が行われていた歴史的事実を検証した。
日本の官僚機構が、日本を支配するための戦略として「日本は対米従属を続けねばならない」と人々に思わせ、そのための象徴として、日本国内(沖縄)に米軍基地が必要だったのである。
経済的には、日本企業が米国から技術を供与されて工業製品を製造し、その輸出先として米国市場が用意されるという経済的な対米従属構造が作られた。

財界も対米従属を歓迎した。

日本の官僚機構は、これらの日本の対米従属戦略を運営する事務方として機能した。


対米従属による日本の国家戦略が形成されたのは、朝鮮戦争後である。

1953年の朝鮮戦争停戦後、55年に保守合同で、米国の
冷戦体制への協力を党是とした自民党が結成された。
自主独立志向の田中角栄を政治的に殺した !

この政財官の対米従属構造が壊れかけたのが70年代で、多極主義のニクソン政権が中国との関係改善を模索し、日本では自民党の田中角栄首相がニクソンの意を受けて日中友好に乗り出した。

その後の米政界は、多極派と冷戦派(米英中心主義)との暗闘となり、外務省など日本の官僚機構は、日本の対米従属戦略を維持するため冷戦派の片棒を担ぎ、米国の冷戦派が用意したロッキード事件を拡大し、田中角栄を政治的に殺した。
田中角栄の追放後、自民党は、対米従属の冷戦党に戻ったが、外務省など官僚機構は「対米従属をやめようと思うと、角さんみたいに米国に潰されますよ」と言って自民党の政治家を恫喝できるようになった。
外務省傘下の人々は「米国は怖い。米国に逆らったら日本はまた破滅だ」「対米従属を続ける限り、日本は安泰だ」「日本独力では、中国や北朝鮮の脅威に対応できない」などという歪曲分析を日本人に信じさせた。
米国が日本に対して何を望んでいるかは、すべて外務省を通じて日本側に伝えられ「通訳」をつとめる外務省は、自分たちに都合のいい米国像を日本人に見せることで、日本の国家戦略を操作した。
80年代以降、隠れ多極主義的な傾向を持つ米国側が、日米経済摩擦を引き起こし、日本の製造業を代表して米国と戦わざるを得なくなった通産省(経産省)や、農産物輸入の圧力をかけられて迷惑した農水省などは、日本が対米従属戦略をとり続けることに疑問を呈するようになった。

だが外務省は大蔵省(財務省)を巻き込んで、方針転換を許さず、冷戦後も時代遅れの対米従属戦略にしがみつき、巨額の思いやり予算で米軍を買収して日本駐留を続けさせ、自民党を恫喝し続け、官僚支配を維持した。
官僚機構は、ブリーフィングや情報リークによって、マスコミ報道を動かし、国民の善悪観を操作するプロパガンダ機能を握っている。

冷戦が終わり、米国のテロ戦争も破綻して、明らかに日本の対米従属が日本の国益に合っていない状態になっているにもかかわらず、日本のマスコミは対米従属をやめたら日本が破滅するかのような価値観で貫かれ、日本人の多くがその非現実的な価値観に染まってしまっている。
今や日本の財界にとっても、米国市場より中国市場の方が大事であり、対米従属は、経済的にも過去の遺物だ。だがこの点も、日本のマスコミでは、あまり議論検討されていない。外務省などによる価値観操作をともなった対米従属戦略は成功裏に続いている。
ニクソンは、沖縄を日本に返還し、日本の自立をうながしたが、日本の官僚機構は逆に、これを米軍基地の存続のために使った。

米軍基地の存在は日本人の反米感情が高めかねないので、日本の中でも本土(やまと)と異なる文化を持つ沖縄に、復帰直前のタイミングで米軍の戦闘要員を移転してもらい、基地を本土から遠ざけ、本土の日本人に対米従属を意識させないようにした。「基地は沖縄だけの問題だ」という固定観念が作られた。

10月21日(日)のつぶやき

2018年10月22日 03時18分34秒 | 医科・歯科・介護