認知症の不明者 約1万7000人

2019年06月21日 10時50分37秒 | 社会・文化・政治・経済

 18年、6年連続最多 

2019/6/20 日本経済新聞

 2018年に認知症が原因で警察に行方不明届が出された人は前年より1064人多い1万6927人だったことが20日、警察庁のまとめで分かった。6年連続で過去最多を更新した。統計を取り始めた12年の1.7倍となり、徘徊(はいかい)中に車にはねられるなどして508人が死亡した。

 

認知症の人は15年時点で約520万人いると推計され、団塊の世代がすべて75歳以上となる25年には約730万人に達する見込み。政府は18日に決定した認知症対策の新たな大綱で、地域の見守り体制づくりやICT(情報通信技術)を活用した捜索システムの普及などを打ち出している。

 認知症が原因で行方不明になった人の年齢は80歳以上が8857人(52%)で最も多く、70歳代が6577人(39%)、60歳代が1353人(8%)だった。男女別の内訳は男性が9274人(55%)、女性が7653人(45%)だった。

17年以前に届け出があった行方不明者を含め、18年中に所在が分かったり、届け出が取り下げられたりした人は1万6866人。自宅周辺を徘徊し、遠くまで離れなかったケースが多いとみられ、1万1905人(71%)は届け出の受理当日に無事が確認された。2~7日以内の発見は25%で全体の96%が受理から1週間以内に見つかった。死亡が確認されたのは508人だった。

厚生労働省はホームページに認知症行方不明者の情報を提供する特設サイトを開設し、自治体が保護した身元不明者らの情報を公開している。各地の警察も自治体や高齢者施設と徘徊の恐れがある人の情報共有を進めている。


阪神は中日のエラーの3倍!

2019年06月21日 10時37分21秒 | 沼田利根の言いたい放題

常に「一人への励まし」から始まる。

そして団結もまた、、「一人への励まし」が原点だ。
一人また一人が、真剣に立ち上がり、優勝という最終目標へ。
一日一日を勝って勝って勝ちまくるなかで、互いの生命は勇気と正義の絆で強く結ばれていくものだ。
そこにこそ、「鉄桶(てっとう)団結」が生まれる。
鉄桶は水を漏らさない構造。
つまり団結が固く、隙がないとう意味である。
例えれば、水田のあぜが堅固でも、蟻の穴があれば、必ず最後は、湛えた水が漏れて溜まることはない。
「一人くらいは」という油断と慢心から、破綻が始まる。
野球チームに例えれば、一人のエラーで敗因ともなるのだ。



薬王菩薩に向かって祈る

2019年06月21日 10時13分57秒 | 社会・文化・政治・経済

4度のがんを克服した人の祈りは?

自分の全細胞を一新させるくらいの決意で薬王菩薩に向かって祈る。
60兆個の全細胞ひとつひとつの薬王菩薩の力用をたたき起こして、発動させる。

薬王菩薩とは、良薬を与え人々の病苦をいやすという誓いを立てた菩薩。
心身の病気を治し、生命を健康にする力をもった菩薩。

 

薬王菩薩、薬上菩薩像

薬師八大菩薩のうちのお医者さん兄弟

 

薬王菩薩像 瑞雲作 薬上菩薩像 瑞雲作

この二菩薩菩薩は「観薬王薬上二菩薩経」に、昔二人の長者がいて良薬をもって一切衆生に施し病苦を救ったが、この二人が薬王菩薩、薬上菩薩である。

、「法華経」に、前世は、自ら香油を飲み身を燃やして仏を供養した喜見菩薩であるといわれている。薬師八大菩薩、阿弥陀二十五菩薩に数えられる。


サン=テグジュペリ 伝説の愛

2019年06月21日 06時12分50秒 | 社会・文化・政治・経済

手紙や写真など,貴重な遺品をたっぷり紹介しながら,妻コンスエロとの真実に迫るビジュアル伝記.

サン=テグジュペリ 伝説の愛
 
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生誕百年を機に,『星の王子さま』の作者サン=テグジュペリの大型トランクが公開された.中からでてきたのは,彼と妻コンスエロの手紙や写真,スケッチ……数々の遺品は,ときに不条理を抱えながらも,激しく純粋な愛に結ばれていたふたりの関係を物語る.人間サン=テグジュペリの後半生と,その作品に新たな光をあてる一冊.

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリは、フランスの作家、操縦士。郵便輸送のためのパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。読者からは「サンテックス」の愛称で親しまれる。Wikipedia



結婚直後のアントワーヌとコンスエロ

■訳者からのメッセージ
 『星の王子さま』の作者サン=テグジュペリに,こんなに美しい妻がいたことはあまり知られていなかった.コンスエロはエキゾチックで不思議な魅力を持つ女性だったが,貴族の家柄だった彼の家族には受け入れてもらえず,文壇でもほとんど黙殺されたままだったから.
 けれども,二人の愛が真実だった証拠が残っていた.彼女が夫と最後に過ごした亡命先のニューヨークから持ち帰った,いくつもの大型トランク.作家の生誕100周年にあたる2000年に初めて開けられると,中には,夫との生活を赤裸々に綴った彼女の手記のほか,二人で交わした山のような手紙,写真,デッサンなど,これまで誰も知らなかった過去を物語る数々の遺品がつまっていた.
 それらがこうして,一冊の素敵な本になった.二人が最後まで貫いた比類なき愛に,心が震える.
鳥取絹子




○アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

1900年,フランスのリヨンに生まれる.若い頃から空を飛ぶことに情熱をもち,パイロットとして民間郵便飛行の創設時代に活躍すると同時に,自らの体験にもとづいた作品を書き作家として名を馳せる.
作品に,『南方郵便機』(1929),『夜間飛行』(1931),『人間の土地』(1939),『戦う操縦士』(1942),『星の王子さま』(1943)など.44年7月31日,コルシカ島から偵察飛行に飛び立ち,行方不明となる.

○コンスエロ・ド・サン=テグジュペリ

1901年,エルサルバドルに生まれる.学生生活をサンフランシスコで送り,1度目の結婚をするが,数か月後未亡人に.25年,フランスに渡り,作家エンリケ・ゴメス・カリーリョと出会い,2度目の結婚をするが,ふたたび未亡人となる.30年,アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリと出会い,翌年結婚.夫が帰らぬ人となってから30年以上の歳月を,フランスで彼の思い出とともに生きる.79年,逝去.

コンスエロからアントワーヌへの電報
. 「あなたをこの手で触りたい.お願いです,私の夫をいたわり,彼を完全に私に戻してください」
(本書巻末に収録)


アントワーヌからコンスエロへの手紙.
アントワーヌはひんぱんにトゥールーズへ行く.
アエロポスタル社が解散したあと,彼は水上飛行機のテスト・パイロットとしてラテコエール社に入社.
コンスエロが同伴しないとき,彼は彼女に優しい手紙を書く(本書巻末に収録)

書評情報


物事を見極める眼が大切

2019年06月21日 05時51分42秒 | 社会・文化・政治・経済

イメージの力で世論操作までされかねない現代。
物事を見極める眼が大切だ。
先入観を排し自ら考え、判断する努力が欠かせない。
世間が「いい」というから「いい」、「悪い」というから「悪い」決めつける場合がある。
そのために、正しい情報を粘り強く発信し続けなければならない。
恐れるべきは沈黙すること。
「世論などは、身分で導けばよろしい」アメリカの世論と戦ったフランスの作家サン・テグジュペリ