母親「クーラーかけ、大丈夫だと思った」 2女児放置死

2020年09月07日 01時25分38秒 | 事件・事故

9/6(日) 20:00配信

朝日新聞デジタル

6歳と3歳の姉妹を車内に放置し、熱中症で死亡させたとして、母親が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された事件で、香川県警の調べに、母親の竹内麻理亜(まりあ)容疑者(26)=高松市=が「子どもを車に置いて飲みに行った」と放置した状況を認める一方、「クーラーをかけてきたので大丈夫だと思った」と話していることが捜査関係者への取材でわかった。県警は今後、エンジンの作動状況を調べる。

【写真】死亡した女児2人が乗っていた乗用車

 県警によると、竹内容疑者は2日午後9時ごろから3日午後0時40分ごろまでの約15時間40分にわたり、高松市内の駐車場に止めた乗用車内に長女の真友理(まゆり)ちゃん(6)と次女の友理恵(ゆりえ)ちゃん(3)を置き去りにし、熱中症で死亡させた疑いが持たれている。逮捕前は「具合が悪くなり、トイレに2時間ほど行っていた」と説明したとされ、逮捕時には黙秘していた。

 車を止めていたのは平面のコイン式駐車場で、屋根はなく、周囲に日光を長時間遮るような高い建物もなかった。気象庁によると、高松市は2日夜から3日未明の気温が28度以下にならず、3日午前7時台に30度を超えた。正午には36度に達した。

 捜査関係者によると、防犯カメラの映像や関係者の証言などから、竹内容疑者は明け方まで、少なくとも3軒の飲食店をはしごしたとみられ、その後、知人男性宅を訪れていたという。男性は県警の任意聴取に、竹内容疑者と一緒にいたことを認め、「車内に子どもを置き去りにしていたことは知らなかった」と話しているという。(長妻昭明)

朝日新聞社

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「ボートが通り過ぎたら弟がいなくなっていた」…猪苗代湖で遊泳中の男児1人死亡

2020年09月07日 01時22分33秒 | 事件・事故

9/6(日) 13:10配信

読売新聞オンライン

6日午前11時頃、福島県会津若松市湊町静潟の猪苗代湖で泳いでいた男女4人が航行していたボートに巻き込まれたと119番があった。この事故で、千葉県野田市の小学3年、豊田瑛大(えいた)君(8)が死亡したほか、瑛大君の母、舞子さん(35)と、栃木県栃木市の小学生中沢翔愛(とあ)君(8)が足に重傷を負った。小学5年の瑛大君の兄(10)も軽いけが。

 県警会津若松署の発表などによると、事故当時、瑛大君らは2家族で、猪苗代湖西岸から200~300メートルほどの沖合で、ライフジャケットを着用して泳いでいた。瑛大君らは、近くを通り過ぎたモーターボートと接触し、スクリューに巻き込まれた可能性が高いという。死亡した瑛大君の兄は、本紙の取材に「ボートは結構スピードが出ていた。僕はちょっと離れていたから大丈夫だったけど、ボートが通り過ぎたら弟がいなくなっていた」と声を震わせた。

 ボートは長さ約12メートルの12人乗り用で、10人が乗っていた。同署はボートを操縦していた男性から事情を聞くなどして、事故原因を調べている。

 現場から近い陸にはレジャー用ボートが発着する「中田浜マリーナ」があり、船が頻繁に行き来していた。湖水浴場は今年、新型コロナウイルスの影響で開設されていなかった。現場近くの中田浜でバーベキューをしていた会社員男性(41)は「例年なら遊泳区域が分かるよう沖にブイが浮かべてあるが、今年はブイがなかった」と話した。

 

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引き分け2度経た将棋・叡王戦 七番勝負なのに第9局へ

2020年09月07日 01時20分45秒 | 社会・文化・政治・経済

配信

叡王戦第8局で勝った豊島将之竜王(右)。左は永瀬拓矢叡王(2020年9月6日午後8時16分、神奈川県秦野市の「元湯 陣屋」、日本将棋連盟提供)

 将棋の第5期叡王戦七番勝負(ドワンゴ主催)の第8局は6日、神奈川県秦野市の旅館「元湯 陣屋」で行われ、挑戦者の豊島将之竜王(30)が永瀬拓矢叡王(28)=王座とあわせ二冠=に75手で勝ち、対戦成績を3勝3敗(2持将棋)とした。第9局は9月21日に東京・将棋会館で行われる。

【写真】叡王戦第8局で敗れた永瀬拓矢叡王=2020年9月6日午後8時13分、神奈川県秦野市の「元湯 陣屋」、日本将棋連盟提供  

先に4勝した方がシリーズを制する七番勝負は、新型コロナウイルスの影響で開幕が2カ月以上遅れて6月に開幕した。第1局は千日手で即日指し直し、第2局と第3局が連続して持将棋(じしょうぎ)(引き分け)になるなど、異例の進行をたどった。2勝2敗で迎えた第7局を永瀬叡王が勝って初防衛まであと1勝としたが、豊島竜王が土壇場で踏ん張り、異例の第9局が行われることになった。

 第8局終了後の振り駒で、第9局は先手が豊島竜王、持ち時間は各6時間で行われることが決まった。(村上耕司)

朝日新聞社

 

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山本五十六の死は「自殺」? 部下を「人間」として扱った指揮官、最後の行動

2020年09月07日 01時10分36秒 | 社会・文化・政治・経済

戦後75年 『昭和史七つの謎と七大事件』より #2

保阪 正康 2020/07/15

「真珠湾奇襲」の成功によって、日本軍上層部と国民の多くは早くも「戦勝ムード」に浸っていたという。

 ノンフィクション作家・保阪正康さんは著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人』(角川新書)で、真珠湾攻撃の指揮を行った海軍の連合艦隊司令長官・山本五十六の葛藤に迫る。

◆ ◆ ◆


得意の東條、煽るマスコミ、騒ぐ国民

 日本の軍事指導者たちには、アメリカとの講和などまったく念頭になかった。とにかく戦果があがることをひたすら喜んでいた。この頃の史料を見ても、アメリカに軍事的打撃を与えたというだけで、東條英機は、「日本には天佑神助がある。皇国三千年の歴史では戦争に負けたことのない民族だ」とその周辺で得意になっているだけだった。


 戦果をすぐ陛下にご報告しろと、そればかりを口にしていた。この時期日本のジャーナリズムは国家宣伝省にすぎなかったが、連日国民の士気を煽り立てるニュースを垂れ流し、それを知った国民は万歳、万歳の大騒ぎ。一般国民だけではない。太宰治や伊藤整といった知識人たちも、大国・アメリカからの強権的な圧迫から解放してくれたとして戦争を賛美しつづけた。

 このような事態を見ると、軍事指導者はすっかり救国の英雄の如き錯覚をするだけでなく、日本は世界全体を支配できると考えるようになった。実際に、日本軍はオーストラリアの近く、東南アジア全域に兵を送った。太平洋の地図を見ていただければわかるが、誰もが知っている有名な戦場のミッドウェー島はハワイの近く、マーシャル諸島やトラック島は赤道のすぐ北、ガダルカナル島においてはもう南半球である。太平洋の遠くの果てまで、日本軍は派兵していったのだ。

開戦半年で虚偽の大本営発表

 だがここまで戦場が広がり、兵站が延びきってしまったら、基礎的な国力に勝るアメリカが本格的に反転攻勢をかけてきたら守れるわけがない。そんなことすらも考えられないほど、日本中、上から下まで浮かれっぱなしで、冷静な判断をしようとすらしなかった。

 例えば、海軍の軍令部のエリート参謀たちは、フィジー・サモア作戦というアメリカとオーストラリアを断ち切る作戦をやりたいといってきた。しかし、山本五十六はそれはダメだと主張する。山本はアメリカの太平洋艦隊を一気に叩くべきと考えていた。

 そんなことを論議しているうちに、昭和17年4月18日、アメリカのドゥリットル隊のB25爆撃機16機が東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸を爆撃した。この本土初空襲で死者は50人。開戦から半年足らずのことだった。この空襲に対し大本営発表は、敵機9機を撃墜と虚偽発表を始めている。

責任を逃れたい軍事指導者の心理

 このドゥリットル隊は、日本本土から1200キロ沖の洋上に浮かぶ空母より発進し、2000キロ先の中国大陸まで飛ぶコースをとったのだが、そもそも日本の軍事指導者たちにはこのような攻撃にたいする認識がまったくなく、防衛は完全に後手に回り、以降、戦争の実情を知らなかった日本人は、イヤというほど戦場体験をすることになるのである。山本はそのことを理解していたように思うのだ。


 緒戦の戦況の変化を見ていると、日本軍は破竹の勢いで東南アジア各地に進撃したことがわかるし、その成功は日本の奇襲攻撃にまだアメリカも戦時体制を整えていなかったからとも言えた。

 しかし私はこのような戦況をなぞりながら、これは戦況についての推移でしかなく、こうした戦況の陰にある戦場の指揮官と兵士の間の動きを見るという視点は失ってはならない、との思いをもつ。つまり、軍事指導者が戦勝に浮かれるのは、本来戦争がもつ残酷な側面(それは兵士が、あるいは国民が死ぬということなのだが)を忘れようとするからではないかと思われる。国民に甘い幻想をふりまくことは、軍事指導者の責任逃れという一面がある、ということだ。


軍上層部への不信、国民の軽薄さへの憂い

 山本はこのような増上慢に不満を持ち続けていたことが明らかになっている。軍の上層部とそれに踊らされる国民への不信感である。半藤一利の『山本五十六』には、そのような山本の姿が次のように書かれている。山本は「絶望的な日本人論」をもっていたという。

 海軍中央に不信を持ち、麾下の艦隊幹部の能力を疑い、そして日本民衆の軽薄さを憂慮し、山本は負けるが必然の戦いを、一人で、悲壮に戦っていたのではあるまいか。山本はよく冷笑して言っていた。
「扼腕憤激、豪談の客も、多くこれ生をむさぼり、死を畏るるの輩」(半藤一利『山本五十六』平凡社)
 山本が、自らの部下に対して厳しさと温情とで接したことはよく知られているが、戦争初期のなかでいつの日か軍事指導者が部下や日本人を見捨てること、「生をむさぼり、死を畏るるの輩」がそうした連中であることを知っていたのではないか。私はそこに山本の人間的な側面を見るだけでなく、戦場の指揮官と兵士との信頼に似た関係を見出すのである。

山本五十六は自殺か?

 さて、話をもう一度山本に戻すが、アメリカによる初の本土空襲のとき、空母の艦載機からの爆撃を想定していた山本五十六もさすがに強いショックを受けた。以前より計画していた、アメリカの空母を撃沈してハワイ攻略を進め、講和に持ち込むというミッドウェー作戦に改めてこだわった。昭和17年6月に実際に海戦を行うが、情報収集に長じるアメリカ軍の待ち伏せ攻撃を受け、海軍は壊滅的な打撃を受ける。海軍軍令部はこの敗戦を、国民はもとより、天皇にも十分伝えず、そして陸軍にも連絡しなかったのである。

 ミッドウェーの敗戦に山本は責任をとっている。軍人としては、致命的な敗北の批判を受け入れなければならない。その後山本は、連合艦隊司令長官として、ラバウルにあったいくつかの海戦を指揮したが、昭和18年4月に「い号作戦」実施のために前線の視察を希望した。その前線はアメリカ軍の対戦闘機の行動半径内であることもわかっていた。山本は視察中止を求める参謀の声に抗してその視察に赴いた。


 なぜ山本は前線の視察に赴いたのか。

 本来なら最高司令官は、そのような危険の多い視察は行わないことが普通だった。い号作戦は、ラバウル周辺の制空権、制海権を確保する意味をもっていた。それが戦線の延びきった日本の避けられない戦略だった。山本は自ら「一年は暴れてみせる」と言ったが、その一年が過ぎて、日本軍は戦時体制を整えたアメリカ軍に抗するために占領地域を絞り込む、あるいは縮小の方向へと舵とりをしようとしていたのだ。

可愛い部下に「さらば」を告げる

 その時に延びきった戦地にいる兵士たちは、切り捨てのような運命をむかえかねない。その兵士たちに何らかのメッセージを伝えなければならない。山本の前線視察には、そのような意味があったと思われる。

 半藤一利は前述の書(『山本五十六』)のなかで、次のような見方を示す。

 真の山本の心は、裂けんばかりに悲痛なものであったと思われる。この作戦が終了すれば、自分の権限と責任において一気に後方に退いて、戦線をぐんとしぼる覚悟を秘めている。そのために、ソロモン諸島に展開し奮戦している第一線基地を敵中に捨て石にして残し、見殺しにすることも辞せぬのである。
 “情の人”山本が、その情を殺し、一軍の将として部下にすべて死ねと命ずるにひとしい。それをあえて断行するのである。
 4月18日に予定されている前線巡視は、い号作戦終了後の激励でも慰労でもない。かれにとっては、それは可愛い部下に永遠の別れを告げにいくことなのである。心を鬼にして「さらば」の一言を告げにいく──だれが反対しようと、止めようと、そうすることがおのれの義務と、山本は深く心に決していた。

国民にも隠された「英雄」の死

 ここに山本の本音が明かされているように、私も思う。部下に電報一本で命令を伝えるのではなく、自ら足を運んで別れを告げる。それが山本の真意だった。

 そして山本五十六は、ドゥリットル隊の本土空襲からちょうど1年後の昭和18年4月18日、ブーゲンビルの上空で撃墜死する。その死は、1か月以上も国民に伏せられた。戦後になって、山本の死は戦死ではなく、むしろ自殺だったという説も囁かれている。


 それは、なぜか。


 前述した通り山本五十六は、おそらく一番アメリカのことをよく知っていた日本の軍人だった。それが、「1年なら暴れてみせましょう」という発言になったわけだが、真珠湾攻撃を成功させた山本の国民的人気は非常に高いものがあり、帝都が爆撃を受けても、彼は希望の星だった。そのような人間が、そして連合艦隊司令長官という要職にある人間が、なぜわざわざ危険な前線のブーゲンビルに視察に行って、兵士たちを励ますなどということをやったのか。また、周囲はそれを止めたのにもかかわらず、山本は強硬に視察に行くことを主張して、あっけなく死んでいった。

兵士を人間として扱った山本五十六

 それゆえに、山本五十六の死は自殺だという説が出るのだろう。

 同時に、なぜ軍事指導者たちはその死を隠したのか。むろん国民の士気が落ちないようにとの配慮もあるだろうが、真の理由は軍事指導者たちが激戦地の兵士に気軽に命令をだし、時には兵士は虫けらのように扱ったにもかかわらず、山本は決してそのような扱いをしなかった、そのことを国民に知らせたくなかったのかもしれない。いや、私にはそうも思えてくる。

 山本が今なお国民的人気があるのはいくつかの理由がすぐに挙げられるが、もっとも大きいのは兵士を人間として扱い、自らもまたそのために兵士への礼節を尽くしたということであろう。それが現代の者にも受け入れられているのだ。

 私たちはその視点で改めて戦争の責任者、戦場の責任者が兵士をどのように見つめていたかを、太平洋戦争下の戦況ごとに整理してみることが必要ではないか。

 

エリートなのに物知らずで可愛い……“女子アナ”人気に見る、日本人の歪んだ願望

2020年09月07日 00時53分57秒 | 社会・文化・政治・経済

「女子アナ」から考察する日本社会 #2

小島 慶子 2020/07/27

 父のように稼ぎたいという気持ちと、母や姉のように“みんなが羨む女”にならねばという気持ちを抱えた若かりし頃の小島慶子さんがたどり着いた職業は「アナウンサー」だった。しかし、実際“女子アナ”になってみると、“女子アナ”に向けられる視線に、ひいては日本社会で女性の置かれた立場や女性に対する評価に違和感を覚えるようになったという。

『足をどかしてくれませんか。 メディアは女たちの声を届けているか』(亜紀書房)より、小島慶子さんのエッセイを掲載する。(前後編中、後編/前編を読む)


◆ ◆ ◆


エリートなのに物知らずで可愛い……“女子アナ”人気の理由

 社会学者の北出真紀恵によると、“女子アナ”という呼称は、女性アナウンサーに対する社内的な呼び方が、男性向け週刊誌を介して一般化したものであるという(『「声」とメディアの社会学』晃洋書房、2019年)。

 フジテレビでは、1981年にそれまで契約社員だった女性アナウンサーが正社員化したのをきっかけに、女性が長く働けるようになり、様々なジャンルの番組での起用が広がった。ところがそれは、実力が伴わなくてもまずは女性を画面に出すという動きを強め、女性アナのタレント化につながったと北出は指摘する。

 メディアプランナー/放送作家の草場滋によれば、“女子アナ”という言葉は1987年にフジテレビが出した『アナ本』が初出であるという。その年は中井美穂アナ、翌年は河野景子・八木亜希子・有賀さつきの3人の新人女性アナが入社し、いわゆる“女子アナブーム”が始まった年だった。

 有名大学を卒業した美人の“お嬢様”が当代きっての花形企業に数千倍の競争率を勝ち抜いてアナウンサーとして採用され、高収入と終身雇用が保証された正社員の座を手にすると同時に、全国ネットのテレビにいきなり登場する。そのエリート然とした経歴とは裏腹に、彼女たちは物知らずやおっちょこちょいやお色気や可愛らしさで注目を集め、タレントに頭を叩かれたりした。高級OLは身近で遠い存在であり、“女子アナ”は、アイドル顔負けの人気を誇るようになった。


 この経緯にはなんとも言えない哀しみを覚える。女性を正社員として長い目で育成できる余裕が生まれたタイミングで、注目されたのは彼女たちの喋り手としての資質ではなく、若さと素人らしさだったのだ。

 女性活躍という掛け声に浮き足立った組織でよく見られることだが、うっかりすると「女性を引き立てる=職場の華として持ち上げる」という発想に陥りやすい。私もつい先日、現役と元職の女性アナを集めたある番組で配られた台本に「職場の華として日々活躍する女性アナの皆様」という文言が書いてあるのに遭遇した。もちろん番組側に全く悪気はない。

 そもそも女性契約社員は男性社員の花嫁候補として若さと容姿が取り沙汰されがちであり、男性正社員も新卒一括採用の終身雇用制度で“手垢のついていない人材であること”つまり処女性と組織への忠誠心が重視される。正社員化した女性アナウンサーに、若くて可愛くて世間知らずの優等生社員であることが求められたのは当然とも言える。

 日本型企業で働く女性契約社員に求められる要素と男性正社員に求められる要素とが融合した形で誕生したのが“女子アナ”だったのである。アイドル並みの容姿と人気を誇りながら、決して出過ぎた真似はせず「会社のために頑張ります!」と昼夜を問わず健気に働く“女子アナ”が社内からも視聴者からも好かれるのは、それが日本社会で働く人々の心情に強く訴えるからであろう。

女性性を搾取しながら「これは商品ではない」と言いたい

 以前、大学在学中にホステスとして働いていたのは「清廉性がない」という理由で大手放送局アナウンサーの内定を取り消されたのは不当だとして、女子学生が会社を相手取って訴訟を起こしたが、これはまさに“生娘”を専属の職場の華として育成したいという採用側の欲望がはっきりと表れている事案である。

 この一件では、採用サイドの接客業の女性に対する差別意識と、女性アナウンサーを自社専属の接客係(顧客は視聴者と自社の意思決定層)とみなしてチヤホヤする心理とは表裏一体であることが露呈した。先述の役員の「女性に値段はつけられない」という発言と同じである。

 つまり相手の女性性を存分に搾取しながら「これは商品ではない」と言える状態が望ましいのであり、明らかに売り物の女性は興醒めだというわけだ。こうした考え方は男性に限ったことではない。


 私は以前、ある放送局の社員と思しき女性がヘアサロンで美容師相手に「女子アナはうちの商売道具だからさ、こうもバカばっかりじゃ困るんだよね」と聞こえよがしに話すのに遭遇したことがある。女性アナウンサーを商品扱いすることがかっこいいと思っているのかもしれないが、そのような企業風土に染まれば女性であっても中身はセクハラオヤジと同じになる。


 多くの場合、女性を職場の華として盛り立てている側には全く悪気はなく、従来の女性観に則って最大限の善意を働かせたつもりなのである。そしてその恩恵を受ける側も悲しいかな同様の女性観がインストールされているため、自分は特別扱いをされている、女に生まれて得をしたと思いがちだ(入社当初の私はまさにこれだった)。

 “女子アナ”とは、上を見て生きるしかないサラリーマン渡世の象徴であり、この社会のミソジニーと女性のモノ化と、そのような男性優位社会でのサバイバル術として自らを商品化して“女子”を偽装するほかない女性たちの哀しみとが詰まった、実に味わい深い呼称なのだ。

 大手民放のアナウンサーに内定した時、それはそれは嬉しかった。これで誰にも養ってもらわなくても生きていける! 自由だ! たとえ相手が文無しでも、好きになった男と番えるぞ! と思った。誰もが知っている有名企業で、世間の平均の何倍もの高い給料を稼ぐ自分は強者だ、と誇らしく思った。

「誰のおかげで暮らしていけると思っているんだ」と言った父とも、これで肩を並べることができる。私をふった元彼よりも高い給料をもらって、同級生の男子の誰よりも有名になるのだ。毎朝満員電車で尻に手をのばしてきた痴漢どもも、耳元に臭い息と舌打ちを浴びせかけてきたオヤジどもも、小6の女子児童に上半身裸で身体測定を受けさせて、ニヤニヤしながら品評したクソ教師も、もう虫ケラみたいなもんだ。私はお前らなんかとは格が違う、日本のサラリーマン社会のお貴族様なんだぞ! と思った。

 その選民意識こそがまさに自分を追い詰めた“稼ぐ男が偉い”という価値観の醜悪な表れであることを当時は全く自覚していなかった。

同期に「小島はどうしてはっきり意見を言うの?」と聞かれた

 入社して程なく、私は自分の脳みそではなく属性が商品であることに気がついた。「TBS新人アナウンサー小島慶子です!」と言うたびに、ただの小島慶子じゃいけないのか? という思いが大きくなった。「新人らしくない/新人のくせに」「女子アナらしくない/女子アナのくせに」に振り回されて、何が正解かわからなくなった。どうやら理想の新入社員と理想の女子を同時にやれと言われていることはわかったが、それがどういうものなのか、想像がつかなかったのだ。

 実は、内定が出るときに同期3人のうち私だけが保留された。人事部の人が「あなたをアナウンサーで採用することに強固に反対している役員がいましてね……ちょっと待ってくださいね」と電話をかけてきた。結局数日後にアナウンサーで内定が出たのだが、今思えばその役員は慧眼だった。

 “女子アナ”をやる技術というのは研修で身につくものではなく、その人が幼い頃からの生活環境の中で身につけたコミュニケーションスタイルがそのまま出るのである。他人の欲望を体現することが習慣化しているほどこなしやすい。


 私は先述したように、男性を立ててニコニコ良い子をやるという型とは全く縁のない育ち方をしたので、実に“無粋”であった。ある地方出身の女性アナにしみじみ言われたことがある。「小島はどうしてそんなにはっきり意見を言うの? 私は実家でもずっと“女はニコニコして男の意見を聞いていろ”と言われて育ったし、そんなふうにはっきり物を言うこと自体が怖くてできない。すごいと思うけど、なんでわざわざそんな大変なやり方をするの?」と心配してくれたのだ。その通り、彼女は生来の“女子アナ”らしさが身についていた。でも私はいくら真似しても、どうしてもうまくできなかったのである。

 そんな自分を随分責めたが、あるときふと、おかしいのは私じゃなくて“女子アナ”ってやつの方だと気がついた。そして一見適応しているように見える彼女たちも、胸の内には複雑な思いを抱えているということも。


 私は父のような経済的強者になりたかったのと同時に、そうした強者が女性に向ける眼差しを憎んでいた。「誰のおかげで」と言った父だけでなく、母や姉が私に擦り込んだ「値踏みする男の視点」を憎んでいた。その眼差しは女の顔や体つきを品定めし、愛されるためにもっと努力しろ、じゃないと幸せになれないぞと脅す。テレビにも雑誌にも家族の言葉にも、耳目に触れる全てのものにそのメッセージは仕込まれていた。その呪いから、なんとかして自由になりたかった。

 お金さえ自力で稼げれば、品評会から離脱できる。だけどやっぱり“高級な女”でいたいという矛盾した思いもあった。当時の男の勝ち組である父の価値観と、女の勝ち組である母の価値観を取り込んで、全方位的に勝ちたいと欲張った結果、まさにそれを全て体現しているような“女子アナ”と呼ばれる職業にたどり着いたというわけだ。

女も、男も、誰も幸せになれない社会

 いわゆる男社会の弊害を言うときには、男が加害者で女は被害者という二項対立になりがちだが、硬直したジェンダー観の強化には女性も加担している。私が生まれた1970年代は専業主婦が多数派で、男性労働者を効率的に働かせるために女性はそのバックアップに従事し、男は稼ぎが多い方が、女は料理と子育てが得意な方が幸せになれるという物語をしっかり次世代に仕込んだ。戦前生まれの私の母などは、それで実際幸せになれた世代である。

今、20代女性の保守化が言われている。「男性は外で働き、女性は家を守るべき」と考えて専業主婦に憧れるそんな女性たちは、一つには現状認識ができておらず60年代生まれの親から仕込まれた幸せの法則を悠長に信じているのかもしれないが、一方では男性も女性も老人になるまで働き続けなければ生きていけないという現実を前に、「男」役をやることへの強い不安を覚えているのではないかと思う。

 家事と育児に専念する「女」ロールが成り立たなくなった今、彼女たちに用意されているのは勝ち組男のロールではなく、安い給料と不安定な雇用で働き続ける負け組男のロールである。男女格差が大きく働き方が硬直化した社会で、女性に働き続ける人生を選べというのは、ワーキングプアを増やすことに他ならない。

 食えない者同士でくっついてやりくりして子どもを産めというのが、どうやら日本の「女性活躍」の本音らしい。そんな不穏な空気を感じている若い女性たちは、もはや再現不可能になってしまった「結婚したら仕事を辞めて子育てに専念する」という母親世代が手にしていた選択肢を必死にイメージして、負け戦に駆り出されるのを拒んでいるのかもしれない。


 一方で、男は男らしくという刷り込みによってあらかじめ退路を断たれていた男性たちも、ここへ来て「男はしんどい」と声を上げ始めている。自分の父親と同じように身を粉にして働いても稼げる額は父親の8割ほどだ。24時間滅私奉公で稼ぎ続けるロボットのような人生にはもはや何のご褒美も用意されていないことがわかっている。従来の「男らしさ」に義理立てするメリットはない。今や結婚しても妻には仕事を続けてほしいと希望する男性が多数派で、家事育児をすることに抵抗がない男性も増えている。

 しかし共働きをあてにされても女性は困惑する。男性の年収の3分の2しか稼げない上に多くは非正規雇用で、出産すれば職場では厄介払いされる。夫にやる気はあっても男性の育休取得は難しくパタハラもある。結局は妻がパートをしながらのワンオペ育児になるのは目に見えており、保育園に入れなければ仕事復帰すらできないのだ。

「女性も働いて自立を」と言われても、見えている結果が家計のやりくりに苦労するワンオペ育児なら出産しようとは思わないだろうし、そんな苦労をするくらいなら高収入の男に養ってもらいたいと思っても無理はない。だが希少種の稼ぎのいい男は、同じくらい学歴が高く稼ぎのいい女性が学生時代から確保してしまうので、そうそう余ってはいないのである。



「生意気な女は嫌われる」は不満を抱かせないための刷り込みだ

 昭和の稼ぐ働き手の量産体制でも、平成・令和の稼げない働き手の増産作戦でも、「働きながら家族と生きる」という人間として当たり前のことが不可能な働き方を強いる限りは誰かが犠牲になる。それは大抵女性である。

 万歳三唱で夫と息子を送り出し空襲で焼かれた国防婦人も、猛烈サラリーマンの母親役を課された妻たちも(80年代にヒットした『聖母たちのララバイ』という曲の歌詞を読んでほしい。特に2番)、カツカツの共働きでワンオペ育児に泣くママも、人が人らしく生きられない理不尽な働かせ方を強行するための人身御供である。

 女性差別や女性蔑視は、そのような理不尽な構造に甘んじるしかない立場に女性を囲い込んでおくための呪文でもある。先述の“女子アナ”のロールにも顕著なように、テレビを通じて視覚化される「女は男よりも頭が悪い」「生意気な女は嫌われる」というメッセージは、女性が現状に不満を抱かないようにするための刷り込みとして機能する。女は従順な方が愛されると考えている限り、女性は貧乏くじをひかされ続けるのである。

 女が人柱になるのは一義的には配偶者のためだろうけれども、その配偶者の男性たちもまた、時間と労力と人間性を搾取される、組織のコマでしかない。女も男も幸せになれない世の中で、結局誰が得をするのだろうか? 

 ジェンダーの問題を考えると、どうしたって権力との関係を考えざるを得ない。だからこそ本来権力を監視するべき報道機関であるメディア企業がジェンダーに関する物事をどのように表現するのかは非常に重要なのである。


足をどかしてくれませんか。——メディアは女たちの声を届けているか
林 香里 ,小島 慶子 ,山本 恵子 ,白河 桃子 ,治部 れんげ ,浜田 敬子 ,竹下 郁子 ,李 美淑 ,田中 東子 ,林 香里
亜紀書房
2019年12月24日 発売


15歳少年による福岡女性刺殺事件 「わいせつ目的」を“無差別”と報じる問題点

2020年09月07日 00時53分57秒 | 事件・事故

9/6(日) 11:01配信
文春オンライン

先月28日、福岡市の商業施設にて、15歳の少年が買い物客の女性を殺害する事件が発生した。福岡県警などの発表によると、少年は現場で包丁を盗んだ後に、面識のない被害者女性の後をつけ、女子トイレにてわいせつ行為におよぼうとしたところ抵抗されたため、この女性の上半身数カ所を包丁で刺したとされる。

【写真】この記事の写真を見る(6枚)

 また、その直後には6歳の女児とその母親に包丁を突き付け、さらに逃げようとして転倒した女児に馬乗りになっていたところを、その場に居合わせた男性によって取り押さえられた。 

 この事件を受けて、SNS上では、「フェミサイドではないか」という多数の声があがった。こうした声が聞かれるのは、被害者を「ランダムに」選んで殺害する無差別殺人として、この事件が報道されてしまうことを危惧するためだ。

 この事件は「わいせつ目的」、すなわち女性に性的暴行を働こうとして失敗し、殺害したものであるため、殺されたのが女性であったことは決して「ランダムな」選択の結果ではない。言い換えると、「被害者が女性である」という事実が、この犯行の理由・原因の重大な要素を占めている。 

 日本ではあまり聞き慣れないフェミサイドとは、以下で見ていくように、まさにこうした性質をもつような殺人事件を社会問題として取り上げるための概念だ。

 本記事では、今、国境を越えて多くの国で女性たちが連帯する際のキーワードにもなっているこの概念を紹介することで、福岡で起きたこのおぞましい事件を理解するための一つの視角を提供したい。 

「フェミサイド」と名付けることで見えるもの
 フェミサイド(femicide)とは、ラテン語に由来する、「女性」を意味する「femi-」と、「殺す」を意味する「-cide」が組み合わさった言葉だ。この言葉自体はずっと以前から存在していたものの、はじめてその言葉の意味をより明確にして、批判的に用いたのは、フェミニストのダイアナ・ラッセルとされる。 

 彼女はフェミサイドという言葉を「(被害者が)女性であることを理由とした、男性による女性の殺害」として定義しなおすことで、単に女性が被害者なだけでなく、そうした殺害が性差別的な理由に基づくものだということを強調した。

 ラッセルによると、このような性差別的な殺人行為としてのフェミサイドにはさまざまな種類があり、1)女性への憎悪、2)女性は劣位だという感覚、3)性的快楽の追求、4)女性を所有しているという思い込み、などを動機としている。 

 このようなフェミサイドの概念は、1980年代以降徐々に浸透していき、今日では、世界保健機関や国連の一部機関(UNODC)をはじめ、さまざまな国際機関が女性の殺害という地球規模の問題に取り組もうとしている。 

 近年の日本では、ヘイトスピーチ解消法が施行されるなど、ヘイトクライムという言葉が浸透しつつあるが、これは、人種、宗教、ジェンダー、性的指向をはじめ、特定の属性をもつ人びとに対する偏見や憎悪をもとに、危害を加える行為を指している。フェミサイドは、例えば人種的憎悪に基づく黒人の殺害などと同様、重大なヘイトクライムの一種と言える。

 フェミサイドの概念を用いる最大のメリットは、これまでそれぞれ異なる個別的な事件としてのみ捉えられてきた女性の殺害を、ジェンダーに基づく暴力の問題として捉えなおし、社会全体で取り組むべき課題として焦点化できることにある。 

被害者女性のことをモノのように認識していたのではないか
 さて、フェミサイドは、ひとりの人間の生命を絶つという意味で、ジェンダー暴力のひとつの究極の形態だ。今回、福岡市で発生した事件は、そもそも他者の人格を無視して、自らの欲望(性欲および支配欲など)を一方的に満たそうとしたことが殺人の直接的な契機となったと考えられる。

 その上で抵抗されたから被害者の上半身を包丁で何度も刺したというこの事件の容疑者には、目の前の女性をひとりの血の通った人間として想像する能力が欠けており、被害者女性のことをまるで人格や尊厳を持たないモノのように認識していたように思われる。 

 私たちはこの事件を、単なる非行少年の暴走として捉えるのではなく、フェミサイドとして、社会全体で解決すべき課題として捉えなおす必要がある。そのためには、女性を欲求充足のための道具のように扱ったり、人格と尊厳を持った自由な存在だということを否定したりするような文化や言動に対して、私たち(とりわけ男性たち)ひとりひとりが常に警戒し、それらを止めるよう努める必要がある。 

 もちろん、フェミサイドは日本固有の問題ではない。フェミサイドと闘おうとする女性たちの声は、この瞬間も、大きなうねりとなって世界中の多くの国で響いている。 

ソウルの「江南通り魔殺人事件」を思い起こさせる
 フェミサイドに対する女性たちの抗議運動は、近年、世界中で拡大をみせている。それぞれの国で取りざたされるフェミサイドの形態は異なるものの、こうした動きは欧米のみならず、ラテンアメリカやアジア、アフリカでも広がっている。 

 ところで今回の福岡市の女性刺殺事件は、4年前に韓国・ソウルの江南駅近くの公衆トイレで発生した殺人事件を思い起こさせる。韓国の事件においても、刺殺された被害者は女性であり、犯人は面識のない男性だった。犯人は殺害の動機として、「日ごろから女性に見下されていた」と語ったため、裁判においてはこの殺人が女性嫌悪に基づく犯行として認定されるか否かが、社会的関心を集めた。

SNS上では女性たちが、殺されたのは自分だったかもしれないという意味で「#偶然生き残った」というハッシュタグを用いて書き込みを行い、韓国社会におけるフェミサイドの存在が可視化された。こうした一連の動きは、保守的な男性たちによる激しい抵抗を呼びながらも、韓国でフェミニズム運動が拡大する重大な契機となった。

パリの街角で見かける新しい抗議運動 
 フランスにおいても、フェミサイドは社会問題となっている。フランスでは特に、男性による配偶者や恋人女性の殺害という、いわゆるDV殺人が深刻であり、政府はさまざまな対策を打ち出してきたが、全く解決には至っていない。これに抗議をするために大規模なデモ行進なども行われてきたが、特に興味深いのは1年ほど前からパリの街角のあらゆるところで見かけるようになった新しい手法だ。 

 一文字ずつ書かれた白い紙をタイルのように並べて貼り、ひとつのメッセージが完成する。最初の頃は、フェミサイドにより命を奪われた女性について述べたものばかりだったが、最近ではフェミニズム関連の多様なメッセージを発信している。単なる抗議活動を超えて、ストリートアートとしての側面も併せ持つこれらは、新型コロナの影響で閑散とするパリの街頭に新鮮な風を吹き込んでいる。 

 

日本は殺人被害者の女性比率が世界で最も高い国の一つ
 さて再び日本に目を向けると、こうした国々と比べて、フェミサイドに対する抗議の声はまだ決して大きくない。警察庁の 最新のデータ によると、世界的に見て殺人件数が少ない日本では、殺人によって命を奪われる女性は100万人当たり3人以下と非常に低い水準となっている。

 しかしながら懸念すべき点として、殺人事件の犠牲となった319人のうち女性は181人と過半数を超えており、日本は被害者の女性比率が世界で最も高い国の一つとなっている。

 今回、福岡市で発生した残酷な女性刺殺事件によってあらためて明らかになったように、日本社会にも確かにフェミサイドが存在する。先にも述べたように、悲劇的な事件の犠牲となる女性をひとりでも減らしていくためには、このような犯罪を一部の人間の暴走だとして目を背けるのではなく、日本社会全体の問題として捉えなおしていくことが重要だ。そのためにもフェミサイドという概念が、より一層浸透していくことに期待したい。 

山下 泰幸

 

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小沢一郎氏 アベノミクスを批判し、安倍路線継承に警告「経済の壊滅を意味する」

2020年09月07日 00時44分23秒 | 社会・文化・政治・経済

9/6(日) 15:39配信

 国民民主党の小沢一郎衆院議員が5日、公式ツイッターに連投し、アベノミクスと、安倍路線の継承を批判した。

 小沢氏はまず「病気の時は体がシグナルを出す。熱が出たり、痛くなったり、食欲がなくなったり。経済と株価の関係も、また同じ。だが、この狂った7年8カ月で、日銀のお金や国民の年金をつぎ込み、日本の株価は実体経済とは無縁の物になった。経済が病気でも表面上元気に見せてきた。いわば麻薬乱用を常態化させた」と、アベノミクスを麻薬に例えた。

 次の投稿では「表面上、何となく元気に感じることで、病気と闘うはずのさまざまな免疫も損なわれ、結局、ますます病状が悪化。賃金は減少、非正規雇用はどんどん増え、企業は改革を行わず、必要な投資も増えない。だから、世界の水準からはどんどん遅れていく。結果としてアベノミクスは日本経済をダメにしただけ」と、アベノミクスの弊害を列挙した。

 続く投稿では「重要なことは、安倍政権の政策は、お金を国民に回さず、株式市場や大企業の内部留保に滞留させているだけだということ。これでは経済がよくなる訳がない。また、企業自体も、麻薬で操作された間違ったシグナルでどんどんおかしな方法に向かう。結果として、経済全体が取り返しのつかないことになる」と、アベノミクスが一般庶民にはほとんど恩恵をもたらさなかったことを指摘した。

 最終4本目の投稿では「アベノミクスなる支持率狙いのお祭り騒ぎで多くの政策資源を使ってしまい、コロナ禍における財政・金融政策面での対応余地が乏しい。将来世代への負担転嫁は、ますます大きくなっている。政府・日銀の罪は極めて大きい」とアベノミクスを手厳しく総括。

 「その総括もせず、安倍路線を継承するということは、『経済の壊滅』を意味する」と警鐘を鳴らしている。

 安倍晋三首相の後継を争う自民党総裁選で圧倒的な優勢とみられている菅義偉官房長官は、安倍路線の継承を掲げている。

 

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一時代築いた川内康範の素顔(その1) 同じ虹、探した父子

2020年09月07日 00時40分54秒 | 社会・文化・政治・経済

ストーリー

毎日新聞2020年9月6日 東京朝刊

「生涯助ッ人」とだけ刻まれた墓石。飯沼春樹氏は「父親らしい」と話した。巨大な自然石は「政商」の異名を持った、北炭の萩原吉太郎から贈られた=青森県三沢市で、隈元浩彦撮影
 7月も終わろうというのにアジサイは今が盛りだった。青森県三沢市。青い森鉄道三沢駅前の巨大リゾートホテルの西端に600坪ほどの緑地が広がる。道玄寺という地図にはない寺である。

 奥まったところに2008年に88歳で死去し、今年生誕100年を迎えた作家、川内康範(こうはん)が眠る。テレビ、映画、そして歌謡詩と、戦後の大衆文化の作り手であった。豪壮な石積みの台座の上には墓標代わりの自然石が置かれ、「生涯助ッ人」とだけ刻まれていた。

 大仰なたたずまいとは裏腹に、つつましやかな文字だった。「月光仮面」の「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」を生涯の指針としながら、作詞家としての代表作「おふくろさん」を改変した歌手を許すことはなかった。政界に食い込み国士を自任しながら、保守陣営が忌み嫌う「憲法9条を守れ」と訴えた。そうした矛盾を抱えた男にふさわしく感じられた。


広島佐々岡監督怒りあらわ「投手が全て」最下位転落

2020年09月07日 00時28分17秒 | 野球

9/6(日) 19:45配信

日刊スポーツ

四球連発の広島先発の遠藤(中央)(撮影・加藤孝規)

<広島5-8DeNA>

◇6日◇マツダスタジアム

広島が投壊で引き分けを挟む3連敗で8月25日以来の最下位に転落した。

【写真】試合を見つめる広島の佐々岡監督

先発遠藤が初回に4四球と制球を乱し先制を許した。2回にも失点し、3回には宮崎に左中間への2ランを被弾。3回4失点で降板した。鈴木誠、長野の1発などで一時は逆転も、ケムナ、島内がリードを守れず、それぞれ2失点。DeNA3連戦で計47被安打、30失点と投手陣が崩壊した。

佐々岡監督は「投手が全て。この3試合、投手陣は何点取られているのか」と怒りをあらわにした。借金は今季ワーストの「9」となった。

▽広島遠藤(先発で3回を投げ4安打5四球4失点)「今日は自分の弱い部分が全て出てしまって、同じことを繰り返してしまいました。本当にチームに申し訳ないです」

 

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